三十七話「蒼太君は告白したい」
ゆるりと心地良い温もりと共に意識が覚醒していく。
もうこの感覚から始まるのは何度目だろうか。
普通の寝起きとは異なる断絶した意識が乱暴に戻っていく感覚は少し苦しく、激しくもどかしい。
それでも今回はここ最近では一番心地良い感覚に思える。
起きたら天国にいると言われたらそれは諦めるしかなく、地獄だろうと天国だろうと嬉しくは思えない。
死んでもいいと思った。死んでも想いが成せるのなら――彼女の為に死ねるのなら――と本気で思っていた。
だが、これでは何もなく俺の物語は終わりを結ぶだけで、それは虚しく、悲しい。
だけど、それは必然だったのかもしれない。
――貴方を殺しますわよ。
そう言われていたにも関わらず、まだ時間があると、まだやり直せると…そう甘い考えだったと認めざるを得ないのかもしれない。
ああ、目覚めていく、起きる場所はどこだろうか?
三途の川か、閻魔様の待機列か、天へ上る階段だろうか、何もない煉獄だろうか。
最早、どうでもいい。彼女のいない場所に、彼女の手の握れないところなんて…そこはどんな場所であったとしても、主に挑み敗北したサタンが落とされた宇宙の外と等しい。
さあ、時間の様だ。俺の物語は誰にも知られずに俺だけがみる終わりを、俺だけが見届けるとしよう。
「ん…んはぁっ」
「おや、起きましたのね。無理に体を起こしては駄目よ、貴方に蓄積してる疲労は相当でしょうから」
天国でも地獄でも煉獄でもなく、真っ暗な中に無限の灼熱と極寒の冷気が身体を蝕む場所でもなく、俺が目覚めた場所は俺の部屋だった。
「どうしました?死人みたいな顔をしてますわよ」
「いや、てっきり死んだのかなと思っていたので」
「悪魔は命までは取りませんよ。そんな事をできてしまったらそれは死神ですのよ」
「…なんとなく覚えてるいる最後の記憶がですね…その、自分の視界が上から下に急転直下した事だったのでその…」
「ああ、私に首でも落とされたと?」
「すみません」
「謝ることはありませんわよ。私達と貴方達は全く別の存在ですし、価値観も常識も根底から全てが違うのに疑わない、用心しないなんてただの愚者です。それに私は本気で妹を泣かせる奴は…不幸にする奴は殺しますわ」
柔らかく微笑んでいる口元とは正反対にその瞳は本気の目をしていた。
時間がどれほどたったのだろうか、窓の外は明るいが鉛色が太陽を隠してしまっていて午前なのか午後なのかすらわからない。
つい少し前までレミアが寝ていたベットに今は俺が寝ていて、俺がいたベットの傍に今はシルさんがいる。
レミアの姉である、人間ではないドラゴンの姉のシルさんが林檎の皮を果物ナイフで器用に剥きながら座っていた。
焦燥はなかった。覚悟して開いた視界は見慣れた俺の部屋でどこか安心というか、拍子抜けしてしまったというか。それに体が全くと言っていいほど動かない、骨が鉄筋にでもなったかの様に脳の命令に何の反応もしない。
「それでも、貴方はまだレミアを不幸にする事も幸せにする事もできます。それこそ私が貴方を殺してしまったらあの娘はそれこそ泣いてしまう。そうしたら私は私を殺さねばならなくなりますわ」
「まだ…か。」
そう呟いた。多分、呟いていたと思う。
結局、あのドナと名乗った女の子が言っていたことは全て事実となった。
あのツギハギの俺の願いを具現化した夢から目覚めて、レミアはこの部屋から姿を消している。
――ごめんね。
そう言い残して、きっとドナの言った通りに上界というレミアやシルさん達の世界の何処かで泣いているのだろう。
「それでソウタ、貴方に二つの選択肢をあげるわ。一つが、レミアの記憶を全て捨てる事よ」
「もう一つは」
「ソウタ、貴方にもう一つを叶える力は無いわよ、非力な人間如きじゃ何もできない。無力で無意味で不可能なの」
「そうだな…」
何一つ俺は持ち合わせた人間じゃないことは生まれてこの方何度も味わってきた。
才能もない、魅力もない、努力もない。そんな自分に何かを注ぎたくて生きてきた。
水島の事もそうだ、結局はただの偽善で、俺の自己満足なだけだったと言ってしまえば否定はできない。
一人で何度も力不足、役不足を感じて、いくつもの趣味を持って中途半端にして、自分の特別な何かを求めて――そうしてきた人間だ。きっと一番弱く脆くくだらない種類の人間だろう。
だが、それでも。
「そうですね、俺一人に出来る事は全く無いです。だけどもしもシルさんが手を貸してくれるのならば俺はもう一度立ち上がるくらいのことは出来ると思います」
幸樹を始め、友達がいたからこそ俺は友達と笑顔で話す水島が見れた。
俺は無力だが、それでも…偽善でも独りよがりの自己満足でも…俺は誰かのために誰かの手を借りてでも、手を差し伸べたい。それが俺という人間なのだ。
「それにレミアを忘れた俺は俺の皮を被った別人ですよ、そんなもの死んでいるのと変わらない。レミアの為になら死んでやるくらいの事なら俺にも出来ますが、それでもやっぱレミアと一緒に生きたいじゃないですか」
もう一つの選択肢――レミアを忘れない。
今のレミアと出会った俺はレミアとの記憶を抱えながら彼女に二度と会えない世界こそが煉獄だろう。
きっと耐えられずに死ぬだろう。レミアを覚えていながらシルさんもあのナントカ協会の人達も関わりのなくなってしまうとするのなら、それしか出来ない。
全く、なんて情けないのか。本当嫌になる。
だけど、俺はそこまで――あいつが、レミアが、好きなのだから仕方がないだろうよ。
甘い考えだ、我儘だ、本当に独りよがりだ。
相当に俺は馬鹿なのだろうけど、それでもシルさんが問答無用に俺の記憶を消す事なくこうして話してくれたのだから、彼女もそれを望んでいると曲解してワガママを言ってもいいじゃないか。
罵られようと馬鹿だろうと、それでレミアに会えるのならなんだってやるさ。
俺にとってやはり、あいつはそういう存在なんだから。
「貴方の言葉は時々意味がわからないわよ。でも、私じゃあの娘を幸せにはできない、慰めてもあげられない。お願いソウタ、レミアを――」
――助けてあげて。
「…はい。俺にレミアを助けさせてください」
威勢の良い啖呵を切ったのに恥ずかしいが、俺は一週間ずっとベットの上で寝ていた。
シルさん曰く、ドナという娘は悪魔だったらしく。
結界というあの夢の世界は上界の住人でもあるレミアがいた為、相当強力なもので人間には負荷が相応にきついらしく、一週間程度の回復なら元気な方だと言われた。
シルさんが気を遣ってくれたのかもしれないが、結局聞いただけの情報なので俺には真実はわからない。
事実としては、一週間の間、寝たきりになった俺の為にシルさんと綾乃が泊まりで介護してもらったという事。
そうした日々を超え俺はここにいる。見渡す限りの青草がまるで海の様に風に揺れ、空はどこまでも高く、澄んだ空気は最早清流の水を飲んでいるのかの様で。
とても美しい…と陳腐だが漏らしてしまう程に爽やかでのどかな景色が視界いっぱいに広がる高原を俺は丘の上から眺めている。
「あそこですか?」
俺は隣にいる女性に尋ねる。
「ええ、そうですわ」
俺が指差した所はその景色の中では異色だった。柔らかな草木、陽、風、空気。だがそこだけはゴツゴツとした灰色の岩が亀甲墓の如く、乱雑に半月円を描いて盛り上がっている。
ここは地図のどこにもない場所、ここは地球ではない場所。
龍やゴブリンといった俺たち人間にとっては空想上の生き物が本当に生きている世界。
そんな世界で俺に出来ることなどほとんどない。
覚醒する秘められた力もないし、魔法学校の落ちこぼれ召喚士もいない、ありとあらゆるゲームに秀でているわけでもなく、スマホなんて圏外だし充電もできない。
そんな俺でも泣いている女の子に声をかけるくらいならきっと出来るだろう。
まだ寒さの残る春の雨の中で、バス停の待合で雨宿りをしていた彼女に声をかけた時と同じように。
「えっと…君、どうしたの?」
なんて風に。