三十四話「溢れる想いの交差」
――レミア、私はいつでもあなたの選択を信じていますからね。
暑くて熱くて蕩けそうな意識の中でシル姉の一言が壊れたステレオの様に繰り返される。
私の姉でなくても悪魔の残す独特の匂いは上界の者なら誰もが気付くだろう。
前にお祭りであの悪魔と出会った時もシル姉は同じ様に一言だけで詮索はしてこなかった。
悪魔はハエだ。そもあいつらのトップにいると言われているサタンの次席はベルゼブブな訳だけどあれは人間の伝承だからまた別物として。
あいつら悪魔は勝手にやってきて遊び半分に油を注ぎ、火をつける。
しかし、火のないところに煙が立たぬように悪魔を引き寄せるものが必ずあるのだ。
少なくとも私には心当たりがあるし…。
「ソウ…タ…ぁ…」
「いるぞー、水飲めるか?」
「うん…ありがと…」
時間はもうよくわからな句なっていた。寝てる感覚がないままに意識が途絶え、無意識のままに漏れる自分の声でレミアはその意識が覚醒する。その繰り返しだった。
蒼太から受け取ったスポーツドリンクを喉に流す。
味のしないレミアの口内にどろっとした甘みがなだれ込む。
彼女は経験のない身体のだるさと熱の中で、彼が側にいるという感覚、感触だけを頼りに平静で居ようとしていた。
ここ数日、ずっと抱えてきた黒い何かをつい吐き出してしまわぬ様に――と。
「なんか…寒い…服がベトベトする…」
「汗かいてるからなー本当はシルさんにレミアの着替えと汗拭いて貰いたかったんだが…レミア一人でできるか?」
「うんにゃ…だるい…かな」
「だよな…どうするかな――」
「ソウタやって…拭いて…」
「え!?いやそれは…」
「お願い…」
瞳をいっぱいに潤ませレミアは蒼太を見つめた。
その表情に青年は抗うことはできない。
「ん――わかったよ」
ベットの上でドラゴンの少女が半裸になり、蒼太の手にした濡れタオルがその身体を撫でて行く。
少し前ならば少女も青年もこれほど頬を染め、恥ずかし合うことはなかっただろう。
その変化こそが彼と彼女が過ごした半年に積み重ねた思いであり、時間というもの。
白肌の上に淡い赤色が浮いた身体をタオルが進んで行く。
「んっ…」
思わず甘い声が暗がりの部屋に響くが青年は震える手を悟られぬように、さも平然と続けていく。
うなじから肩へ、脇から薄く肋骨の浮いた胸部を通って脇腹。
一瞬の息をついて背骨に沿って真っ直ぐと。
腕の関節や指などを意識的に丁寧に。
男の体とは全てが異なる柔らかくもしなやかに締まった少女の体躯。
情欲。それは生物が誰しもが持つ、健康的な本能。
しかし、それらをレミアが漏らす苦しげな吐息が超越させる。
心配で、心配で、心配だ。
いつのまにかそれだけが蒼太の頭の中を埋めていた。
たかが風邪だとわかっていたとしても、我に帰って落ち着けと自分を諭してしまうほど、その少女の体が小さく、そして脆く見えたのだ。
「気持ち悪いだろうけどここまでな。換えの服はそれだから」
上半身の背中側と腕を拭きあげて蒼太はレミアの隣に置いた服を指差した。
ただの風邪だが思うよりも症状は重く、起き上がっているのも苦しいのは見て取れる。
だからこそ蒼太は手早く済ませた。性別の違いを配慮したのもあるだろうがそれは些細な事でやはり、なによりもレミアの状態を危惧しての事。
レミアが風呂に入らず数日を過ごしてもあまり気にしないのは蒼太も知っている。
だが、その普段とは大きく違うのが汗の量だ。
風呂に入りたがらない彼女に臭いと言ったことも多かったが実際のところ臭うことはあまりなかった。
そういったときは大概自分も入っておらず自身の臭いで限度を感じ、一緒に暮らす彼女とともに生活のリセットをしていた。
しかし、今は違う大粒の汗からくる彼女の匂いが部屋に充満している。
普段は感じることがあまりないから余計に蒼太は感じていたのだ。
「…ソウタ」
だが、そんな事はレミアにはわかるわけもない。
引こうとする蒼太の手をレミアは掴むと布団を返すとその手を太腿へと運んだ。
頰は一段と赤く染まり、まどろんだ表情でただただ「ソウタ」と名前を呟くだけのレミア。
それは――言外に何を思っていたのか。何を意図していたのか。
「レミア?無理するなって」
「ねえ、ソウタ…わたし――」
ピピピッ
「ん、悪いレミアちょっと」
言葉を遮って響いた電子音は蒼太のケータイの通知音だった。
メッセージを確認すると続けざまに耳に当て電話を始めながら部屋から出ようとした蒼太。
――そしてその時、何かが弾けた。
「ソウタ!ソウタは――」