二十話「実家へ帰った(4)」
ガラガラガラと、扉の開く音を聞き俺たちは居間へ向かう。
やはり、少しレミアが緊張気味の表情だったのが気がかりだ。
「おう、蒼太帰ってきたのか。」
居間で、買い物袋をおろしてソファーで一息ついていた男が俺を見て、少し微笑んで言った。
――まぁ、男が、と言っても俺の親父なわけだが。
「ただいま、そしてお帰り。だけど親父こういう時くらい連絡してくれよ」
「うるせえ、俺ひとりでも何とかなるってんだ。というかお前、その綺麗な女性は誰だ?」
「ああ、この人はレミアといって――」
本日三回目の説明にもなるとテンプレ化してくるな。
「そうかい、綾乃ちゃんも帰ってくるのか。悪いな。そしてレミアさんも遠いところにすまないね。何も無いがまぁ飯だけはあいつがやる気みたいなんでそれは楽しみして、ゆっくりしていってくださいな」
「はい、ありがとうございます。ですが、寧ろ特に私は何もしてあげられることが無いのでお邪魔でしたね」
「いやいや、こんな綺麗な人の顔を見れて、しかもそれが蒼太の連れて来た人なんて言ったら母ちゃん喜びますよ。今後ともあの馬鹿をお願いしますわ」
「聞こえてるぞー、とりあえず親父、何買ってきたんだ?っていうか、だからレミアはそんなんじゃねえって。」
「分かってるってーの、うるせえ男は嫌われるぞ」
「親父の方がうるさいから平気だろ、ここ数日飯どうしてたんだよ?」
「サエ子さんたちに・・・」
そんな、話をしながら台所へ向かう。
隣で歩く親父の背中が少し丸くなって、目尻の皺が増えていたことに気付いた。
こんなに親父が小さかったか?――と。
前回帰ってきたときは、レミアのこともあり超特急で帰ったからこうして親父としっかり話すのも久しぶりだ。
うるさくて、がさつで、怒るとさらにうるさくなる、『馬鹿でもいいから優しい人間になれ』が口癖だった親父。
俺に心配をかけまいとしてくれたのか、はたまた親父のプライドからかは分からない。
確かに、一度こういうことがあってしまうと二度目が心配になってしまうのが人間の心情だ。
まぁ、酷く酔うと「母ちゃん無しじゃ俺ぁいきていけねえよ」と泣きつく人だが、当の本人は翌日には忘れて母ちゃんが倒れても俺が何とかしてやるよと言ってた親父でもあるから。
おそらく、どっちもあったのだろうな。
とりあえず、親父が買ってきた食料と冷蔵庫の中身を見て、献立を考える。
「夏だから温かいものはあれだし、脂がきついのもな・・・親父、母さんはお粥とかうどんとかのがいいか?」
「いや、割と食欲はあるし、先生からもしっかり食べて、しっかり休むのが一番だって言ってた。」
「分かった、じゃあ飯は俺に任せろ。親父少し寝て来いよ、酷い顔だぞ」
「おう。じゃあ、悪いが俺も休ませてもらうよ。レミアさんに爺が移るといけねえからな」
そういって親父も、両親二人の寝室へ行った。
「レミア、悪いがさっき入れた洗濯物適当に畳んでもらって良いか?」
「えっ?あ、うん!まかせて!」
「じゃあ、任せた。」
あれほど毛嫌いしてた食器洗いも、肩からハンガーがずれて斜めに干してあった洗濯物も、消費期限を確かめたのかひっくり返したような冷蔵庫も。
親父が頑張っていたのは、一目でわかるさ。
だから、だからこそ、こんなときくらい俺を呼んで欲しかったな――。
俺は、シャツの腕をまくりながら前、この台所で料理を作ったときの事を思い出していた。
おにぎりに味噌汁と言う簡単なものだったが、それをおいしそうに食べていた少女の顔が今でも鮮明に思い出せる。
僅か三ヶ月前なのに、もうどこか遠い記憶のようだ。
だけど、あのときの少女の顔もあのマンションの部屋で俺の料理を食べる彼女の顔は同じ。
静かに、だけど美味しいとまるで顔に書いてあるような顔で頷く仕草。
両親も勿論だがレミアのあの顔が見たくて、やる気が出る。
「旨い飯、作らなきゃな。」
そう呟いて、料理を始めた。
「親父、飯出来たぞ」
「あ・・・ああ、わかった・・・」
寝室の扉を叩き、俺は居間へ戻る。
「おお。レミアも終わったか、ありがとな」
三日分くらいだろうか、干したはいいが積まれていた洗濯物の山をレミアが畳んで、種類ごとに分けておいて置いてくれた。
「なんだろう・・・達成感・・・!」
「お疲れ様。」
レミアのグーサインに、俺も応える。
四人分のお椀を用意し、親父が来た頃に母さんも起きた。
「ほい、ほい、ほいっと」
ご飯をよそい、並べる。そして出汁を入れた急須や、漬物やおかずを並べる。
「ソウタ?これって・・・お茶漬け?」
「ああ、母さんにも食べやすいしな」
「お茶漬けってあれよね?お酒呑んだ後とかに飲むと温かくてほっこりするやつだけど、今日は暑くない?」
「だから、今日は冷やし茶漬け。出汁もご飯も冷やしてあるから夏前だが、今日にはぴったりだろう」
「おや、レミアさんお酒いける口ですか?そういえば、去年テレビであったなカップラーメンに氷をいれるって奴。」
「まあ、そんなイメージだな。生姜や鮭、梅干とか好きなものを乗せて食べてくれれば。母さんも食べられたらおかずも食べな」
「うん、ありがとう。じゃあ、頂きます。私は生姜で・・・」
「俺ぁ、梅干かな・・そうだ酒とってこよ」
「俺は鮭かな」
「あ、じゃあ私もソウタとおなじので」
さらさらさらと、軽く食べられるお茶漬けは気付くと沢山食べてしまう。
おかずとして用意したものは割りとこってりなレパートリーだったが、お茶漬けのおかげか母さんも結構食べているようだった。
「お父さんも料理できないのね!わたしもできにゃい!ソウタのご飯最高!」
「こんだけ飲めて、食えりゃあ十分だぜレミアさん!」
親父の持ってきた酒を注ぎ合ってからは、一気に意気投合したレミアと親父。
シルさんもレミアもお酒は強いし、ご飯も体躯を考ればよく食べるほうだ。
だから、ここまで酔うのは夜通し飲んでいても俺もあまり見た覚えが無い。
そういう時は、俺も記憶が無いことも多いのだが、それでも今日のレミアは酔いが回るのが早かった。
まぁ、やはり気疲れた部分が大きかったのだろう。
そんな、親父とレミアの様子を母さんは昔と変わらず、微笑んでみている。
明日の朝の分を考えても、五合は炊きすぎかなと思っていたが気付けばなくなっていた。
「らすがに、でも、お腹がちょーっとひえてきたらね」
「ああ、そう思ってスープ作ってあるのを忘れてた。」
「よっ、息子ママ!」
「よーソウタひゃん!」
酔っ払い二人にせっつかれながら、俺はスープを出す。
つくねと、ナスのスープ。
「じゃあ、これ飲んだら今日は終わりな。」
「「ええーー」」
二人して、はもって笑い始めた。
「えーじゃない、親父も俺も明日は早いし母さんもゆっくりさせないと。」
そうして、夕食も終わり各々風呂に入り就寝となった。
俺は食器を洗い、最後に風呂をあがった。
寝ようと部屋に向かう途中、親父が一升瓶と猪口を二つ渡してきて「夜は静かにな」と両目でウインクをして寝室へ行った、流石に親のこんな酔ってる姿を二十歳を超えてみると情けなくなる。
「・・・馬鹿。」
俺の部屋のふすまを開けると、レミアがいつもの少女姿でだぼだぼの浴衣を着て座っていた。
月光に照らされる白い肌と煌く真紅の瞳。白銀の髪と黒檀の角のコントラストは天の川のようで。
畳の上に、和とは正反対の少女がいる姿が妖艶に写った。
少女がこちらを向いて、微笑む。紅潮した肩やうなじ、鎖骨が時折見える。
俺は、始めてみたときからこの少女の自然体の美しさに惚れている。魅了されている。――最早、呪われているのかもしれない。
それでも、
「ソウタ~」
「大分酔ってるな。」
大人バージョンのレミアに合わせたからか、だぼついていてくれたおかげで尻尾で臀部がめくれるのは防げていた。
「そういいつつ、ソウタ君はまだ飲みたいようじゃない?」
おどけた様子で、レミアは俺の手にする一升瓶を指差す。
「これは親父が・・・まあいいか。」
互いに猪口に酒を注ぎ合う。
俺の右肩に、レミアの頭が預けられる。
隣で、酒を回して小さな唇が猪口を触れる動作がとても艶めかしく見え、そして胸部も見えそうになって慌てて前を向いた。
「ソウタ、不思議。」
「どうした?」
「私、昔ね。人間達に殺されそうになったの」
「うん。」
「皆、私の眼を見て『殺せ』『殺せ』『殺せえー!』ってだから、私今でも人間の眼が怖い。私はあの時、私なりに私が出来る事で人間達を救いたかっただけなの。なのに、なのに、なのになのに・・・」
徐々に、涙声になるレミア。
俺はただ頷きながら、これまでのレミアを思い返していた。
携帯を買ったとき、あれだけ怖がりながらも人間に取り憑いた悪魔を祓っていたり。
綾乃とシルさんの時だってそうだ、彼女なりに色々頑張ってくれた。
今日だって、彼女は頑張っていた。沢山の人間の中で、怯えながらも受け答えをしていた。
彼女がまだ人と関わりを持つようになったのは極々最近だ、だがそれでも彼女は優しく、気にかけていたのを俺は知っている。
「私の眼に写る人間の眼はあの時の眼に見えてしまうの・・・」
「うん。」
きっとこの世界にとって、レミアという少女は優しすぎたのだ。
誰からも向けられるものを受け入れていたかもしれない、だから彼女の心は人が向けた刃に無残に傷ついた。
「でもね、今日電車や新幹線では誰もが誰とも目を合わせようとしていなかった。私にとってそれはラッキーなことなのに、凄く寂しかったの。皆が皆を殺そうとしていて、それを避けているみたいで・・・だからソウタが私の頭を撫でてくれたとき、私と乾杯してくれたとき、本当に本当に嬉しかった。」
「うん。」
「私を優しく見てくれる目があるんだなって、そう思ったの。そして、ここに来た時たくさんの人と目があっただけど私を殺せといったあの目ではなかった。本当、魔法みたいだった!ああ、私の悩みが、傷がこんなに簡単に消えてしまうなんて!そう思った。」
「うん。」
「・・・ねえ、ソウタ」
「おう」
「ソウタ、ソウタ。ソウタ!」
「おう。」
俺の名を呼ぶたびに笑うレミア、俺もそれに笑い返す。
「にゃはは、じゃあもう寝よっか。明日も早いんでしょう?」
「レミア。」
俺が呼ぶと、彼女は何時もこちらを見てくれる。
赤い瞳はまるで吸血鬼のようだ。だが、ちっとも怖くない優しい瞳だ。
溜めて溜めて、その一言に全ての思いを乗せて俺は言う。
「ありがとな」
「うっ・・・うあぁぁんばかぁ!!」
押し倒され、俺の胸で泣き始めた彼女の雫のぬくもりを感じながら俺はただ頭を撫で続けた。
夜の帳は深く、静寂さに耳鳴りすら覚えるほどその夜は静かだった。
音があったとすれば、少し前まで泣いていた少女の声だけだ。
その少女も、胸を貸していた男も今は、すうすうと寝息を立てている。
いや、少女は再び目を覚ました。
少女は、星が瞬く夜空の浮かぶ月に向けて溜息を溢し。
「――ソウタ、大好きだよ。」
その言葉を聞くものはいない。
少女の傍らにいる男は眠っている。
少女の頬に重ねるように滴るそれは、暖かく残酷な跡を残した。
悲鳴のような涙声を必死に飲み込みながら、少女は無防備な青年の額を撫でる。
ただ、溢れて――溢れて――溢れているのに、湧き続けるそれの知識を少女は持たない。
ゆっくりとしっかりと、焼き付けるように少女は瞼を下ろし眠りに着いた。