一話『竜との生活』(ソウタ~もう一戦やろ!)(待ちなって・・・。)
少女は力なく倒れた。
不敵に笑う男の足元で少女が沈黙すると『FINISH』の文字が輝く。
「あーもー!ハザマの勝利ボイス聞き飽きたぁ!むかつく!!」
閉ざされた青のカーテンの隅から漏れる朝日が、液晶のブルーライトだけが瞬いていた影の部屋に暖かさを運ぶ。
そんな陽に半ば八つ当たりの視線を向け、少女はコントローラーを投げ後ろに倒れこむ。
少女の肌は白く透き通りその体躯にしては大きすぎる太腿を半ばまで覆うパーカーだけで下に何も履いていなかった。
一糸纏わなぬ細い足を、ばたばたと振ると星空の下に流れる川のように暗がりの部屋で煌いた。
「そんな事言われてもな・・・。というかレミアお前、ストロークファイターでは『待ちガイルとか卑怯!』とか言ってた癖にブレイブルームではD擦りノエルじゃねえか!」
少女の隣に座っていた男は視線を外し、呆れながらショーツが見えるほどめくれあがったパーカーを正す。
男はまだ学生の雰囲気を残しながらも、大人の風格を纏い始めた二十代前半で、少女と青年の二人が並ぶと歳の離れた兄妹の様に見えることだろう。
「全然ちーがーいーまーすー!しかもDブッパじゃないもん!狙ってやってるもん!」
「はぁ!?毎回『一式、テオ!ウル!』って横移動してきやがってそれこそ聞き飽きたわ!ガードしてもお構い無しになんか飛び道具撃ってくるし!」
「NPCはあれでカード崩れるの!!」
むんっ!と起き上がり少女は投げたコントローラーを体躯の三分の二程ある長い尻尾の先で掴むと、自分の手元へ投げた。
レミアと呼ばれた少女のルビー色の瞳の元には黒い隈が深く刻まれていて、その白い肌の所為か同様に目元に隈を刻んでいる隣の男よりもはっきりと浮かんで見える。
レミアの見た目は齢を二桁を超えたばかりのようで、そんな少女に深い隈があるのはどこか現実味が欠ける光景だった。
「もーいっかい!」
「わかったわかった、でも後一回だけな?」
「なんでよ!ソウタのケチ、勝ち逃げなんてずるい!」
「おまえなぁ・・・・」
頬を膨らませ目線でも不満を訴えるレミアの表情に青年は一息、長く吐き出すと短く息を吸い込み少女の目を強く見据え――
「くっせえんだよ!」
ソウタとレミアが呼んだ青年の放った衝撃の一言に固まる少女。
青年は一週前にも同じことを言ったのだが、と内心でその反応に呆れている。
「なっ・・・・なっ!?」
「今日は日曜だ!ちょうど前回風呂入ってから一週間だ!」
「なによ!レディに臭いとか失礼じゃない!?」
「俺もお前もだよ!というかコントローラーまでも臭いんだよ!!それと周りを見ろ!」
少女は部屋を見渡す。
朝日がゆっくり部屋の全貌を照らすと闇に溶けていた様々な山が浮かび上がってくる。
最初のマンションから引っ越して生活を始めたのがまだ一ヶ月前。
だというのにそれは最低でも数年は夢に生きる男性が住んでいるような貫禄があった。
お菓子の空袋に別のお菓子の空袋が詰められた袋がいくつも転がり、ゲームパッケージの積まれた上にプリンの容器だったものが水分を失いまだ四月だというのに変色を始めていて、衣類の山は幾度もひっくり返した所為で散乱し、読みかけの本や通販のダンボールなど二人が座っていた場所だけ床が見えるそんな部屋の有様だった。
だが、少女はフンと高く鼻を鳴らすと――
「まさに生物の王!霊長類の上位に存在する!竜とその眷族にふさわしい住み易さの頂点。文化此処に極まれりといった部屋じゃない!」
胸を張って言い切ったレミアの頭に向けて、ソウタが手にしたスリッパが少女の頭に一線を刻む。
「ったーーい!!もう!女の子の頭を叩かないでよ!」
「女の子ってお前何歳って言ってた!?」
「何よ!まだ400歳くらいよ!」
「400年前っていつだよ!?・・・幕府とかあったのか・・・?とりあえず、だ!風呂行け風呂!」
「まだ一戦やってないわ!五本先取ね!」
「ああもう!それでも二本先取だ!」
「ちぇーっ。」
そして一戦を終え、それでも渋るレミアという少女をソウタと呼ばれた青年は脱衣所へ押し込んだ。
少女の尻尾は、それでも抵抗するようにその先でソウタの背を突いていた。
なんだかんだで、風呂に入るのを嫌がるレミアだが一度入ると長風呂だ。
「よし、お前ら覚悟しろよ!!」
一人きりになった部屋で独り言に熱を込めるソウタ。
意識が途中途中途絶えながらも、二徹を超えていた彼は深夜テンションの思うままに掃除を始める。
先週と同じように本やゲームソフトを手早く部屋を片付け、洗濯機に衣類を突っ込み、ごみ袋やダンボールをまとめて翌日以降に出せるように玄関へ運び、食器洗浄機を動かし、掃除機を掛け、コントローラーやアケコンやキーボードをウェットティッシュで磨き上げ、ハンドワイパーで各所の埃を払い、再度掃除機をかけ、軽い朝食の準備をする。
そんな過程の最中、一息ついて休憩していると突然扉が開いた。
「ソウタ~、リンスの換えってどこかしら~」
「んー、確か洗面所の下の収納に・・・っておまえっ!?」
ソウタが扉の方に視線を向ける。
その先にはお湯を床に滴らせながら、本当の意味で一糸纏っていない少女の姿があった。
本能的に、衝動的にソウタはそのシルエットを目で追ってしまう。
小さな足首から細くしなやかに伸びる脚、凜と張った肌の中に柔らかさがあり男性とは大きく異なる膝から緩やかな太腿からくびれまでの曲線。
腰まで伸びた銀髪が腰から伸びて脚部の横で揺れる硬質な尻尾と相まってすべらかで、輝いている。
筋張っているわけではないが薄く見える肋骨、紅潮した肩、首から鎖骨へ滴る雫。
普段意識していなかった異性という意識がソウタの理性とかそのあたりの意識を焼ききらんと湧き上がる。
そんな視線に気付いたレミアは不敵に、悪魔を宿したように口角を上げた。
「あら、そうよね?ソウタも男の子だものね!私の体綺麗だもの仕方ないわ!ええ、仕方ないわ!」
自分の身体を広げヒラヒラと舞いながらレミアは自己完結して頷く。
「何言ってんだ!リンスは水道の下の棚にあるから早く戻れって!というかタオルくらい巻いてから出てこい!」
そんなソウタの反応に急にしおらしく俯いたレミアは、妖しく自身の肩から胸元をなぞる。
(・・・あれこういう展開は・・・)
ソウタが頭の片隅で漫画やゲームなどではある意味お約束な展開を思い浮かべ、それは無いと切り捨てる。
「私・・・私ね?ソウタなら・・・いいんだよ・・・?」
潤んだ紅い瞳がソウタの眼を吸い付くように覗く。
銀髪から上がる蒸気、隙間から同じ銀色でも光沢のおとなしい角が存在感を発している。
「だぁーっ!もじもじしながら言うな!!いいから早く風呂戻れ!」
「あっ!そうだ!一緒にはいろーよ!そうだそれがいい!」
「はいらねぇよ!ほら早くもどれ!」
いつでも寝落ちてもいいようにリビングにはお互いのタオルがあり、先ほど畳んでおいたそのタオルをレミアの身体から視線を外しながら投げつけ浴室まで押し戻す。
見ないように見ないようにと思っていても紅潮した肩、水の滴る長髪につい目を取られてしまう。
背中から腰へと滴る一粒の雫を追ってしまい、そして俺の理性は――!
「あーもう!」
「もー強引なんだから~。」
レミアを残した脱衣所の扉を強く締め、一線を越えないように生殺しの情欲のこもった息を吐き出しリビングへ戻る。
去り際、扉の奥から微かに聞こえたお湯に浸かる音が脳裏を撫でるように響いていた。
「ああ、もう。」
リビングからテラスに出て煙草を一本取り出すと空に登っていく紫煙をながらソウタは誰に言うのでもなく心の中で吐露する。
――早いことで一緒に暮らし始めて二ヶ月弱程が経った。
レミアとの生活は楽しい。一緒にゲームして、各々でもゲームしてアニメや漫画を見て、酒を飲みながら語り合ったり。
一人っ子だった自分としたら本当にこういうことが出来るのが楽しい。
だけど、だけど未だどこかに怖いと思っている。
その理由は彼女が竜――つまりドラゴンだからだ。
本当、今でも何を言ってるのか俺でもわからないが彼女、レミアは腰から尻尾が生えて前頭部には髪を掻き分け勾玉の形の二本の角が小さく出ている。
彼女が自身を竜と言ったからそう認識している部分が大きいのだが、なんにせよ普通の人間とは大分かけ離れている存在なのは間違いなかった。
最初こそ口数の少なかったが、ゲームを通じて今はある程度気兼ねなく会話は出来るようにはなった。
それでも『ドラキュラ』の語源はドラゴンだったり、『才を与える悪魔』『エンプーサ』『ラミア』など男の血肉や精気を喰らう伝承は多い。
目の前に竜を自称する人外娘が目の前にいるのだ、その辺が実在していてもおかしくないわけと。
一歩、何か一線を越えてしまったらどうなるかわからない――そんな恐怖がどうしても拭えない。
あの時から殺されても構わないと思っているのだけどな。
闇に包まれたバス停で今にも消えそうな儚さを醸し出していた彼女を見たときから。
「しかし最初はあんなにおとなしかったのにな。」
恐怖は・・・彼女が怖いというよりも彼女とこの生活が崩れてしまうのが怖い。
紫煙に潮の香りが混ざる。
横須賀から三浦半島、湘南を西湘バイパスや箱根へと繋ぐ国道134号、彼らの住まうマンションはその国道を一本挟み相模湾を望む。
神谷蒼太、23歳。前職から約二ヶ月、現在無職。
灰皿に煙草を押し付け一息深く吐き出すとリビングへと戻った。
ドライヤーが無機質に鳴く。
絹糸のように銀の髪がなびくとシャンプーの香りが漂った。
「ほんとソウタはブローが上手いわね~」
「そーですかい。」
ふぁー、と風呂上りのドライヤーの音は頭の奥まで響く。
蒼太も風呂から上がり彼女の髪をブローする頃にはゴミ部屋が一転してフローリングが輝く部屋に変わっていた。
「ソウタ確か兄妹はいないはずよね?何、彼女とかにしていたの?」
「ん?いや、そんな物好きとは縁がなかったな。昔一個下の幼馴染がいてそいつには良くやっていたけど」
「じゃあその子ソウタに惚れたのではなくて?こんなに気持ちいいのだから」
「乾いたら朝ごはんにしような。」
「うんー。」
朝4時に起こされ始まった格ゲー大会。
そんなおかげか部屋を片付け、俺とレミアが風呂からあがり朝食が始まってもまだ時刻は10時過ぎだった。
冷蔵庫もほぼ空なのでサラダと目玉焼きを乗っけたトースト、そして紅茶と簡単なご飯。
「ほあ~ソウタのご飯は美味しいな~」
「それはどうも」
さっぱりしたような表情でトーストを齧るレミア、徐々に生気を取り戻したのか彼女の隈も心なしか薄くなっているように見える。
「そういえばソウタ、すまほってなぁに?」
「スマホ?ちょっとまってろ・・・」
ほい、と俺の携帯を見せる、俺自身も諸事情によりこの二ヶ月全く起動してなくて存在すら忘れていた。
「ソウタ持ってるの!?これか・・・ね!電源つけて!」
「うーん・・・ま、いいか。」
電源をつけてロック画面が点いた途端にたまりに溜まった通知を吐き出すように一斉にスマホが振動する。
「きゃっ!なにこれ!?」
画面をスクロールするとあるわあるわ、元職場からの鬼着信。
ま、もう関係無いから良いか。辞表も郵送したし。
「で、スマホがどうしたんだレミア」
「アプリっていうのをやりたいの!ふぉれふぉれ!」
「落ち着け、パンくず落ちるから・・・」
指差したレミア用パソコンの画面をみると大人気のアプリゲームのキャラを描いたイラストが映っていた。
「ああ、FCOなら確か・・・」
一時期やっていたゲームだったので見せてみるとレミアの赤い瞳が見開きキラキラと輝いていた。
「さすがソウタね!!いいなぁ!」
「そういえば携帯契約して二年以上経っていたし替え時かもしれないな。」
よし、と蒼太は決めたように手を叩く。
「今日買い物のついでにレミアの携帯買おうか?」
「本当!?やったー!よし!じゃあブレイブルームリベンジやるわよ!」
「わかった、わかった。とりあえず朝食食べ終わってからな」
蒼太はレミアから返されたスマホの通知画面を一瞥すると電源を切り、ティーカップを口に当てた。