ほしいもの
あるところに、一人の男の子と、一匹の黒い老犬がいました。
彼等はおたがいに相手のことが大嫌いでしたが、二人はよく一緒にいました。
『二人』と表現するのは、当然、それが家族というものだったからです。
少年は生まれながらにして、人の『ほしいもの』が見えました。
犬は、少年よりも前から、人の『きもちの動き』が見えました。
二人が散歩に行くと、かならず二人はそれらを見ます。
少年の友達がいました。
彼は道で少年に手を振りますが、本当は、そんなことはしたくないのです。
彼の頭の中の『ほしいもの』は、男の子がほしいおもちゃやゲームで埋め尽くされていて、とても他のものが入ることはできそうにありませんでした。
そしてその友達が本心から手にしたいものは、実のところ、少しの間の楽しみなどではなく、自分だけの世界に引きこもることでした。
犬からみれば、その友達の『きもちの動き』というものは、男の子に対しての無関心でした。
少し歩くと、女の子がいました。
女の子は男の子に対しては、男の子が何を言っても知らんぷりをするのです。
それも仕方のないことで、女の子の中にある『ほしいもの』は、同じ女の子同士の中に入ることであって、男の子には気にも留めませんでした。
男の子の見た女の子の本当に手にしたいものは安心でした。
誰かの中に自分をおくことで、女の子は独りぼっちから逃げようとしていました。
犬から見た女の子の『きもちの動き』は、男の子に対するいやな気持ちでした。
道の途中で大人に会いました。
大人の男性です。
男の人は男の子よりも犬の方に目を移し、わかりやすく犬からよけながら、その場からさっていきました。
男の子がその人に見た『ほしいもの』は、目の前の休息でした。
少しだけ休めるときを、その人はずっと、動きながら待っているのです。
男の人の本当に手にしたいものは、カタチのない、心の充足感でした。
男の子には、それはまだよくわかりません。
大人になっても、分からない気がしました。
犬が男の人に見た『きもちの動き』は、自分に対しての恐怖心と、自分を連れている男の子に対する不信感でした。
きっと、依然に犬に噛まれたことがあるのだろう、と犬は思いました。
自分たちが何かを噛むのは、それが怖いからなのにな、とも思いました。
男の子は、角で一人の少年を見ました。
自電車に乗って、学校制服を着ています。
きっとこれから勉強をするのでしょう。
少年の『ほしいもの』は、お金でした。
お金をたくさんもらって、さらに『ほしいもの』を買う予定のようです。
男の子はわからなくなります。
『ほしいもの』が二つもあるのは、変ではありません。『ほしいもの』が数えきれない人もいます。
ですが、『ほしいもの』のを買うために『ほしいもの』を気にする気持ちが、わかりませんでした。
『ほしいもの』の引換券が、神様であるかのように大事にする気持ちも、わかりませんでした。
少年の本当に手にいれたいものは、少女でした。
つまりは愛する、ということなのでしょう。
でも、その人については、特別考えているようではありませんでした。
犬が見た少年の『きもちの動き』は、なにもかもが上手くいかないと怒っていました。
男の子は女の人に会いました。
犬も何回か見たことのある人で、男の子の家の近所に住んでいる人のようでした。
彼女は男の子に飴をいつもくれるのですが、男の子は飴が好きではありませんでした。
女の人の『ほしいもの』は、男の子の笑顔でした。
それも、笑ってくれるだろうと、絶対に思っているのです。
男の子には、その人の気持ちはわかりません。
でも嫌だというと怒られるので、もらったものは口にいれます。
あとは「おいしい」といえば、任務完了です。
女の人の本当に『ほしいもの』は、周囲からの評判でした。
犬が見た女の人の男の子に対する『きもちの動き』は、男の子の横にいる犬と同じでした。
男の子のお父さんに出会いました。
お父さんは仕事の途中で、犬を散歩している男の子を見ると、「家にまで送ろうか?」と尋ねました。
男の子は首を振って、「大丈夫だよ」と返します。
お父さんの『ほしいもの』は、男の子の未来でした。
男の子が大きくなって、いい大人になってほしいと思っていました。
いい大人、というものが、男の子にはよくわかりません。
悪い大人、は、なんとなくわかるのですが、いい大人を男の子は見たことがなかったのです。
お父さんの本当にほしいものは『満足』でした。
お母さんと男の子という家族の中にいて、生涯を満足したいようでした。
男の子には、わかりません。
善い満足と悪い満足がある、とお母さんに言われましたが、男の子には、善い満足も悪い満足も、どちらも同じように思えました。
犬がお父さんに見た『きもちの動き』は、少年のことばかりで、犬なんて目にも入っていませんでした。
男の子と犬はおうちに帰ってきました。
お母さんにお父さんと会ったことをいいます。
そこで、男の子は、お父さんの『ほしいもの』を、うっかりお母さんに話してしまいました。
人の『ほしいもの』は、別の人には言わないことにしていたのに、です。
それをきいて、お母さんは笑顔になって、「いい大人になってね」と男の子にいいました。
お母さんの『ほしいもの』は、お父さんと同じものでした。
男の子もいつかは大人になるのでしょうか。
そのときには、男の子の傍にいる犬はいないのでしょうか。
犬は、男の子にはなつきません。
色も見えないし、テレビだって、犬には見ることができません。男の子に比べて、目が良過ぎるのです。
ですが、男の子の気持ちを、誰よりもわかってくれるのは、その犬でした。
男の子は、なんだか、『いい大人』になることが、悲しくなってきました。