〈二〉
小さな匙で汁をすくい、一口啜る。舌の上に濃厚な旨味が広がった。干した茸の味は、生のものとは比べ物にならないほどよい。それを存分に引き出せたことに、八汰は一人微笑む。満足のいく出来だ。
木々の間から差し込んだ鮮やかな夕陽が、宴の準備に駆けまわる兵たちの足元に長い影を作っていた。軍が陣を張った山中の空き地には、ありったけの糧食が並べられている。
「お、八汰、独り占めか? ずるいぞ」
顔を上げると、湯気の向こうから走り寄る大きな影があった。現れた髭面に向かってくいと眉を上げてみせる。
「……おれが作ってるんだ、味見は特権だろ。もうすぐだから我慢して」
八汰がそう言うと、兵の笠那は不満そうにぐうぐうと鳴る腹を押さえた。
「今日は豪勢だなあ」
湯気を立てる鍋の中では、ふつふつと湯だつ汁の中で、茸と根菜が踊っている。
あるだけ振舞えと指示をしたのが誰かを教えようと口を開いた時だ。
「戦勝記念だぞ? 少しは豪勢にせねば」
同じ鍋に歩み寄りながら答えたのは、まさにその人――朱羅だった。武装を解き、地味な兵服に身を包んでいるのに、彼は不思議と目を惹く。しかし、先ほどまでの鬼気迫る勇猛さが嘘のように、今微笑みから感じるのは温かな親しみだけだった。
「そうですなあ、勝った勝ったで、今日は宴じゃ!」
大きな身体を揺らして笑う笠那を横目に、朱羅は腰に手を当てて片目を閉じた。
「干し肉ばかりでは飽きる。八汰の飯を食べるのも久しぶりだし」
「いや、つい先日も召し上がってましたが、」
三日ほど前に鳥を射って焼いたことをもう忘れたのだろうか。憤慨していると、笠那に背を思い切り叩かれた。
「それより、今日の朱羅様はすごかったのう! 敵の驚いた顔と言ったら! 小国のくせに都倶に喧嘩を売るからこうなるんだ!」
地を揺らすように笑う笠那を見て、朱羅は困ったように形の良い眉を下げた。
「早く終わらせたかっただけだ。無茶をしたとは思っているよ……。それに笠那、敵を甘く見るのはいかんぞ。奈志は確かに小さいが歴史ある文民集落だ」
闊達そうな目元が、すっと翳る。
「まこと、何故このような無謀な真似をしたのか。にわかには信じられん」
「都倶が制圧する口実を作ったようなものですからね」
言葉を吐き、小さく息をついた。都倶国が東の大国である丹を倒して十年が経つ。以降繁栄をほしいままにする都倶に牙をむいたものは、一人で立つことはもうできない。さらに言えば、二百五十の選りすぐりの精鋭から成るこの小軍は、反発する周辺諸民族の制圧を目的としているのだ。これではまるで自ら罠に飛び込むようなものだ。
(力の上で明らかに優る都倶に戦いを挑むなんて、ただ愚かなだけとは思えないが)
「……八汰」
「え、何です?」
胸の奥にわだかまる疑念を振り払い、朱羅の目を見る。
「奈志の長と話をしてくる。一緒に来い。護衛を頼む」
漆黒の朱羅の瞳に、夕陽の紅が差す。ぞわりと心が波立った。
「今からですか?」
「日没の頃にと約束してある。宴が終わる前には戻れよう」
(いつの間にそんな話を)
思わず目を瞬く。朱羅は勝手に汁を椀へ注いで一口啜った。うまい、と笑い、一気に中身をかきこむ。ぼうっとしていると、再び満たされた椀がこちらに差し出されていた。
「ほら、私たちは先にこれだけ腹に入れて、宴は少しお預けだ。……海渡!」
朱羅は振り返って兵の一人を呼んだ。褐色の肌の青年が軽やかに駆け寄り、さっと胸の前で水平に手を重ねた。臣下の礼である。
「お呼びですか」
「今から少し出かける。数刻のうちに戻るつもりだが、それまで宴を頼む」
「ええ? 朱羅様がいなきゃ、半分も盛り上がらないと思うんですけど」
海渡が肩をすくめるのを見て、朱羅はにやりと笑った。
「だからお前に頼んでいるのだ。私が戻るまで場を白けさせたら許さんぞ」
朱羅の言葉に、海渡も調子よさげに眉を上げてみせる。
「かしこまりました。でも、酒がなくなってても文句は言わないでくださいよね、って、い、痛た! 痛い!」
「ほう、恐れ多くも都倶長子にその態度とは、いい度胸だな」
言うと同時に海渡の耳をつねり上げ、朱羅は唸った。
「わかりましたって! ちゃんととっておきますから!」
「物分かりが良くて嬉しい限りだ。お前たちと飲むのも楽しみにしている」
耳を押さえる海渡を見て明るく笑い、朱羅はこちらへ向き直る。視線がかちりと合う。直後、颯爽と歩み出した彼を、八汰は慌てて追った。