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指切りげんまん  作者: 田中芽生
9/11

抱きしめることしかできない

 ビルの間から見える青空に、オレンジ色の光が混ざり始めたころ。わたしは、渋谷にあるレコーディング・スタジオの前にいた。

「この後、軽く飲むから……六時にスタジオの前でいい?」

 と、あやちゃんから電話があったのが午後の四時過ぎ。『お疲れさまの打ち上げか……流れなくてもいいのかな』と思いながらも、わたしは久しぶりのデートにテンションが上がっていた。

 スマートフォンをいじりながら、待つことしばし。

 スタジオの玄関から、あやちゃんが五十代ぐらいの男性と一緒に出てきた。わたしを見つけて駆け寄ってくる。

「お待たせ! 待った?」

 と、あやちゃん。

「ううん、少し前に着いたところ。こちらの方は、もしかして……」

「プロデューサーの山口良介さん。山口さん、こちらが小説家の片岡美咲さん」

 と、あやちゃん。わたしを〈小説家〉だなんて紹介するものだから、柄にもなく照れてしまった。

「初めまして、片岡です」

「山口です。彩香から、お話は伺ってますよ」

 と山口さん。

「え? あやちゃん、山口さんに何を話したの」

「幼なじみが小説を書いてるって、言っただけよ」

 幼なじみって少し無理があるんじゃ……と思ったら、顔に出ていたのだろうか。山口さんが、おかしそうに笑いをかみ殺してから、

「彩香、片岡さんは年下だよな? 幼なじみはないだろう?」

 と言った。

「だって、私が小学生のころに知り合ったんだもん」

 と、あやちゃんはすまし顔。

「確かに、今となっては幼なじみかもしれないですね」

 と、わたしが言うと、山口さんは少しためらいながら、

「実は……オレのところに『川村彩香が女性と付き合っている』という、匿名のメールが届いたんです」

 と言った。

「えっ?」

 わたしたちは、同時に驚きの声を上げてしまった。

「片岡さんが彩香の彼女なんですね? すぐに分かりましたよ」

 と山口さん。穏やかな表情で、わたしを見た。

「………」

 わたしは何も言えなかった。

「彩香。こんなことでオレは動揺しないよ。ここ数年、カミングアウトをするゲイも増えてきているしな」

 と山口さん。そして、

「でもレズビアンは、まだまだ市民権を得ていない。マスコミにだけは気をつけてくれ」

 と続けた。

「山口さん……いいの?」

 と、あやちゃん。

「いいって、なにが」

「認めて、くれるの?」

「久しぶりのレコーディングを支えてくれたのは、片岡さんなんだろう?」

「……うん」

「じゃあ、オレが言うことは何もないよ」

 と言って山口さんは、あやちゃんの肩をポンとたたいた。

「この話はオレが握りつぶす。大丈夫、彩香と片岡さんのプライベートは守ってみせるから」

「ありがとうございます」

 わたしは山口さんに頭を下げた。

「やめてください、片岡さん。彩香をよろしくお願いします。オレにとっては妹のような存在なんです」

「はい、分かりました」

 と、わたしは答えたものの、本当は、どうしたらいいのか分からなかった。

「今度、ゆっくり飲みましょう」

 と言って帰っていく山口さんの後ろ姿を見送りながら、あやちゃんの手をギュッと握った。


 一時間後。わたしたちは、あやちゃんの家にいた。

 青山辺りのレストランで食事でもと思っていたのだけれど、どうしても周りの目が気になってしまう。それで家で飲むことにしたのだ。

 テーブルの上に並んだのは、デパ地下で買ってきたお総菜。お酒は、あやちゃんが「とっておき!」と言って、ワインセラーから取り出してきたピンドン、ドン・ペリニヨンのロゼだ。

「お疲れさま!」

 と言ってグラスを合わせたものの、せっかくのピンドンがおいしく感じられない。わたしもあやちゃんも口が重い。

 やっと出た言葉は、あやちゃんの「大丈夫よ」だった。

「きっと、わたしの再デビューを快く思ってない人の、当てずっぽうの嫌がらせよ」

「それならいいんだけど」

「一〇年も、ファンのみんなを放っておいたから……反対する人もいると思っていたの」

 と、あやちゃんは自分に言い聞かせるように言った。

「でも……ほとんどのファンが、あやちゃんの歌を聴きながら『もしかしたら、いつか……』って、待つともなく待っていたんだよ」

 と、わたし。

「うん、痛いほど感じてる」

「みんな、あやちゃんを本当に愛しているし、楽しみにしているんだ」

「うん……」

 あやちゃんは、グラスに口をつけた。

「ねえ……考えていたんだけどさ」

 と、わたし。グラスのピンドンを一気に飲み干してから、

「明日、自分の部屋に帰るよ。で、少し様子を見よう」

 と言った。

「様子を見るって……なにを?」

「メールのその後。少しの間、会うのを控えたほうがいいんじゃないかな」

「嫌よ! なんで会っちゃいけないの? 悪いことはしてないわ!」

 あやちゃんが、わたしの腕をつかみながら言った。

「もし、ウワサが広まっちゃったらどうするの? 山口さんだけじゃない、ほかのスタッフにも迷惑がかかるんだよ?」

 と、わたしは言った。

 あやちゃんの再デビューには、多くの人が関わっている。失敗に繋がる可能性をなくしたいとは、関係者なら誰もが考えるだろう。

「でも……山口さんは私たちの味方よ」

「分かってる。だからこそ、少しの間だけ……」

「……私のこと、嫌いになった?」

「そんなこと、あるわけがない!」

「じゃあなんで!」

 あやちゃんが、わたしの胸に顔を埋めたとき、わたしのスマートフォンが鳴った。放っておこうかとも思ったけれど、手にとって画面を見た。洋子だった。わたしは、渋々、電話に出て、

「……もしもし」

 と言った。

「ごめんね……」

 と洋子。やっと聞き取れるような声だ。

「なんのこと?」

「本当にごめん……彩香さんにも謝っておいてね」

「洋子、まさか……」

「さようなら、美咲」

 と言って、洋子は一方的に電話を切った。

「どうしたの?」

 と、あやちゃんが顔を上げて言った。

「洋子から……様子がおかしい」

「え?」

「ごめんね、さようならって……」

 わたしは、あやちゃんの顔を見ながら言った。あやちゃんの表情が、みるみるうちに険しくなった。

「嫌な予感がする」

 わたしは、バッグとスマートフォンを持って玄関へ。

「待って、美咲。私も行く」

 わたしたちは洋子の部屋へと急いだ。


 運よく大通りでタクシーを拾えたわたしたちは、二〇分ほどで洋子のマンションに着いた。

「部屋にいなかったら、どうしよう?」

 あやちゃんが、わたしの手を握りながら言った。

「スマホにも普通の電話にも出ないし、会社にもいない……探すしかないよ」

 と、わたし。

 洋子の部屋の前へ。インターホンを押すが応答がない。ドアノブを回したら、ドアが開いた。洋子の靴が脱ぎ捨ててある。

「洋子、いるんだね? 入るよ?」

 わたしとあや姉ちゃんは部屋の中へ。

 リビングに行くと、ソファに洋子のバッグが放り出されていた。テーブルの上にはスマートフォン。

「洋子ちゃん、どこ?」

 あやちゃんが寝室をのぞいたけれど姿がない。わたしは、おそるおそる浴室のドアを開けた。

「洋子!」

 そこには手首を切って、浴槽に腕を突っ込んでいる洋子の姿があった。

「しっかりして、洋子!」

 頬をたたいても目を開けない。わたしは浴室に飛び込んできたあやちゃんに向かって、

「救急車! 急いで!」

 と叫んだ。


 洋子は睡眠導入剤を大量に飲んでから、手首を切っていた。

「思ったより傷は深かったんですが、大丈夫です。胃も洗浄しました。念のため、二・三日、入院したほうがいいでしょう」

 と医者が言った。

「ありがとうこざいます」

 わたしたちは頭を下げた。

 ストンと、あやちゃんがベッド脇の椅子に座った。ホッとしたのだろう。全身の力が抜けてしまったみたいだ。

 あやちゃんは眠っている洋子の頭をなでながら、

「洋子ったら……心配かけて……」

 と言った。

 やっぱり洋子って呼んでいたんだなと思いながら、わたしはあやちゃんの肩に手を載せた。

「あ……ごめん」

 と、あやちゃん。

「なにが?」

「洋子ちゃんのこと、呼び捨てにしちゃった……」

「そんなこと、気にしなくていいから」

 もう午前零時を回っている。会社には朝になってから休みの電話を入れるにしても、ご両親には連絡したほうがいいんだろうか……そんなことを考えていたら、洋子が目を覚ました。

「う……ん……」

「洋子ちゃん、大丈夫?」

 と、あやちゃん。

「彩香……さん、美咲……。ここは……病院?」

「うん。二・三日、入院だって。おとなしくしてるんだね」

 と、わたし。

「ごめんなさい……」

 と言って、洋子は布団を被ってしまった。

「謝るくらいなら、こんなことしないで」

 あやちゃんが泣きそうな表情で言った。

「だって、どうしていいか分からなくて……自分が嫌になっちゃって……」

 と洋子。やっと聞き取れるような声だ。

「あやちゃんのこと、まだ好きなんだね」

 と、わたし。

「……分かんないよ……」

「山口さんに、私たちのことをメールしたのは……洋子ちゃん?」

 と、あやちゃんが尋ねると、洋子はコクリと頷いた。わたしはため息をついてから、

「あやちゃん、今晩は洋子についていてあげて。わたしは帰るね」

 と言って病室を出た。

「美咲、待って」

 と、あやちゃんの声。振り返ると、泣きそうな表情のままで私を見ている。

「帰るって……どこに帰るの?」

「あやちゃんの家に帰るよ」

 あやちゃんはホッとした表情を浮かべて、

「ホントね? 帰ったら家にいるわね?」

 と言った。わたしは、あやちゃんを軽く抱きしめてから、

「うん、ちゃんと待ってる。洋子を頼んだよ」

 と言い、病院を後にした。


 あやちゃんの帰りは夜が明ける前。思いのほか早かった。

「洋子ちゃんが彼氏を呼んでほしいって言うから……。連絡して、来るのを待って帰ってきたの」

 あやちゃんは疲れ切った様子でソファに身を沈めた。

「彼氏……そうか、そうだよね」

 わたしは、あやちゃんの隣に座って肩を抱いた。

「彼氏には、私とのことも話したんだって」

「そう……」

 全部、知った上で付き合っているなんて、よっぽど洋子が好きなんだろう。

「洋子ちゃん、彼氏に怒られてたわ。当たり前よね」

 と、あやちゃん。

「大丈夫そう?」

「うん。彼氏、若いのにしっかりしてる。私の出る幕じゃないわ」

 と言ってあやちゃんは、無理やり笑顔を作った。そして、わたしの肩にもたれかかりながら、

「どこにも行かないで……」

 と言った。

「あやちゃん……」

「お願い、ずっと一緒にいて」

 わたしは何も言わずに、ギュッと抱きしめた。

 こんなあやちゃんを放ってはおけない。でも、問題がなくなったわけではない。

 どうするべきなのか、ますます分からなくなってしまった。

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