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指切りげんまん  作者: 田中芽生
6/11

カミングアウト

「いいじゃないですか!」

 編集部の北川さんの声が、電話口から大きく響いた。思わずわたしは、耳から受話器を離してしまった。

「そうですか?」

 悩んだ末に北川さんに提出したのは、「ヒロインが、幼いころ生き別れになった母親を探す」というサイドストーリーがあるプロットだった。

「母親と彼氏への想いで葛藤するところ、どんな風になるのなあ。楽しみにしてますよ」

「ありがとうございます」

 と、わたし。スケジュールを確認して電話を切った。

 それにしても北川さんは、人を持ち上げるのが上手だ。声が大きいのが玉にきずだけど、悪い気はしない。

 さっそく取りかかろうとパソコンに向かったら、スマートフォンにあや姉ちゃんからの着信が。

 まだ午後の二時を過ぎたばかりだ。珍しいな……と思いながら出た。

「もしもし。美咲ちゃん……いま平気?」

「うん。どうしたの、こんな時間に」

「近くまで来てるんだけど、お邪魔してもいい?」

「え? いま?」

 わたしは、部屋を見渡した。足の踏み場のないほど、資料が散乱している。とてもあや姉ちゃんに見せられる状態ではない。

「会って話がしたいの……忙しい?」

「部屋が取っ散らかってるんだよね……この前のカフェにしようよ」

「分かった。じゃあ、待ってる」

 と、あや姉ちゃん。わたしはスマートフォンを切った。

 どうしたんだろう、仕事で何かあったのかな……と思いながら、わたしは支度を始めた。


 あや姉ちゃんはテラス席でアイスティーを飲んでいた。珍しく、カッチリとしたスーツを着ている。社長秘書をしてます、と言っても通りそうな雰囲気だ。

「スーツなんて珍しいね」

 と言いながら、わたしはあや姉ちゃんの向かいの席に座った。

「今日、レコード会社の社長に会ったの。ちゃんとした格好のほうがいいかなと思って」

「それで、緊張気味なの?」

「そんなに風に見える?」

 わたしは「うん」と頷いて、注文を取りに来た奥さんにアイスコーヒーを頼んだ。

 ふわりと、風が通り抜けた。

「お花が綺麗ね」

 と、あや姉ちゃん。長い髪を右手で押さえながら庭を見ている。

 庭では、カーネーションやペチュニア、ラベンダーなどの初夏の花々が風に揺れていた。

「そうだね」

 わたしは奥さんが持って来てくれた、アイスコーヒーを飲んだ。

「ところでさ、話ってなに?」

 と、わたし。あや姉ちゃんは、

「う……ん、何から話せばいいんだろう……」

 と言って、うつむいてしまった。

「どうしたの? 社長さんに何か言われた?」

 と、わたしが聞くと、あや姉ちゃんは顔を上げて、

「ううん、楽しみにしてるって言ってくれたわ。再デビューの日取りも、正式に決まったの」

 と言った。

「よかったね! いつに……」

 と言う、わたしの言葉にかぶせるようにして、

「そんなことを話したいんじゃないの!」

 と、あや姉ちゃんが強い調子で言った。

「え……」

 わたしは、何も言えなくなってしまった。

「ごめん……あの、ね。美咲ちゃんにとって、私は〈お姉ちゃん〉かな、やっぱり」

 と言うと、またうつむいてしまった。

「ど……どういう意味?」

「……私、美咲ちゃんのことが好きみたい」

「………」

「自分から告白するのは初めてで……カミングアウトすら、まともにしたことがなくて……」

 うつむいたまま小さな声で話しつづけるあや姉ちゃんは、まるでティーンエイジャーの女の子のようだ。

「ねえ……何か言ってよ」

 と言って顔を上げたあや姉ちゃんの目には、うっすらと涙が浮かんでいる。

「ご、ごめん……だって、あや姉ちゃんが……」

「女性も好きになるって、思っていなかった?」

 わたしは、声を出さずに頷いてから空を見上げた。雲ひとつない青空が広がっている。

 ふうっと、大きく深呼吸をした。あや姉ちゃんに視線を戻して、

「……いつから、わたしのことを?」

 と尋ねた。

「分かんない」

 と、あや姉ちゃん。

「わたしがビアンだってこと、いつ気がついたの?」

 わたしは、あえて〈レズビアン〉ではなく、レズビアン同士で使われる略称の〈ビアン〉を使った。あや姉ちゃんが〈こっち側の人〉なら、このほうがいい。

「……前に洋子ちゃんから聞いたことがある」

「洋子から?」

 わたしはビックリして聞き返した。

「名前は出さなかった。大学時代の友だちに、ビアンでタチの子がいるって……聞いたことがあるの」

「そうなんだ……」

 そこまで聞いているのなら、飲み会のときに気がついても不思議ではない。

「私と洋子ちゃん……付き合っていたことがあるの。三年前、半年ぐらいだったんたけど」

「………」

 思いも寄らないカミングアウト。言葉が見つからない。

「まだ結婚していたし、彼と修復できるかもしれないとも思っていたから……私から『友だちに戻ろう』って、切り出したの」

「……ということは、あや姉ちゃんも洋子もバイセクってこと?」

「うん」

 二人ともバイセクシュアル……知らなかった。

 なんで、洋子はあや姉ちゃんのことをストレートだといったんだろう。もしかすると、まだ……? そんなことを考えていたら、

「美咲ちゃん。私は〈お姉ちゃん〉以上にはなれない?」

 と、あや姉ちゃんが尋ねた。

「それは……少し時間が欲しい」

 と、わたし。

「………」

「いま、すぐにでも答えたい。だけど、混乱しちゃってるから……この状態で返事をすることはできない」

「そう……そうよね」

「ちゃんと返事をするから、少しだけ待ってて」

 わたしは、あや姉ちゃんの顔を見て言った。

 頬を、爽やかな風がなでた。

 もうすぐ夏が来るんだなと、まったく関係のないことを思った。


「お前から連絡してくるなんて、珍しいな」

 と健吾。スーツの上着を脱いで、わたしの隣に座った。

「悪い、急に呼び出したりして」

 と、わたし。

 あや姉ちゃんと別れた後、わたしは新宿に来ていた。

 久しぶりに新宿二丁目のレディースバーに行こうかとも思ったけれど、思い直して目に入った店で一人で飲んでいた。

 考えれば考えるほど、あや姉ちゃんに告白された嬉しさ以上に、洋子のことが気になる。冷静になれない。

 こういうときは、誰かと一緒のほうがいい。そこで思いついたのが健吾だった。

「何かあったな? 女がらみか?」

「まあ、いいじゃん。とにかく飲もうよ」

 と言って、グラスを合わせた。

「仕事は順調なのか?」

「ボチボチかな。いま新作に取りかかってる」

「これで三作目か」

「うん、そうなるね」

 よく知ってるなあと思いながら、わたしはビールを飲み干した。

「ターキーの水割り、ダブルで」

 と、わたしはバーテンダーに注文した。

「珍しいな、バーボンなんて」

「ちょっと飲みたい気分なんだよ」

「原因は女か」

「うるせえな。黙って付き合えよ」

 と、わたし。健吾は苦笑い。そして、

「お前ってさあ……なんでオレと飲むと、男言葉になるんだよ」

 と言って、ビールを飲んだ。

「スイッチが〈そっち側〉に入るんだと思うよ」

「お前、女だったよな?」

「うん、正真正銘の女だけど?」

「そうは思えねえなあ」

「悪かったな」

 わたしはグラスに口をつけた。


「女は放っておいちゃダメだ」

 健吾が二杯目のビールを注文したとき、ボソッとつぶやいた。

「それは経験上かい?」

「まあな」

 と健吾。そして、

「なんか食おうぜ。……フライドポテトとシュリンプのカクテル、ひとつずつ」

 と、バーテンダーに注文した。

「彼女のいない、お前に言われてもなあ」

 健吾は大学時代、サッカーをしていたせいか、結構モテた。だけど、いざ付き合うことになっても練習や遠征で忙しくて、なかなか彼女と一緒にいられない。結局、フラれてばかりいた。

 それは卒業しても、サッカーが仕事に変わっただけで結果は同じだった。何度、憂さ晴らしに付き合わされたか分からない。

「だから、言ってるんだよ。マメな奴ほど女がいる。逃げられない。これはセクシュアリティは関係ないだろう?」

 と言って、健吾はビールを飲んだ。

 バーテンダーがフライドポテトとシュリンプのカクテルを持って来た。しばらくつついていると、

「この前、洋子に会ったよ」

 と健吾が言った。

「へえ……」

 わたしは平静を装って相づちを打った。

「あいつ、『彼氏ができた』って言ってたけれど、投げやりっていうか、口数が少ないっていうか……様子がおかしかったんだよな」

「ふうん」

 この前もそうだったな……と、わたしは思った。

 洋子は、こと恋愛となると、わたしが水を向けなくてもどんどん話をする。『そこまで話す?』と感じることも多い。

 それがこの前は、自分から話を変えてしまった。

「お前の女って、まさか、洋子じゃないよな?」

「はあ? なんでさ」

「あいつ、バイセクじゃん」

「それ、最近、知ったんだよね」

 と、わたし。健吾は驚いた表情を浮かべて、

「へえ、意外だな」

 と言った。

「わたしが知ってることを、洋子は知らないよ。で?」

「でって……だから、お前が洋子にフラれたのかと……」

「洋子は友だち。残念でした」

 わたしにではなく健吾にカミングアウトをしていたなんて……話しやすいから分からなくはないけれど、少しショックだった。

「じゃあ、誰なんだよ」

 と健吾。

「いまは言えないなあ」

「ちっ、つまんねえの」

「そのうち分かるよ」

 と言って、わたしはターキーを飲み干した。

「まあ、シンプルに行動することだな。お前は考えすぎる」

 と健吾が言った。

「……そうかもなあ」

「カップルができると、その裏には泣いている人が必ずいる。気にしてたらキリがないぞ」

「お、珍しく深い言葉」

 わたしが茶化すと、健吾は、

「たまには格好つけさせてくれよ」

 と言って笑った。

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