真夜中の女子会
あや姉ちゃんの家は、自由が丘の閑静な住宅地にあった。ちょっと気後れしてしまうほどの大きな家だった。
『そういえばご主人は、IT関係の会社の社長さんだったっけ……』と思いながら、おそるおそるお邪魔した。
二〇畳ぐらいはありそうな、広いリビングに通された。
モノトーンでコーディネイトされた、おしゃれな部屋。だけど、どこか整然としすぎているような気がした。
「すぐ用意するから座ってて」
あや姉ちゃんは、わたしたちにソファを勧めてからキッチンへ。長い髪を後ろでキュッと束ねてエプロンを着け、
「何があったかなあ……」
と言いながら冷蔵庫をのぞき込み、トマトとズッキーニ、モッツァレラチーズを取り出した。
「何を飲む? ビールや焼酎は、もういいわよね……ワインにしようか」
と、あや姉ちゃん。
「うん、いいねえ!」
と、わたし。
「そこのパントリーの中にワインセラーがあるから、二人で好きなのを選んで」
腰の高さぐらいのワインセラーを開けると、中にはワインが二〇本ほど保管されていた。雑誌で特集されるようなヴィンテージワインもある。どれにするか迷っていると、
「どれでもいい?」
と洋子があや姉ちゃんに尋ねた。
「いいわよ。ただ、ヴィンテージものは開くのに時間がかかるから……そうね、最初はこの辺でどう?」
と言って、あや姉ちゃんが手に取ったのは、カリフォルニア産の赤ワイン。
「最初?」
と、わたし。
「そ。一本なんて、軽く空いちゃうでしょ」
「あや姉ちゃんって……底なし?」
わたしがあきれ顔で言ったら、洋子が大笑い。
「さすがに美咲は知らないよね。彩香さんって、ものすご~く強いのよ」
「へえ、あや姉ちゃんがねえ……」
「私、何度も潰されたのよ」
と洋子。あや姉ちゃんは苦笑い浮かべながら、トマトとモッツァレラチーズ、ズッキーニをお皿に盛りつけ、ドレッシングを振りかけた。
「あとはどうしよう……そうだ、コンビーフがあるわ」
「もう十分だよ」
「いいから、いいから」
あや姉ちゃんはコンビーフとジャガイモを取り出した。
「すぐにできるわ」
そう言いながら料理をするあや姉ちゃんの顔は、楽しそうに見えた。
「お待たせ!」
と、あや姉ちゃん。エプロンを外して席に着いた。
テーブルの上には、トマトとモッツァレラチーズのカナッペと、丸いお好み焼きのような料理が並んでいる。
「これ、なんていう料理?」
と、わたし。
「ジャガイモのガレットよ」
「へえ……」
「簡単だから、ちょっと何か欲しいなってときに、よく作るの」
と、あや姉ちゃんは言いながら、わたしたちにワインを注いでくれた。
「ご主人が羨まし~い! こんな奥さんが欲しいよお」
と冗談めかして言ったら、あや姉ちゃんの表情が曇った。が、すぐに満面の笑みを浮かべて、
「さ、乾杯しましょ」
とグラスを掲げた。
「何に乾杯する?」
と洋子。
「そうね……じゃあ、真夜中の女子会に」
と、あや姉ちゃん。
「うん、真夜中の女子会に!」
わたしたちは「かんぱ~い!」と言って、グラスを合わせた。
カチンッと、小気味のいい音がした。
「彩香さんは、ものすご~く強いのよ」という、洋子の言葉はダテじゃなかった。
わたしも洋子も決して弱い方ではない。だけど、飲み会でそれなりに飲んだこともあって、二杯、三杯と飲み進めるにつれ、酔いが回ってきた。
そんなわたしたちをよそに、あや姉ちゃんは自分でグラスにワインを注ぎながらおいしそうに飲んでいる。
わたしはあや姉ちゃんの顔をボーッと眺めながら、
「いつも、そんな風に飲んでいるの?」
と尋ねた。
「最近は一人で飲むことが多いから」
と、あや姉ちゃん。
「ふ~ん、ご主人ってば、いつ~も忙しい、ねえ」
と洋子。かなりロレツが怪しい。
「忙しいのかな。最近のことは分からないな」
「え~、なんで?」
と、わたし。
「実はね、離婚したの」
と言ってあや姉ちゃんは、グラスのワインを飲み干した。
「離婚!? そんなの聞いてない!」
洋子がグイッと身を乗り出して、今にもかみつかんばかりに叫んだ。
わたしはあや姉ちゃんが離婚していたことよりも、洋子の様子に驚いて、グラスを落としかけてしまった。
「洋子、そんなに大きな声で言わなくても」
わたしは、少しこぼれてしまったワインを拭きながら言った。
「三か月になるかな……黙っててごめんね」
と、あや姉ちゃん。わたしは洋子を座らせてから、
「ねえ、離婚の理由は何だったの?」
と尋ねた。あや姉ちゃんはワインをグラスに注ぎながら、
「すれ違い、とでも言えばいいのかなあ」
とポツリ。そして、
「一応、社長だから忙しい人ではあるんだけど、ここ二、三年、出張がやたらと増えたのよ」
と言った。
「出張かあ……」
と、わたし。
「おかしいと思いながら、詮索はしないでいたの。半年ぐらい前かな、女性から電話がかかってきて、ご主人を愛しています、別れてくださいって言われちゃってね」
あや姉ちゃんは早口で言った。
「昼メロみた~い」
と洋子。そして、あや姉ちゃんのそばにあったワインボトルをつかみ取ると、自分のグラスになみなみと注いで一気に飲み干し、
「それで、あっさり引き下がったってわけ?」
と語気を強めて言った。
「洋子、飲み過ぎだよ!」
わたしは、洋子からグラスを取り上げた。
「あっさりねえ……そうなるのかなあ……。相手の女性、妊娠したって言うし、わたしたちの間には子どもはできなかったし」
と、あや姉ちゃん。
「子どもかあ……う~ん……」
結婚生活ならイメージできるけれど、子どもとなると……愛する人と自分のDNAを受け継いだ子どもを設けることのできない、レズビアンのわたしにはお手上げだ。
「彼を問い詰めたら、もう付き合って五年ぐらいになるって言うのよね」
「そんな長い間」と言いかけたわたしは、ハッとして口をつぐんだ。
夫婦にしろ、恋人同士にしろ二人だけの暗黙のルールのようなものはあるだろうし、二人にしか分からないこともある。気がつかない振りをすることで、物事がうまく運ぶことも多いだろう。
あや姉ちゃんは、わたしにほほ笑みかけながら、
「美咲ちゃんの言いたいことは分かるわ。私たちは、軌道修正をするタイミングを逃したのよ」
と言った。そして、
「子どもは欲しい、許してくれって土下座されちゃってね……一気にシラけちゃった」
と続けた。
「それで別れたんだ」
「冷めると早いのよ、私」
「それはあ、分からなくも……ない」
と言うと洋子は、テーブルに突っ伏してしまった。
「もう、しょうがないなあ……洋子? 大丈夫?」
わたしは洋子の肩をたたきながら言った。
「また潰しちゃったみたいね」
と、あや姉ちゃん。そして、
「洋子ちゃんは寝かせたほうがいいわね。美咲ちゃん、手伝って」
と言って腰を上げた。