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指切りげんまん  作者: 田中芽生
2/11

再会

「実はね、美咲の大好きな人を呼んでいるの」

 と洋子が言った。

「大好きな人って? 誰?」

 わたしは辺りを見回しながら尋ねた。

 売れないライターをしながら小説を投稿していたわたしが、ようやく引き寄せた作家デビュー。大学時代の友だちが東京・渋谷のレストランバーで、ささやかな祝いの席を設けてくれた。

 飲み会の会費すら用意できないような、貧乏生活をしていたわたしを何かと気づかってくれた、大切な仲間たちが顔をそろえている。

「ちょっと待ってね」

 と言って洋子は、スマートフォンを取り出して電話をかけ、

「洋子です。ごめんね、待たせちゃって……うん、奥の席だから」

 と言って切った。

 しばらくすると入り口の方から、スレンダーな美人がピンク色の花束を抱えて近づいてきた。

 軽くウエーブのかかったロング・ヘア。濃いベージュのスプリングコート、白いニットにジーンズ。

 みんなの視線が彼女に集まり、どよめきが起きた。

 その優しい笑顔に再び会えることを、わたしは何度、夢に見たことだろう。

 元歌手の川村彩香さん……いや、幼いころ、わたしを妹のように可愛がってくれた〈あや姉ちゃん〉だった。


「美咲ちゃん、大きくなったねえ! 見間違えちゃったわ」

 ニッコリとあや姉ちゃんが笑った。そして、

「作家デビュー、おめでとう。スイートピーが好きなのね。知らなかった」

 と言って花束を差し出した。

「あ、ありがとう……あや姉ちゃん……」

 わたしは、あっ気にとられたまま花束を受け取り、ぼんやりとあや姉ちゃんを見た。そして、

「大きくなったねって……わたし、もう三一歳だよ」

 と、なんとか笑顔を作った。

「あや姉ちゃんって、言った?」

 洋子がわたしの耳元でささやいた。「ワケが分からない」とでも言いたげだった。当然だろう。「川村彩香のファン」としか言っていなかったのだから。

「おい、美咲。親せきなのか?」

 洋子の隣でグラスを持ったままフリーズしていた健吾が尋ねた。

「ううん、子どものころ近所に住んでいてね。よく遊んでもらったんだ」

 と、わたし。

「お父さんのお仕事の関係で引っ越しをしたのは、わたしが中学生のときだったかな?」

「わたしが小学二年生のときだったから……たぶん、そう」

 指折り数えながら、わたしは答えた。

「ひど~い! 教えてくれてもいいのに!」

 洋子はオーバーに〈プウッ〉と頬をふくらませて、スネて見せた。

「それは、わたしのセリフ! 洋子こそ、いつ、あや姉ちゃんと知り合ったのよ」

 わたしは洋子を小突いた。

「そうだよ、それこそ教えてくれてもいいのにさ」

 と健吾。そうだ、そうだと、他の友だちも洋子を責め立てる。

「それよ、それ。話すと、こんな風になると思ったのよ」

 と洋子。そして、

「私が彩香さんと初めて会ったのは、就職したてのころよ。最初の仕事が、彩香さんの広報担当をしている先輩のアシスタントだったの」

 と言った。

 卒業後、洋子は音楽関係の会社に就職した。だけど、「川村彩香さんの仕事をしている」なんて、ひとことも言わなかった。

「右も左も分からない私に、とても優しくしてくれて……それ以来のお付き合いなの」

 と洋子。

「そうなんだ……」

 と、わたし。

「洋子ちゃんの言う美咲ちゃんが、私が知ってる美咲ちゃんだって分かったとき、私も驚いたのよ。それで、『これは、二人とも驚かすしかない!』って思っちゃったの。黙っていてごめんね」

 と、あや姉ちゃん。そして、

「美咲ちゃん、よく頑張ったね」

 と言いながら、私の頭をクシャクシャッとなでてくれた。

 その触り方が引っ越しの日と同じで、涙が出てきた。



 わたしの名前は片岡美咲、三一歳。自作の小説が本屋に並んだばかりの……フリーライターだ。

 私の家族は、父の仕事の関係で三、四年ごとに引っ越しをしていた。

 幼稚園に入園する直前の春。東京・世田谷にあるマンションに移り住んだ。

 ダンボールで埋め尽くされた新居では、両親はもちろん四歳上の兄も片づけに忙しくて、わたしの相手をしてくれなかった。

「外で遊んでおいで。遠くに行っちゃダメよ」

 と、母に体よく追い払われたわたしは、マンションの前にあった公園に出かけた。

 砂場で遊び始めたら、

「一人で来たの?」

 と知らないお姉ちゃんに声をかけられた。兄よりも年上に見えた。そのお姉ちゃんはわたしの横にしゃがんで、

「どこから来たの?」

 と尋ねた。

「今日、引っ越してきたの」

 わたしは大きなトラックが横付けされているマンションを指さした。

「そうなんだ。お名前は?」

「みさき。かたおかみさきっていうの」

「みさきちゃんね。私は、かわむらあやか。よろしくね」

 お姉ちゃんはニッコリ。わたしは、その顔をジッと見つめて、

「あや姉ちゃんって、呼んでいい?」

 と言った。


 以来、わたしは幼稚園が終わると、公園であや姉ちゃんが通るのを待つようになった。

 学校のクラブや習い事もあって忙しかったはずなのに、しょっちゅう、わたしの相手をしてくれた。あや姉ちゃんの友だちと一緒に遊んでもらうことも多かった。

 公園を挟んで向かいにあったあや姉ちゃんの家にも、よく遊びに行った。

 大きな一軒家で、広いリビングにはグランドピアノがあった。

 幼稚園で習った童謡や流行りの歌を弾いてほしいと頼むと、あや姉ちゃんはたいていの曲を、楽譜を見ないで弾いてくれた。

 そんな風にしていつも一緒にいるものだから、知らない人には姉妹に間違われた。

「いっそのこと、私の妹になっちゃう?」

 あや姉ちゃんに冗談めかして尋ねられる度に、わたしは

「え~、どうしようかなあ……」

 とマジメに考えた。妹でもいいけれど何かが違う、と感じていたのだ。


 そして、小学二年生の夏。再び引っ越しをすることになった。

「手紙、書くから書いてね。約束だよ!」

 〈指切りげんまん〉までしたのにもかかわらず、手紙を書くペースは次第に減っていった。

 手紙のやりとりが途絶えて久しくなったある日、テレビに見覚えのある笑顔が映った。

 アイドル歌手としてデビューしたばかりの、あや姉ちゃんだった。


 当時、あや姉ちゃんは一七歳。ちょっとボーイッシュなお姉さん、という雰囲気をまとっていた。

 あや姉ちゃんの歌声は子どものわたしですら分かるほど、アイドル歌手離れしていた。容姿と歌唱力のアンバランスさに、多くの人がとりこになった。

 わたしも、あや姉ちゃんの歌を聴いてはいたけれど、その歌が本当の意味で心に染みたのは中学二年生。自分のセクシュアリティに気がついたときだった。

 相手はクラスメイトの女の子。告白なんてできるはずもなく、友だちの仮面を被っているしかなった。周囲の友だちはもちろん、自分さえも騙している気分になった。そんなとき、

「あなたは一人じゃないわ」

 というあや姉ちゃんの歌が支えになった。

 わたしが高校一年生のころ、あや姉ちゃんは、すべての曲を自身で作詞・作曲するようになっていた。

「自分のことを諦めないで」

 そんな歌詞が心を揺り動かした。

 大学生のとき、初めて女性と付き合った。洋子と一緒に参加していたサークルの先輩だった。洋子や健吾たちにカミングアウトをしたのは、このときだ。

 あや姉ちゃんのラブ・バラードが、まるで二人のためにあるように思えた。

 わたしの卒業と同時に彼女と別れ、わたしは編集プロダクションに就職した。

 その一年後、あや姉ちゃんは結婚。惜しまれながら引退した。



 あや姉ちゃんの登場で、飲み会は多いに盛り上がった。

 盛り上がりすぎて、一人、二人と潰れていき、気がついたときには、千鳥足なのに「歩ける、一人で帰る」と言い張る健吾と、わたしと洋子、あや姉ちゃんの四人だけになっていた。

 わたしと洋子は、やっとの思いで健吾をタクシーに押し込んだ後、

「ほんと~に、ごめんなさい」

 と、あや姉ちゃんに頭を下げた。

「気にしないの。こういうの、慣れてるし」

 と、あや姉ちゃん。そして腕時計に目に落として、

「一〇時過ぎなのね……まだ大丈夫? ウチで飲み直さない?」

 と言った。

「え、いいの?」

 と、わたし。

「ご主人が待っているんじゃない?」

 と洋子。

「いないの。だから気兼ねはいらないわ」

 あや姉ちゃんの申し出に、わたしは戸惑った。

 こんな時間にお邪魔して飲み直すとなると、泊まらせてもらうことになる……あや姉ちゃんが結婚しているとはいえ、いや結婚しているからこそ、してはいけないことのように思えた。

「どうしたの、美咲ちゃん。遠慮しないで」

 と、あや姉ちゃん。

「せっかくだもの、呼ばれることにしようよ」

 洋子の口調は優しかった。けれど、その表情はビックリするほど真顔で、「断ったら、ただじゃおかない」とでも言いたげだった。

 わたしは考えるそぶりを見せてから、

「じゃあ、そうしようか」

 と言って笑顔を作った。そして、

「ねえ、何か作ってよ。ちょっと、お腹が空いちゃった」

 と言って、あや姉ちゃんの顔をのぞき込んだ。

「美咲ちゃんってば……太るよ?」

 あや姉ちゃんは苦笑い。

「いいの、いいの! 明日からダイエットするし」

 と、わたし。タクシーを止めて、

「さ、行こう!」

 と言った。

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