指切りげんまん
一〇月一日、午後五時。渋谷。
ハチ公前で健吾と落ち合った後、ライブハウスへと向かった。
ライブハウスの前にある広場に着いたら、大勢の人たちが開場を今や遅しと待っていた。
「うわっ、すげえ……」
と健吾が、驚きの声を上げた。
チケットを握りしめて緊張気味に入り口を見つめる人、友だち同士であやちゃんの話に花を咲かせる人、一〇年前の引退ライブのTシャツを着ている人……みんな〈川村彩香〉の再デビューを一日千秋の想いで待っていたのだ。
「これ……全員入りきるのか?」
と、わたし。
「たしか、ここのキャパ、一七〇〇人だったと思うよ」
「チケットを取れなかった人も多かったって話だぜ。凄いよなあ……」
と話をしていたら、後ろから「美咲?」の声。振り返ると、洋子が彼氏と一緒に立っていた。
「洋子! 元気だった?」
「うん、連絡しないでゴメン……」
洋子はバツが悪そうだ。
「どうも、この前はいろいろと……」
と洋子の彼氏。
「いいえ、こちらこそ」
と、わたし。一瞬の間。微妙な空気が流れた。察した洋子が思いっきり笑顔を作って、
「健吾と一緒に彩香さんのライブに来るなんてさ、ほかに誘う人、いなかったの?」
と、おどけた口調で言った。
「何だよ、その言い方は」
と健吾は苦笑い。
「山口さんに、チケットをもらったんだよ」
「山口さん? 彩香さんじゃなくて?」
と洋子が言うと、健吾が洋子を小突いた。
「お前、知らないのか?」
「なにを?」
と小声で話している。わたしは二人の話を無視して、
「洋子たちは、どうやってチケットを手に入れたの?」
と尋ねた。
「僕が、あらゆるコネを総動員したんです」
と洋子の彼氏。そして、
「ライブに行けば彩香さんに会えるかもしれないですし、そうすれば洋子のわだかまりも取れるかと……」
と言った。
「いい彼氏じゃない」
と、わたし。
「でしょう? 私にゾッコンなのよ」
と言って、洋子は彼氏に抱きついた。
「こんなところで、見せつけないの」
と、わたしが言ったとき、
「間もなく開場します。番号順にお呼びしますので、呼ばれた方から順に入場してください」
というアナウンスが流れた。
「せっかくだもの、一緒に観ようよ」
と洋子。チケットを見ると、似たり寄ったりの番号だった。
「そうしようか」
わたしたちはライブハウスに飲み込まれていく人波を眺めながら、自分たちの順番を待った。
オールスタンディングの会場は、熱気に包まれていた。わたしたちは後方のブロックに陣取った。
「もうすぐね」
と洋子が言った。
「うん……」
と、わたし。嬉しいけれど切ない、楽しみだけど苦しい。いろいろな感情が入り混じり、言葉が出てこない。
「お前さ、大丈夫か?」
と健吾。
「どうかな」
と、わたしが言ったとき会場が暗転して、ステージにスポットライトが当たった。
耳をつんざくような歓声がわき起こった。
ライブは、昔のヒットメドレーでスタートした。
あやちゃんは、とびきりの笑顔でファンの声援に応えている。
わたしは『よかった、歌えてる』と思いながらステージを見ていた。
メドレーが終わり、あやちゃんはステージの中央へ。
「お久しぶりです、川村彩香です。一〇年ぶりに戻ってまいりました!」
と言って頭を下げた。
「お帰りなさい!」
「待ってたよ!」
という声が会場のあちこちから上がった。
「ありがとう。私もみんなに会いたかったよ!」
と笑顔で言った。
「次は新曲を聴いてください。今日、発売になったアルバムの中から『逢いたくて』」
わたしは『うわっ、この曲を歌うのか』と、頭を抱えたくなってしまった。
これは、あやちゃんが歌詞を考えているときに、
「美咲、これ、どう思う?」
と言って見せてくれた曲だ。
「………切ない歌詞だね。バラード?」
「うん、しっとりとしたメロディーが浮かんだの。切ない系でいこうと思って」
「素敵な歌詞だと思うよ。心が痛くなる人もいるだろうけれど」
「美咲も痛くなる?」
「今は、あやちゃんがいるもの。平気だよ」
なんて話をしたのを思い出す。
あやちゃんの、しっとりとした切なげな歌声。透き通るように綺麗だ。
『本当に痛いな……』と思って顔を伏せたとき、あやちゃんの歌声が、一瞬、途切れた。
驚いてステージを見ると、いまにも泣きそうな顔で歌っている。何とか涙をこらえている。だけど、次第に涙声になってきた。
会場から「彩香ちゃん!」、「頑張れ!」の声がかかったけれど、とうとう歌えなくなってしまった。
あやちゃんはバッグバンドに演奏を止めさせ、涙をぬぐった。騒然としているファンを制してから、
「みんな、ごめんね……」
と頭を下げた。そして、
「一〇年も待っていてくれたのに……私も歌いたい……」
と言った。そして、ひと呼吸おいてから、
「美咲……来てるんでしょう?」
と言って、ステージの前の方へと出てきた。
「私、美咲がいないと歌えない……幸せになれない……」
会場にいるファンが辺りを見回し始めた。
「世界でいちばん幸せじゃなかったら、迎えに来るって約束したじゃない。お願いだから、そばにいて。私を一人にしないで」
と言うと、ステージに座り込んでしまった。
あちらこちらから「ミサキって誰だ?」、「彼氏が来てるの?」という声がする。
駆け寄って抱きしめたい。だけど……そう思っていたら、
「片岡さん、出番ですよ」
と、後ろから声がした。山口さんだった。
「あの甘えん坊を、何とかしてください。後はオレに任せて」
と山口さん。
「でも……」
「ぐだぐだ言わずに、早く行け!」
と健吾。
「そうよ、こうなったのも美咲のせいなんでしょ?」
と洋子が、オーバーにふくれっ面をして見せた。
「まったく……しょうがないなあ……」
わたしは、こみ上げくる涙をこらえながら、
「彩香! いま行く!」
と叫んだ。
周りにいる人たちが、驚いた表情でわたしを見ながらも、道を開けてくれた。
わたしは、ゆっくりとステージに向かって歩き出した。
わたしと彩香にスポットライトが当たっている。客席はシンと静まりかえっている。
彩香が涙をぬぐってから、
「私がいちばん愛している人です。みんなは二番目なの、ごめんね」
と言うと会場から、
「いいよ、二番目でも!」
と声がかかった。彩香は涙を浮かべたまま、とびきりの笑顔を見せた。
わたしにマイクを手渡しながら「美咲からも、みんなに話して」と言った。
会場にいる全員の目が、わたしに集中する。心臓が破裂するのではないかと思うほど、ドキドキし始めた。
「彩香さんを愛しています。わたしは何を言われてもかまわないんで……彩香さんの味方でいてください」
と言って頭を下げた。会場にいるみんなからは、
「幸せしなきゃ、許さない!」
「もう二度と泣かせるな!」
との声が。思わずわたしは、
「幸せにします!」
と叫んでしまった。
「じゃあ、約束して。昔みたいに」
と言って、彩香が右手の小指を差し出した。
「うん」
と、わたし。右手の小指を差し出した。
「指切りげんまん、嘘ついたら、針千本の~ます!」
わたしは、
「愛しているよ、彩香」
と言って、思いっきり抱きしめた。
(了)
作者の田中芽生です。お読みいただきまして、ありがとうございます。
プロット(らしきもの・笑)はあったのですが、途中から美咲と彩香の自己主張が激しくなってしまい、〈天の声〉である私は、少々、困りました(笑)。
当初の予定とは違う結末となりましたが、これはこれでよかったと思っています。
美咲・彩香・洋子の物語はこれで完結です。つたない小説ではありますが、お楽しみいただけますと嬉しく思います。
また、ご感想等もございましたら、お気軽にお寄せください。




