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四話


夜。

昨晩シルヴィアと約束したのを漸く思い出し、春斗はジゼルの姿に着替えて静かに目をとじた。

思い描いたのは昨晩落下した美しい庭。

ふわっ、と春斗の髪の間に柔らかい風が吹き抜けてゆき、再び目を開くとそこはシルヴィアの邸宅だった。


昨晩と同じようにテラスに座っていたシルヴィアは、なるべく悲鳴を出さないようにと両手で口を押さえていたが、やはり驚いていた。突然眺めていた庭にジゼルが現れたのだ、無理もないだろう。

そして春斗が数歩歩み寄ると、小さく笑ってシルヴィアは微笑んだ。


「約束、破るのかと思ったわ。泥棒さんだし」

「ひどいですね、善良な泥棒に向かって」


春斗は、シルヴィアの向かいにある椅子を引き寄せ、彼女に顔が見えるように座り、顔を上げた。


「それにしても…どうして私なんかに来て欲しいと思ったんですか?私は、あなたが言うように、泥棒ですよ?」

「…私、家を出たことがないの。生まれて何度かしか…。足が悪くて…それで寂しくて…つい」


長い上品なワンピースから伸びた足が春斗の視界に入る。その足は長らく使っていない事を示すようにしなやかで美しく、そして弱弱しかった。

春斗は苦い表情をしながら、シルヴィアの足を眺めていたが、やがて彼女に視線を戻す。

彼女は春斗ではなく、どこか遠くを見つめていた為、視線を追う。


その視線の先には見たこともないような美しい楽器が部屋を占領するかのように置かれている。春斗はその美しさと珍しさに息を飲み、シルヴィアに尋ねる。


「あれは…?」

「お父さんがくれたの。私が寂しがらないようにって、随分前に。でもあのピアノは見ての通りガラスでできているから、弾くことはできないの。音は通らないし、鍵盤を強く叩くこともできないから」

「その…お父さんは?」

「海外に出張で…貿易会社の偉い人…なんだって」


ぽつぽつと思い出すように呟きながら、シルヴィアが答える。母親は?と聞くのが何だか躊躇われて聞かなかったがこの調子では母親もいないのだろう。

広い屋敷に、使用人と小さな子供が住まう空間。まるで自分に重ね合わせるようにシルヴィアの境遇を想い、春斗はシルヴィアに手を差し伸べた。


「車椅子に座って、私はあなたのピアノが聴いてみたい」

「えっ?言ったでしょう…あれは…」

「大丈夫です、私を信じて。さあ、」


シルヴィアは躊躇いながらも、ジゼルの手を取り、お姫様抱っこされると車椅子に移動してピアノの前まで自分で漕いでいった。

ピアノは一応は音が鳴るように作られていたが、ピアノとして本格的に使うのは初めてだった。


ポン、と軽い音が鳴る。それはまるでガラスであることを忘れさせるような透き通る澄んだ音で、シルヴィアの指先が自然に鍵盤に寄せられ、音を奏でる。

春斗の力のお陰でピアノが鳴っているとも知らず、シルヴィアは嬉しそうに鍵盤を叩き、演奏を続けた。




「夢みたい、このピアノで音が奏でられるなんて」

「想像すれば、いつだって君のものだよシルヴィア、寂しい時はこれを弾くといいですよ」

「あ…」


演奏が止まり、シルヴィアはぴたりとそれに合わせるように動かなくなる。

ややあってシルヴィアは春斗を見上げて、悲しげな表情をした。


「もう…会えないの?」

「私にも、お仕事があるんです、君と毎日は会えない」

「じゃ、じゃあ、お仕事が少ない日でいいから…お願い…もう数年ぶりなの、こんなにおしゃべりするのは…!」

「シルヴィア…」


両手で春斗の服を掴むシルヴィアに、なんと返すべきか春斗は悩む。

ここで彼女の話し相手になることに嫌悪感はないが、これがいつまでも続いてしまってはジゼルの正体が露見しかねない。

春斗は暫く逡巡し、やがてシルヴィアの指先をそっと解いてやりながら返した。


「毎日は来れない、けれど来れる時にいつでも来ますから、そんな顔をしないで下さい」


安心したかのようにシルヴィアは素直に頷き、帰ろうとする春斗の背中に向かい、声を掛ける。


「もしよかったら…あなたの…あなたの本当の名前を教えて欲しい」


春斗はゆっくりと振り返り、微笑んだ。


「春斗…」


ふっと、名前を告げ春斗はシルヴィアの家から姿を消した。誰もいなくなった庭を見つめながら、シルヴィアは車椅子で少し移動する。


「ハルト…。ハルトっていうんだ…」




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