第一章 海の女
海斗からの呼び出しから数分、指定した通り三年棟まで息を切らして走ってきたジゼルだったが、待っていた相手はそれでも不足、といった様に不機嫌そうな顔で仁王立ちしていた。
彼を一言で形容するならばあどけない少女。
真っ白な肌に淡い髪色。そして大きなくりっとした両目は今はやや怒りによって釣り上がっていて、それすらも愛らしい。改造した制服を着用しており、胸には女子用リボン、スラックスの代わりに半ズボン姿でこれも特注品。身長は背の高い春斗の半分もないのではないかと言うぐらい小さく、つい守ってあげたくなる容姿だろう。
彼こそ、春斗の兄、吾妻海斗なのだが、一見すれば海斗が弟にしか見えない。
不機嫌な様子の海斗に、春斗は恐る恐る尋ねた。
「ごめん…待った?」
「ったく、この俺様を待たせるなんて随分偉くなったもんなだなー?いいから人少ない場所に移動すっぞ」
「もしかして仕事のこと?」
「そうに決まってんだろ、俺がお前にそれ以外の用事で何の理由があるってんだよ、いいからとっととついてこい」
見た目の可憐さからは想像できないような粗雑な言葉でそう返し、海斗は歩き出した。
怒っているのもそうだったが、仕事、という一言で春斗の気持ちはぐっと下がり、小さな背中を見つめて決心したように声を上げた。
「やっぱり僕…嫌だよ…」
「あぁ?何がだよ?」
「そのっ、…泥棒するの…」
「はあ…お前な…この仕事は、誰かが必ずしなきゃなんねーんだよ、5代目ジゼルを継いだ以上、お前はこなす義務があるだろうが」
「そう…だけど…」
「あー!うぜぇ!ぐちぐちぐちぐち女々しく反論してくんじゃねえ!黙れ、殺すぞ!」
見た目のギャップがやはり拭えないが、中々迫力ある声でそう脅され、肩を震わせて黙ってしまった春斗に、海斗はため息をついて再び春斗に背を向け、廊下を睨む。
「泥棒じゃねぇ、そう考えたらいいだろうが」
海斗なりの優しさで声を掛けたつもりだったが、その言葉に暫く逡巡していた春斗は口を開き、でも、けど、だって…と続けるものだから、気の短い海斗は青筋を立てて春斗の上着を引っつかむ。
「あーーーもう黙れ!やっぱり反論すんな!俺お前がほんっっと嫌い!」
随分正反対に生まれたものだ。血の繋がった容姿の似てない兄を見つめて、春斗は暢気にそう思うのだった。
「今回は星ヶ岳美術館。ここのホールに飾ってある海の女、という絵画を盗む…というより祓う」
「絵画…」
「中々絵がでかいからな…俺が今回もアシストするが、今回は盗む、というより祓うことを優先させろ。祓ってしまえば盗む必要もない」
「そっか…うん…」
「地図はこれだ。予告は今日ポストに投函した。警察にバタバタ動き回って頂いて、ヤツを起こしてもらわなくてはならない」
「わかった」
小さな地図を眼鏡に触れ合うほど近くで眺めて、胸ポケットに仕舞い込む。本番に
強い性格なのか、仕事の最中上がったり、失敗することは少ない春斗だったが、まだ経験が浅い為、海斗が毎回アシストをしている。ジゼルのビックマウスっぷりも、全てマイク越しに海斗が代弁している為だ。
「何かあったら連絡しろ、後はいつも通りだ、いいな」
「うん…わかった…けどさ、いつも警察の方々に啖呵切るのはどうかな…」
「うるせぇな!これは代々ジゼルの口上として伝えられてんだよ、お前もいい加減一人で言えるようになれ!」
「えー?あんなに下品ではないと…」
「お前はほんとうるせぇな!」
「痛い!」
ごちん、と拳で脳天を叩かれ、子犬のように叫んだ春斗に、海斗は再びため息を吐き出す。本当に大丈夫だろうか、毎回ながら思う不安に顔はくっ、としわが寄り、幼い顔が急に大人びて見える。
「ともかく決行は今夜八時。部活あるなら早く切り上げてなるべく誰にも見られず屋敷に帰ってこいよ」
「はいはい」