五話
夜、八時。
住宅街は明かりだけを残し、道には数度車が行き来する程度で人影は殆どなかった。
その中でも一番目を惹くような大きな屋敷、大隈邸といえば、こんな夜に明かりの一つも灯っておらず、警察どころか猫一匹の気配すら感じられない。
ジゼルは本日二度目となる静かな屋敷を見上げて困った表情をする。
横に立っていた海斗がじとりとジゼルを見つめた。
「おいおい、静かにもほどがあるぞ…これじゃあ美術品に潜って眠ってる可能性があるぞ…」
「まあ…今回は民家なんだし…盗めばいいんじゃないかな?家で祓った方が何かと楽だし」
「それでもいいけどしくじるなよ…お前はいつまで経っても半人前だからなあ…」
小さな柵でも飛び越えるように今回も身軽に柵を飛び越えたジゼルは、門から海斗に振り返る。今回は警備も薄い為、逃げる際に見られないよう、海斗は見張りを担当する。
まるで空き巣そのもののようで、ジゼルはいたたまれない気持ちで海斗に声を掛けた。
「その…何かあったら連絡するから…」
「あってからじゃ遅いだろーがアホ。何もないように済ませてこい」
「はい…」
電撃に遭わないよう出来るだけ高く飛んだが、足元が何やらぐらつく。もたつくジゼルに海斗は鋭く振り返って告げた。
「あ、そういやぁ大隈は自分の美術品が盗まれないように家を改造してるから罠には気をつけろよ!」
と海斗が全て言い切る前に何か罠が発動したらしく、落下してゆきながらジゼルの声が遠く響いた。
「兄さんこそ遅いよーー!」
腰から盛大に墜落したジゼルは、床が針山でないことをに感謝し、辺りを見渡す。どうやらここはただの落とし穴ではないようで、ちゃんと落ちた人物が死なないようにクッション、そして出口が設けられている。性格が悪い、と言われていたにしては、迷い込んだ子供などの目線に合わせた丁寧ぶりである。
しかしこの出口にしたがって行けば恐らく、塀の外にたどり着く為、ジゼルは壁にゆっくりと足の裏をつけ、垂直になるように歩き出す。これもジゼルの想像が生み出す超常現象、壁を駆けてゆくなどまるでアクション映画さながらだ。
無事落とし穴から身軽に飛び出し、玄関はとんとん、と慎重に進んでゆく。
トラップが発動する前に玄関口に漸くたどり着いたジゼルはなんとなく、ドアを引いてみた。
開くはずもないと思っていたがドアは予想に反してすぐに開き、薄暗い空間が視界に広がる。
「気をつけろよ」
背後の柵、向こう側に居る海斗にそう促され、ジゼルは一度頷き、再び背を向けて歩き出した。
ドアはジゼルだけを受け入れたかのようにすぐに閉まり、重くドアが閉ざされる音を聞きながら、海斗は不安そうに屋敷を見上げるのだった。
入ってすぐ、目が慣れず動けずにいたが、やがて視界がしっかりしてくると、まず目に入ったのは大きな肖像画だった。
一人の人物が描かれているようだが流石に暗くて見えず、ジゼルは辺りを見渡しランプを見つけて灯っている姿を想像し、明かりを生み出す。
かざせば何とかその一枚の肖像画は見ることが出来、その美しさに思わず息を飲んだ。
描かれていたのは女性だった。憂いを帯びた優しげな表情に、幼くも美しい顔立ち。見た目の年齢は大体25~28といった所だろうか。ジゼルは彼女がここの妻であることをすぐに悟り、ランプを一度置いた。
この屋敷はまるで、時が止まっているかのように全てが現代から置き去りにされたように古いものばかりなのにも関わらず、新品のように美しい。
罠があるとわかっていてもジゼルはそのまま肖像画に近づいて妻の姿を目に留めた。
今回はこの妻が一年前に死んでいる為、悪魔となる可能性が高い。悪魔となってはもう姿が分からなくなってしまう。せめてその前にこの姿を記憶に残しておきたい。何故だかそう思えた。
「坊主」
背後からした声に、ジゼルはゆっくりと振り返った。そこに居たのはやはり、大隈だった。
「勝手に屋敷にまで上がりこんできやがって…え?もう警察呼ぶぞ、クソガキ」
「ご自由になさってください、僕は警察と仲良しなのでもうそんなことで怯んだりしません。ですがどうか教えて頂けませんか、あなたは知っているのではありませんか?奥さんの居場所を」
「馬鹿言うんじゃねぇよ、アイツは俺が骨を拾ってやったんだ、ここにいてもらっちゃあ困るんだよ!」
くっ、と大隈が何かスイッチのようなものを押し、ジゼルの体がぐらつく。足元が再びぱっくりと開き、ジゼルは重力に従って落ちてゆくはずだった。だが、
「同じ罠は僕には通用しません、諦めて奥さんの場所を教えて下さい!」
「な、なんだお前は…化け物か…」
落とし穴が開く前となんら変わらないように、浮いている、とも言えずただ立っているジゼルに一瞬驚いた様子の大隈も、ならばと反対の手のボタンを押す。
すると今度はエントランスの階段の両脇のドアが開き、突然大量の水が流れ込む。
「えっ…」
全く予期していなかったこの攻撃にあっさり飲み込まれてしまったジゼルは、高い位置で見つめる大隈を見上げ、ある事に気がついた。
だが気がついたときにはもう遅く、水に深く押し流されたジゼルはそのまま玄関まで流れ着き、ジゼルが完全に外に出るとバタン!とドアが乱暴に閉じられた。
「大隈さん…中々手ごわいですね…」
ずぶ濡れになった衣装をぎゅっと絞りながら、ジゼルが呟くと、流されていたところから見ていた海斗が指をさしてその様を笑う。
「お前だっせぇな!」
「う、うるさいよ兄さん!ご近所さんに気づかれるでしょ!」
ジゼルは一度目を閉じ、意識を集中させると、体を濡れたマントで包み込む。
すると濡れていた体はあっという間に姿を変え、一人の女性の姿が浮かび上がる。マントを脱ぎ去った女性の姿は大隈の妻の姿であった。