四話
「終わった…僕の人生…何もかも…」
机に突っ伏し、まるでこの世の終わりのような顔をぶらさげる友人に、慧は苦い顔をして春斗の背を叩く。登校してきてからずっとこの調子で、慧は恋か何かかと勘違いをして隣に座り慰める。
「そうだよなぁ、辛かったな…春斗…」
「慧は何も知らないでしょ…」
「大丈夫だぞ、春斗!この世にはもっと沢山カワイ子ちゃんがいるんだしな、例えばジゼル…とか!」
「あーうんうんそうだねそうだね、因みに僕は失恋なんかしてないからね…もうほっといて…」
そのジゼルであることを一般人に公表してしまったのだ。彼は性格が悪いと評判だったらしいし、いつ何時バラされてしまうか分からない。もしジゼルの正体がバレたとなれば、屋敷には取材が押し寄せるだろうし、一家もろとも投獄、そしてジゼルはこの世から姿を消してしまう。
家族が代々続けてきた伝統を自分の代でひねり潰してしまうというのは、なんとも責任が重く、こちらがひねり潰されてしまいかねん勢いだ。
春斗はこれまでの人生を振り返りながらひたすら祈る。
どうかまだ兄にはバレていませんようにと。
「あれっ、春斗、お前のケータイ鳴ってるぞ」
春斗はゆっくりロボットのように振り返り、携帯のディスプレイを見つめて神をさっそく恨んだ。
ディスプレイにはいっそ清清しく、吾妻海斗、と記載されていた。
『もしもし、春斗か』
「あ…うん、兄さん…どうしたの?」
『あ、いや、別に用はねぇんだけどよ…お前さ、大隈と会ってなんか思い出したか?』
「えっ…?お咎めなし?」
『あ?咎め?何の?』
「いや…知らないなら…いいのだけど…」
『何か思い出したのかって聞いてるんだよ』
「特には…」
『そうか、じゃあいいわ、さっさと仕事終わらせてこいよ、ったく面倒くせぇなお前に電話するのもよ』
ブツン、といつもながら一方的に通話が遮断され、春斗は腑に落ちない気持ちで携帯をしまう。
海斗は春斗が大隈と接触してきたことを会って思い出したか?という質問で知っているのを暗に示している。
だとすれば盗聴していたか、どこかで見ていたかはしていたのだろうが、自分の正体をバラしたも当然のあの態度に関して何も言ってこないことも気になったし、海斗の質問自体何だったのか気掛かりだった。
春斗は不気味に思いながらもそれ以上考えるのをやめ、どうやら最悪の事態にはならなくて済みそうなことに取り敢えず安堵するのだった。
「春斗?兄ちゃんだったのか?」
「うんそうみたい、はぁーよかった、僕切腹しなくて済みそう」
「…お前の兄ちゃん何者なんだよ…ほんとに…」
「春斗兄様…」
携帯を見つめていた海斗は、背後からぼそりと聞こえてきた一言に驚き、振り返る。
三つ編みがよく映える美しい黒髪をした文学少女、といった出で立ちの肌の白い少女が一人、海斗の後ろにただ立っていた。
その制服は磯城川中学制服で、薄い灰色をベースとしたセーラーにピンクのタイが結ばれた上品な制服。唇を動かしただけで華やかなその美少女に、海斗は苦い表情で頷いた。
「そう、あの馬鹿自分がジゼルだなんて公言するような真似しやがって…まあ大隈の事なら大丈夫だろ…」
「兄様が危惧していらしているのは恐らく、私のことですね?」
海斗は返事しなかった。
肯定する気にもなれない。いや、したくなかったのだ。
海斗はそっと少女近づき、頭を甘えるように胸元に預ける。まるで姉と弟のようだが、兄と妹。
乱れのない三つ編みの房を手に取り、海斗は静かな口調で告げた。
「なあ、今日は屋敷に居てくれ…春斗も喜ぶ」
「はい、わかりました。もとより、私は兄様たちが為…」
「そんなことを言うな…って言ってもお前には意味がないか…雪那…」
曇りの無い湖畔のような美しい青色の瞳が数度まばたきをして細まり、海斗の姿を捉える。
その表情は喜怒哀楽どれも当てはまらない虚無が広がっていた。