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星の進路  作者: 春凪とおる
第4章 星の進路が曲がる

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第32話 水路は半分

アステルの帰還から数日後、東方から具体的な報告が届き始めた。

最初に届いたのは、水路と橋に損傷があるという短い報せだった。

どの水路が壊れ、橋がどこまで使えるのかは書かれていない。


次に、川沿いの低い畑へ水が入ったという報告が届いた。

同じ日の夕方には、橋は人なら渡れるが、荷車は通れないと追記された。

食料も、水路を直すための材木も、橋の手前で止まっている。


報告は届くたびに詳しくなったが、どの知らせも王都へ届くまでに時間がかかっていた。

王宮が読んでいるのは、今の東方ではない。

すでに、数日前となった東方だった。


翌朝、アステルが食堂へ入ると、いつもより一人分多く食器が並べられていた。

その席を見ただけで、誰が来るのか分かった。


「お久しぶりです、殿下」


ユーリスは以前と変わらず、朝食より先に紙束を卓上へ置いた。

麦村へ発つ以前、アステルは幾度も彼と朝食を共にしていた。


焼いたパンを冷ましながら税の話を聞き、匙を持ったまま街道の地図を覗き込んだ。

しばらく途絶えていた朝の政治談義が、何の断りもなく戻ってきたようだった。


「お元気だったのですね」

「殿下が王宮を離れている間も、仕事はございましたので」

「一度くらい、手紙をくださってもよかったのに」

「私の手紙より、麦村の方々の話を聞くべき時期だと判断しました」


ユーリスはそう答え、アステルの皿へ視線を向けた。


「冷める前に召し上がってください。報告は逃げません」


以前にも同じことを言われた気がした。

アステルはパンを一口だけ食べた。


「何が分かりましたか」


ユーリスは紙束の一番上を開いた。

新しい災害の報告ではなかった。

大雨より前に、王宮へ届いていた東方の水路資料だった。


東方では以前から水が不足し、限られた水をどの畑へ流すかで

争いが起きていた。

水門はそのたびに開閉され、古い設備を使い続けていた。


「争いで水門が壊れたのですか」

「そこまでは言えません」


ユーリスはすぐに否定した。


「水の配分をめぐる問題があったことと、水門が破損したことは別です。

 ただ、古い水門と水路が、修繕を必要としたまま使われていたことは確認できます」


別の紙には、橋の傷みも記されていた。

修繕を求める申請は、雨が降るより前に王宮へ届いている。

だが、確認と審査は終わっていなかった。


なぜ止まっていたのか。

どの段階で時間がかかったのか。

それは、この資料だけではまだ分からない。


「直す必要があると分かっていたのですね」

「少なくとも、申請した側はそう判断していました。

 王宮側が、どの程度の危険と見ていたかは調べる必要があります」


アステルは、まだ手をつけていない朝食を見た。


カイは、水の少ない時にも水門を扱っていた。

畑へ流す水を決め、板を上げ下げしていた。


誰かの畑へ水を送れば、別の誰かから足りないと言われる。

そうして古い設備を使い続けていたところへ、春先の大雨が来た。


「大雨で川が増水し、古い水門が壊れた」

アステルが資料を指で追った。


「水路へ一度に水が入り、その一部が崩れた。

 低い畑へ水が流れ込んだ」

「届いた報告を合わせれば、そう考えられます」


「橋も、初めから傷んでいた」

「はい。増水の後、さらに悪化したようです」


揉めていたから、水門が壊れたのではない。

修繕が必要な設備を使い続けていたところへ、増水が来たのだ。

そして王宮には、その設備を直してほしいという申請が届いていた。


「誰が止めたのです」

「まだ分かりません」

「分からないことばかりね」

「分からないことを、分かったことにしてはなりません」


以前と変わらない口調だった。

アステルは反論しかけ、やめた。


――第百代の記録。

確かめられていないことを、都合のよい事実へと変えた者たちがいた。

彼らと同じことはしたくなかった。


「では、分かっていることだけを、もう一度」


ユーリスは二枚の紙を卓上に並べた。


「低地の麦畑へ水が入りました。今年の収穫は減る恐れがあります」


一枚目を指す。


「橋は人なら渡れますが荷車は通れません。

 食料と修繕資材を運ぶことが難しくなっています」


二枚目を指した。

二つだけだった。


だが、アステルには十分だった。

麦が減れば、村で冬を越すための蓄えが減る。

橋を荷車が渡れなければ、畑や水路を直すために必要な物も届かない。




その日の午後、ガラードが呼ばれた。

彼は地図の上へ指を置き、麦村へ向かう途中で見た橋の傷みと、

使えそうな迂回路を報告した。


「人なら橋を渡れます。荷を背負って運ぶこともできるでしょう。

 しかし、荷車は無理です」


「別の道は?」

「あります。ただ、遠回りになります。

 雨の後に通れるかは、現地で確かめなければなりません」


「橋の手前まで荷車で運び、そこから人が運ぶことは?」

「可能です。運ぶ者と、受け取る者を確保できれば」


ガラードは、自分が見た道と、できることの限界だけを述べた。


王宮の資料には、災害が起きる前の遅れがある。

現地から届く報告には、起きた後の被害がある。

二つはまだ、完全にはつながっていなかった。




帰還から七日後の夜、カイから手紙が届いた。

壊れた橋を避け、宿駅を回ったため、通常より遅れて王都へ着いたものだった。

紙は粗く、端に泥がついている。

文字は読めたが、大きさが揃わず、数行ごとに筆圧が変わっていた。


アステルはミレイとともに、その短い手紙を読んだ。


 水門が壊れました。

 水路は半分戻しました。

 橋は、人は渡れます。荷車は駄目です。

 低い畑に水が入りました。

 まだ麦は諦めていません。


手紙には、王宮の審査も、修繕申請も書かれていなかった。

カイが書いたのは、自分の目で見たことだけだった。

最後に、少し間を空けて続きがあった。


 水路を戻して、誰かに引き継げるまでは離れられません。

 王都で話すなら、水路と種のことを忘れないでください。


「話す、ですって」


アステルは少し笑った。

以前の手紙なら、喧嘩するなら、と書いたかもしれない。

書き直した跡があり、消しきれなかった線が紙に残っていた。


ミレイも口元を緩めたが、折り目から乾いた泥が落ちると、二人とも黙った。

水路を半分戻したという一文の中に、誰が冷たい水へ入り、

どれほどの板や石を運んだのかは書かれていない。

それでも、カイが王都へ来られない理由は明らかだった。


カイだけを召せば、水路に残る者がいなくなる。

だが、来られないことを理由に星盤の反応を曖昧にすれば、

今度は王宮の都合で彼の存在を消せてしまう。


アステルは手紙を畳まず、卓上へ広げたままにした。


「村を支えることと、カイを認めさせることを、別々の話にはできないわ」


ミレイは答えず、乾いた泥が落ちた場所へ布を置いた。

アステルはカイの文字をもう一度読んだ。


 水路は半分戻した。


残りの半分を、カイ一人へ背負わせたまま、王都へ来いとは言えない。

だが、誰かが決めるのを待っているだけでもいけなかった。


星盤が示した者を正式に認めさせるには、王宮の判断を待つのではなく、

自分から再び星を読むことを求めなければならない。

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