植物科になろう
ホラーというかなんというか
「ナオ、お父さんに水をあげてちょうだい」
「はーい」
台所で水差しを満タンにする。
溢さないように慎重に運ぶと、静かにお父さんの足元へと傾けた。
チョロチョロと僅かに飛沫をあげながら水差しの中身はゆっくりと土中へと吸い込まれていく。
「今日は少しだけ、肥料も入ってるんだよ。美味しい?」
それに対する返答は無かった。
お父さんは――文字通り大黒柱となって、この家を真に支えているお父さんは、今はもう言葉を発さない植物なのだから。
大気の汚染と共に地球上から植物の大多数が消えた。
僅か数か月の間で人間は空気循環型マスクを身に付けなければ外を出歩けなかったらしい。
まるでSF映画に出てくる“死の星”のように。
そこはもう、生物の棲める環境ではなかった。
だけど、『環境汚染は科学の発達と共に在る』。
そう言葉を遺した科学者がいた。
その人は環境汚染を前提にありとあらゆる発明と発見を行っている、今ではどんな分野の教科書にも出てくるくらいの凄い人。
その人は最期にこんな技術を遺していた。
それが“人類植物科(化)計画”。
内容はそのまま、人間を植物に変えてしまおうというものだ。
現存している植物も、いずれはこの環境では全滅してしまう。
ならば、今から新たな植物を作るしかない。
だけど新たな植物を生み出そうにも、綺麗な水も満足な光も今は無い。
そこで、目を付けたのが、人間というわけだった。
植物も人間も環境に適応する力がある。
それらをかけ合わせれば、今の環境でも十分に育つだろうという考えらしい。
その過程で植物と化した人間はほんの少しだけど大気の浄化を行う。
これは人間の肝臓か何かの解毒作用を利用しているのだとか。
つまりは人間をどんどん植物にしていけば地球は救われる。
地球は再び生物が闊歩出来る環境となる。
偉大なる我らが科学者はそう言い残し、自らが植物第一号となった。
ここまでは誰でも知っている歴史のおさらいだ。
およそ50年前に起こった、私が生まれる以前のお話。
流石に50年も経てば環境も多少は改善され、大掛かりな気密マスクでなく、簡易的な布マスクのみでも屋外を過ごせるようになった。
だけどもっと大きく変わったのは環境でなく社会だ。
自ら喜んで植物になる人間は少ない。
よほど世の中に絶望した者か、変人くらいだろう。
その程度の人数で事足りるほど、地球は狭くないし、大気も綺麗では無かった。
だから、広く募った。
自ら植物になりたがるよう、法を変えた。
それが『植物化特別支援金』。
植物になった人間に対して……残された家族に対して与えられるお金である。
今の日本では1人の人間が生涯使うだろう費用は3億円。
これが多いか少ないかは、時代次第だろうけど、今の日本では平均的な金額だ。
まず、これらが残された家族に対して非課税で一括で支払われる。
非課税だ。
だから、3億という金額は数字以上に大きなものとなる。
そしてもう一つ、これは私のお父さんのように樹木に類する植物となった者に対する特別支援報酬がある。
それは、その樹木を大黒柱として、家を建ててくれるというもの。
なんでも、大黒柱となった植物化人間は他の支柱にも大気浄化能力を与えてくれるらしい。
出来るだけ木造建築にすることでより大気の汚染を取り除くのだ。
3億円と戸建て。
これがお父さんが大黒柱となって私達に遺してくれた、遺産である。
「ナオ、お父さんに水をあげたらシンヤをお風呂にいれてあげて」」
「うん、わかったー」
お父さんの足元の地面に水肥が全部しみ込んだことを確認し終えたところでお母さんから次を頼まれる。
「シンヤ、お風呂だって」
「えー、もう? まだ早くない?」
シンヤは手にゲーム機を持ち、身体をゆらゆらと揺らす。
弟特有のイヤイヤというポーズ。
だけど私はシンヤの言葉を無視して、シンヤの入っている鉢を持ち上げる。
「ねーちゃん……!」
「はやく置いていかないとゲーム機も水浸しになっちゃうよ?」
「うー、……わかったよぉ」
シンヤは右手を伸ばすと、3m程の距離にある勉強机の上にゲーム機を置いた。
私はシンヤをお風呂場に連れていくと、シンヤが身体を洗うのを横でみていた。
「……なんでみてるの」
「んー? いやぁ、どこまで植物になったのかなって」
まだ8歳のシンヤの男らしくない部分をみながら私は笑う。
シンヤは口を尖らせ、黙って身体を洗っていた。
足首から先と両腕部分の植物化。
それが今のシンヤの植物化進行状況だ。
お父さんが大黒柱となり、その後すぐにシンヤが自ら植物になりたいと言い出した。
理由は、将来働かなくてもいいから。
働かないでお金が入るから、だと。
私は反対した。
お母さんは賛成した。
結局、今の日本では本人の意思が第一優先となるため、幾ら歳幼くても本人が望めば植物になれるため、シンヤは7歳で植物となった。
ただし、お父さんのように全身ではなく一部のみ。
限りなく進行速度を遅くして、20歳……成人の頃に全身が植物となるらしい。
なので今のところ支援金はシンヤの身の回りのものくらいしか負担してもらえない。
お母さんは少しだけ不満を言っていた。
私もシンヤのお世話をしなければならなくなったから不満だらけだった。
だけどシンヤはお菓子もゲーム機も漫画も、欲しいものは全部お金を出してもらえるのでまあまあ満足そうだった。
「クラスの半分は植物なんだっけ?」
「そう。完全になったのは1人だけ。もう登校はしてない。俺と同じか、歩けるくらいに留めてるのがほとんど」
植物と化している部分が多ければ、大気の浄化量も増える。
故に、一部分だけに留めてしまえば、当然ながら国からの支援も減る。
とはいえ、大部分を変えてしまえば幾らお金を貰おうと、当の本人は使えないのだから……小学生なら手足くらいに留めるのだろう。
「ねーちゃんのクラスにはいないの?」
「いるよ。3人、かな。ミカにアリスに……ケント」
最後だけ言葉が出にくかった。
ケント、私の元カレ。
植物になったから別れざるを得なかった男だ。
「……ほら、お風呂出たらお笑い番組みるんでしょ? 早くしないと終わっちゃうよ」
「そうだった! 今日はオースギコスギが出るんだった!」
シンヤは急ぎ全身を洗うと私へと両手を伸ばす。
私ははいはいと言いながら、シンヤの入る鉢を両手に抱えた。
「うおー! オースギコスギだ! やっぱテレビ越しでも迫力あるなぁ」
シンヤは大はしゃぎでテレビの画面にくぎ付けになっている。
テレビの向こうには樹木が2本。
大きいのと小さいのがあり、どちらも眼鏡が掛けられていた。
コンビ名『オースギコスギ』。
植物になる前は全く別のコンビ名だったが、植物化し、この名前になったらしい。
オースギコスギの前には音楽プレーヤーが置かれており、そこからは人間であった頃の2人の声が流されている。
オースギだった人がボケ、コスギだった人がツッコミだったかな……?
プレーヤーから聞こえるオースギがボケる。
コスギが『なんでやねん!』とツッコミを入れる。
そこに合わせて、テレビ画面の中ではコスギが枝の一本を動かし、オースギにぶつけた。
『なんでやねん!』という声とコスギの枝によるツッコミ。
テレビの中ではスタジオが爆笑に包まれる。
シンヤも同じように腹を抱えて笑っていた。
お母さんはそれを見て呆れ、私はシンヤが倒れないよう鉢を支えていた。
お笑い番組も終わり、シンヤがうとうとし始めた。
お母さんはシンヤを寝かせてきてちょうだいと言ったため、私はシンヤを部屋へと運ぶ。
鉢を固定する器具に取り付けると、私も自分の部屋のベッドに横になる。
まだ寝るのには早いけど、余裕があるうちに身体を休めておくのもいい。
そう思いながらスマートフォンを弄っていると、いつしか目を閉じていた。
……。
……暖かい。
……暑い。
……熱い。
……熱い!?
目を開けると、明るかった。
時計に目を向けると深夜3時。
全然日が昇っていない時間だ。
「火事よぉぉぉぉぉ逃げてぇぇぇぇぇぇ」
階下からお母さんの声が聞こえた。
「逃げてぇぇぇぇぇぇぇぇ」
声はすぐに家の外からとなる。
私は慌ててスマートフォンだけ手にとると階段へ駆け下りようとし――急ぎシンヤの部屋へと向かう。
「ねーちゃん! 熱いよ、熱いよ!」
シンヤも火事には気づいていたようで、必死に私を呼んでいた。
私はシンヤを固定器具から外すと、鉢を抱えて走り出す。
階段を駆け下りると廊下から玄関に向かって、一直線だ。
廊下の右側……台所の方から炎が上がっている。
まだ廊下は無事なことを確認すると一気に駆け、靴も履かずに外へと飛び出した。
「ナオ、シンヤ!」
お母さんは私達へと駆けよると抱きしめてくる。
消防隊の人が私達を下がらせ、救急隊の人が怪我の有無を確認する。
私達3人は火傷も怪我も全く無かった。
運が良かったのだろう。
「お父さん……燃えちゃったね」
安全を確認できたからだろうか。
ふとお母さんが呟いた。
「死亡保険は降りないけど……火災保険は降りるのかしら。ねえ、これからどうしよう」
植物となった人間は戸籍上はその時点で死亡扱いとなる。
3億円が一括で支払われるのはそのためだ。
「どうしようって……」
「だって……私達の住むところが……」
私はシンヤの入る鉢をみる。
今はそんなお金の話をしている場合ではないだろう。
家が無くなった。家財が燃えた。シンヤのゲーム機も、私の勉強道具も何もかも。
そんなことよりも、もっと、哀しむべきことがたくさんある。
「お祖父ちゃんたちもお祖母ちゃん達も、お兄ちゃんもお姉ちゃんもみんな燃えちゃったんだよ! 家とか言ってる場合じゃないよ!」
消火活動が終わる。
崩れ落ちた屋根からは6本の焼けた大木が姿を現す。
「そう……よね、ごめんなさい」
「……ううん。お母さんの気持ちもわかるよ」
お母さんの手には通帳が握られていた。
きっといの一番に取って来たのだろう。
「……火災での保険は発生しないの。昔、お父さんが大黒柱になる前に言ってたわ。だからくれぐれも火元に注意しろって、そう笑ってたの思い出したわ……」
火災は大気の汚染を悪化させる。
むしろ罰金すら発生する可能性もあるらしい。
「……このままだと、この通帳のお金も消えてしまうかもしれない」
「そんな……!?」
だって、これからなのだ。
私は植物になんてならずに、これから先も人間として、このまま楽しい人生を謳歌する。
そのためにお父さんやシンヤの世話だってしてきた。
お母さんだって、お祖父ちゃん達やお祖母ちゃん達、お兄ちゃんお姉ちゃんのお世話を頑張ってきた。
6人分の支援金でこれから楽しい人生を送れるはずだったのに。
「1つだけ、私達が今までの生活に戻れる方法があるわ」
「本当!?」
「ええ……」
お母さんは私の手の中の、鉢をみる。
シンヤがゆらゆらと揺れる。
お母さんはシンヤの頭をそっと、優しく撫でた。
「さあ、今日からはここが私達の家よ!」
お母さんが新築の匂いを確認するように大きく深呼吸した。
私の手の中にはもう鉢は無い。
あるのは両手いっぱいのブランド物の鞄やアクセサリーだけ。
「ナオ、まずはシンヤにお水をあげてくれるかしら」
「うん、わかった」
水差しに水を入れる。
満タンにし、溢さないように慎重に運ぶ。
今までは建築会社の人がこまめにお水をあげてくれていた。
今日からは私がお世話係だ。
私はシンヤの足元にゆっくりと水差しを傾ける。