洛鹿の情
「そうだね。とても魅力的な女性に育ってくれた。小さい頃からきみを見守ってきたわたしとしても嬉しいし誇らしいよ」
「み、魅力的だなんて」
まるで口説き文句みたいな。思わず顔が赤くなる。
心臓に悪い。やめてほしい。その人間離れした容姿端麗な面差しと優しい言動に初恋を奪われて今に至るというのに。その恋は現在も絶賛継続中だ。口説き文句めいたことを言われたら勘違いして舞い上がってしまうじゃないか。
動揺を誤魔化すように湯呑みを握り締める。その手にラカの手が重なった。ほんの少し低い体温に気を取られ、次の瞬間。
「んぁ」
ファーストキスは何とやら。レモンの味ではなく緑茶の香ばしさだった。
ちゅ、と音を立てて唇から何かが離れていく。それがラカの唇で、口付けられたのだと後から理解した。
「ふぁ……っ!?」
「大丈夫?」
そのままひっくり返って気絶しそうなミズキの肩をラカが抱きとめた。至近距離で顔を覗き込まれてミズキの体温がさらに急上昇する。
待って。今。キスを。口付けを。あの。よくよく見渡してみたら腰を抱かれている。まずい。待って。心の準備が。近い。顔がいい。かっこいい。好き。抱いて。
動揺は声にならず、間抜けな音を口から出すだけだ。ほら落ち着いて、とまるであやすように背中を撫でられてようやく深呼吸する。たっぷり5回ぶん深呼吸してやっと動揺が喉元を過ぎ去った。顔はまだ赤い自覚がある。顔のほてりを冷ますためにとりあえず茶を飲み下す。全然冷めない。
「ふふ……驚かせてしまったね。『これ』が選別なんだ」
これ。そう言ってラカは自分の唇をつつく。男の子らしい色素の薄い唇がほんの少し唾液で濡れていた。
「わたしの力に耐えられるかを試させてもらっているのさ」
別に、やましい気持ちがあってのことではない。妻となるからにはより深く深く心身を交える必要がある。それに耐えられるかのテストだ。羞恥心ではなく、鹿神の力を受けるものとしての相性の意味で。
「妻には他の者たちよりも深くわたしの力を感じることになるからね」
心身を交えるということは実を食べる以上に鹿神の影響を受ける。口付け程度の接触でひっくり返って気絶するようでは困る。そんな有り様では妻として閨事に及んだ時にどうする。最悪、力を受けきれずに脆弱な人間の肉体は壊れ、死に至ってしまうだろう。
と、いうわけでそれを直々に口付けではかっているというわけだ。繰り返すが、決してやましい気持ちによる行為ではない。
「……ってことは…………」
説明を飲み込み、それから気付く。この口付けが鹿神の力に耐えられるテストであるならば。
事実に行き当たり、ミズキの乙女心が何とも言えない複雑な感情に揺れる。他の女にもやってるなんて。浮気者。いや付き合ってもないのに浮気も何もないのだが裏切られた気持ちだ。でも好き。他の女にキスしてもいいから私にもキスして。そうじゃなくて。あぁもう何が言いたいのかわからなくなってきた。とにかく言いたいのはラカが好きだということだ。
「そうだね。皆にやっているよ」
クズノを始めとした、これまで呼ばれて選別を受けた少女たちにも。これから呼ばれて選別を受ける少女たちにも。
同様に話しかけ、抱き寄せ、口付けている。至極当然のように答えた。
「浮気者とか言わないでおくれよ」
ミズキの複雑な心境を思ってか、ラカが冗談めかして笑う。
それがあえて大げさに言うことで空気を緩めるものだと知っているミズキはふっと肩の力を抜いた。
「言わないけど……いや……でも…………ファーストキス……」
「おや。そうだったのかい? それは光栄だね」
「ぴゃ」
またもや間抜けな音が口から出た。父のような兄のような、年頃の男女のような距離感に翻弄されっぱなしだ。
再び真っ赤になったミズキを見、ふふっとラカが微笑む。娘を見るような妹を見るような、あるいはもっと別の意味を込めた視線のような。
「ともかく。わたしの口付けに耐えたきみは晴れて未嫁だ。他の子の選別が終わるまで奥の座敷で待ってもらえるかい?」
「ひゃ、はい」
すっと室内に世話人が入ってくる。淡々とした雰囲気の世話人たちはミズキを奥の座敷へと誘導していく。その背中をラカが微笑みながら見送る。
「また後で」