表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/16

第6話 記憶の部屋


週末、紬は祖母の家へと向かった。


母の頼みで、空き部屋になった祖母の部屋を掃除することになったのだ。祖母は昨年、施設に入った。軽い認知症が始まり、ひとりでの生活が難しくなってきたからだ。


久しぶりに足を踏み入れる祖母の部屋には、わずかに懐かしいにおいが残っていた。古びた木の家具と、お線香と、布団に染みついた柔軟剤の匂いが混ざっている。


紬は静かに部屋の窓を開け、埃の積もったタンスの引き出しに手を伸ばした。中には、折りたたまれたハンカチやセーターの間に、小さな箱や封筒がいくつも隠れていた。


その中に、分厚いアルバムが一冊あった。


表紙の布地は少し色あせていて、角は擦り切れていたけれど、どこか大切にされてきたことが伝わってくる。


ページをめくると、まだ若かった頃の祖母と、その隣に立つ男の人——紬の祖父だとすぐにわかった。紬が生まれる前に他界した人。モノクロの写真には笑顔があり、旅先の風景、学生時代の仲間との写真、親戚の子どもたちと写る場面もあった。


そしてページの最後に、小さな封筒が貼りつけられていた。


「——?」


何気なく開けてみると、中には便箋が一枚入っていた。


少し震えた文字で、こう書かれていた。


> 「あの人のことを忘れてしまった朝、私は生まれ変わったような気がしました。でも、そのあとで、自分がどこにいるのかわからなくなったのです」


便箋の裏にも続きがあった。


> 「私の記憶のなかに、何が本物で、何が夢だったのか、もうわからない。でも、机の上のカップや、押入れの毛布、アルバムの写真は、それを少しだけ思い出させてくれる」


> 「私はそれらを何度も手に取りながら、自分をつなぎとめていたのだと思います」


紬はしばらく言葉を失った。


それは祖母が、記憶を失う恐怖の中で書いた言葉だったのだろう。


自分が「誰だったのか」を忘れてしまうこと。


それは単に名前や関係を思い出せないという以上に、存在の根っこが揺らぐということなのかもしれない。


紬は、自分の部屋をふと思い出した。机の横に置いてある毎週買っているカフェの紙袋、毎朝使うマグカップ、投稿したインスタグラムの写真たち。無意識に自分の周りに置いているそれらが、どれも自分をつなぎとめるための「いかり」になっているのかもしれない。


もし何かを忘れたとき、それらが記憶の糸口になるのなら——


自分のまわりのものを、大切にしなければならない。


祖母の棚を丁寧に拭きながら、紬は思った。


記憶というのは、脳の中だけにあるものじゃない。指先が触れた感触や、目に入る色や、耳に届く音もまた、それを構成する部品なのだ。


ふと、紬のスマホが震えた。


メッセージは茉莉からだった。


> 「今日、空いてたら例の店行かない? またあのシナモンロール食べたい」


紬は、指を止めた。


こうして誰かと“同じ時間”を過ごした記憶も、きっと未来の自分をつなぐひとつの鍵になる。


「うん、行こう」


そう返事をして、最後の棚に手を伸ばした。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ