表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/16

第3話 写真という証明

その日、紬は目が覚めてすぐにスマホのカメラを起動した。


まだカーテンを開けていない部屋の中。朝の光がレース越しにぼんやりと広がっていて、空気がやさしく沈んでいる。ベッドの上に散らばった毛布のしわ、机の上のペン立て、観葉植物の影。


シャッター音を鳴らさずに、無音で撮る。

何枚も撮る。画角を少しずつずらしながら。


——これは、今ここにあった光。

——これは、私が見たもの。


見たものを撮る。

それだけのことが、今の紬にとっては重要だった。


それが「自分がここにいる」ことの証明になる気がした。

他人に見せるためではなく、自分自身に向けての証拠写真。


「私は、これを見た」と、証言するように。


 


朝食のトースト、学校に行くまでの坂道、バス停に並んでいる人々、すれ違った犬と飼い主、曇りかけた空。

ひとつひとつが、フィルムのように記録されていく。


とくに意味があるわけじゃない。

でも、意味があるかどうかなんて、本当は後から決まるものだ。


「目に入るものをちゃんと受け取る」

——そんなふうに思うこと自体、少しずつ感覚が戻ってきている証拠かもしれなかった。


 


学校では、ふとした合間にスマホを取り出していた。


黒板のチョーク跡、机に落ちた消しゴムのかけら、窓際の光。

何でもないはずのそれらが、カメラ越しだとちょっと違って見えた。


昼休みに茉莉がやってきて、紬の肩を軽く叩いた。


「また撮ってたでしょ」


「うん、まあ」


「今日の投稿、机の写真だったよね?なんかさ、えらい哲学っぽい」


「そうかな……?」


「でもわかるよ、私も意味ない写真好き。意味がないからこそ、なんか残したくなるっていうか」


「……わかる」


言葉を交わすうちに、ほんの少し心が緩んだ。

“わかってもらえる”ということが、こんなにありがたいなんて。


午後の授業ではあまり集中できなかったけれど、茉莉と話したことで、今日一日が“繋がった”感じがした。


 


帰り道、道端の自販機の前でふと立ち止まる。

どれを買うでもなく、ただ見つめていた。


赤いボタン、並んだ缶のパッケージ、反射した夕焼けの光。

どこにでもある風景だけど、「今の自分がそれを見ていた」という事実だけが確かだった。


カメラを構える。

ピントを合わせて、シャッターを切る。


——この瞬間だけは、何も失っていない気がする。


 


帰宅後、何枚かの写真を選んでInstagramに投稿した。

今日のテーマは「存在の証明」。誰にも説明していないが、自分の中だけで決めたテーマ。


「今日、見たもの。何の意味もないけど、確かにあった。」


投稿にはすぐに数件の「いいね」がついた。

その中には見覚えのないアカウント名もあったけれど、それすらも紬にはありがたかった。


「見たもの」が「見られるもの」になる。

それは、存在が世界と接している証しのような気がした。


 


夜、ベッドに寝転がりながら、写真フォルダをスライドして見返す。

一枚一枚に、確かに「そのときの自分」がいる。


ふと思い立って、小さなアルバムを作ることにした。

タイトルは「視界」——自分がこの目で見た風景を記録するための、小さな箱。


スクロールするたび、まるで自分が今まで歩いてきた記録を見ているようだった。


そのときふと、今までの自分は「何を見ていたんだろう」と思った。

人の顔?自分の姿?評価?点数?それとも、他人の視線?


「見てきたはずなのに、見ていなかったものが多かったかもしれない」


それに気づいた今、目に映るものをちゃんと記録したくなった。


 


夜が深まるころ、ふいに部屋の窓から月が見えた。

薄雲にかかっていて、ぼんやりとした光が滲んでいる。


スマホを持って、静かにカーテンを開けた。


——これは、誰かのためじゃなく、自分のために撮りたい。


シャッター音が鳴る。

画面には、少し歪んだ月と、網戸越しの光。


ほんの少しだけ、胸が痛くなった。

何もかもが変わっていって、でもこの光だけはいつまでも変わらずにある気がして。


——明日も、何かを見つけられるだろうか。


そう思いながら、スマホを伏せて、ゆっくりと目を閉じた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ