第3話 写真という証明
その日、紬は目が覚めてすぐにスマホのカメラを起動した。
まだカーテンを開けていない部屋の中。朝の光がレース越しにぼんやりと広がっていて、空気がやさしく沈んでいる。ベッドの上に散らばった毛布のしわ、机の上のペン立て、観葉植物の影。
シャッター音を鳴らさずに、無音で撮る。
何枚も撮る。画角を少しずつずらしながら。
——これは、今ここにあった光。
——これは、私が見たもの。
見たものを撮る。
それだけのことが、今の紬にとっては重要だった。
それが「自分がここにいる」ことの証明になる気がした。
他人に見せるためではなく、自分自身に向けての証拠写真。
「私は、これを見た」と、証言するように。
朝食のトースト、学校に行くまでの坂道、バス停に並んでいる人々、すれ違った犬と飼い主、曇りかけた空。
ひとつひとつが、フィルムのように記録されていく。
とくに意味があるわけじゃない。
でも、意味があるかどうかなんて、本当は後から決まるものだ。
「目に入るものをちゃんと受け取る」
——そんなふうに思うこと自体、少しずつ感覚が戻ってきている証拠かもしれなかった。
学校では、ふとした合間にスマホを取り出していた。
黒板のチョーク跡、机に落ちた消しゴムのかけら、窓際の光。
何でもないはずのそれらが、カメラ越しだとちょっと違って見えた。
昼休みに茉莉がやってきて、紬の肩を軽く叩いた。
「また撮ってたでしょ」
「うん、まあ」
「今日の投稿、机の写真だったよね?なんかさ、えらい哲学っぽい」
「そうかな……?」
「でもわかるよ、私も意味ない写真好き。意味がないからこそ、なんか残したくなるっていうか」
「……わかる」
言葉を交わすうちに、ほんの少し心が緩んだ。
“わかってもらえる”ということが、こんなにありがたいなんて。
午後の授業ではあまり集中できなかったけれど、茉莉と話したことで、今日一日が“繋がった”感じがした。
帰り道、道端の自販機の前でふと立ち止まる。
どれを買うでもなく、ただ見つめていた。
赤いボタン、並んだ缶のパッケージ、反射した夕焼けの光。
どこにでもある風景だけど、「今の自分がそれを見ていた」という事実だけが確かだった。
カメラを構える。
ピントを合わせて、シャッターを切る。
——この瞬間だけは、何も失っていない気がする。
帰宅後、何枚かの写真を選んでInstagramに投稿した。
今日のテーマは「存在の証明」。誰にも説明していないが、自分の中だけで決めたテーマ。
「今日、見たもの。何の意味もないけど、確かにあった。」
投稿にはすぐに数件の「いいね」がついた。
その中には見覚えのないアカウント名もあったけれど、それすらも紬にはありがたかった。
「見たもの」が「見られるもの」になる。
それは、存在が世界と接している証しのような気がした。
夜、ベッドに寝転がりながら、写真フォルダをスライドして見返す。
一枚一枚に、確かに「そのときの自分」がいる。
ふと思い立って、小さなアルバムを作ることにした。
タイトルは「視界」——自分がこの目で見た風景を記録するための、小さな箱。
スクロールするたび、まるで自分が今まで歩いてきた記録を見ているようだった。
そのときふと、今までの自分は「何を見ていたんだろう」と思った。
人の顔?自分の姿?評価?点数?それとも、他人の視線?
「見てきたはずなのに、見ていなかったものが多かったかもしれない」
それに気づいた今、目に映るものをちゃんと記録したくなった。
夜が深まるころ、ふいに部屋の窓から月が見えた。
薄雲にかかっていて、ぼんやりとした光が滲んでいる。
スマホを持って、静かにカーテンを開けた。
——これは、誰かのためじゃなく、自分のために撮りたい。
シャッター音が鳴る。
画面には、少し歪んだ月と、網戸越しの光。
ほんの少しだけ、胸が痛くなった。
何もかもが変わっていって、でもこの光だけはいつまでも変わらずにある気がして。
——明日も、何かを見つけられるだろうか。
そう思いながら、スマホを伏せて、ゆっくりと目を閉じた。