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第8話 〝ずるい〟

「——。ふう、ここまで来たらもう大丈夫かな」


 がむしゃらに走り続けた先。

 たどり着いた河川敷で僕たちは荒い息を吐き出した。


「だ、大丈夫……?」


「え、ええ、なんとか……」


 肩で息をしながら膝に手をつく女の子。

 そんな彼女の姿を見て僕は申し訳なく思う。


「……ごめんね。もっとスマートに助けられたらよかったのに」


 こんな逃避行みたいな感じじゃなくて、小説の中のヒーローみたいに。

 悪を懲らしめられたらよかったのに。


 それに部長が来なければきっと僕はやられていた。

 結局、僕がしたことになんの意味はなくて、余計に相手を怒らせちゃっただけなのかも……。


「そ、そんなことないっ!」


「——え」


 俯きかけた視線を上げると、夜のように綺麗な瞳が僕をまっすぐに射抜いていた。


「絶対そんなことないからっ——!」


 そう叫んだ彼女はぎゅっと僕の手を包み込むように握って、


「——ありがとう、助けてくれて! すっごくカッコよかったよ! 執事さん!」


「……あ、う、うん、どういたしまして」


 とびっきりの笑顔を向けられた僕はなんだか気恥ずかしくて俯いてしまう。

 でも執事さんはやめて欲しいな……。

 格好が格好だから仕方ないけどね。


「あ、でも僕が執事なら——」


 と、僕は恥ずかしい気持ちを隠すようににっこりと微笑んで、


「きみはどこかのお嬢様みたいだね」


「……えっ! な、なんでっ?」


「だってすごく綺麗で可愛いから。羨ましいよ」


「——っっ〜〜〜!!」


 ……あ、あれ?

 褒めたつもりだったんだけれど、彼女は頬を真っ赤に染めて俯いてしまった。

 僕なんか怒らせるようなこと言ったかな?


「夕陽のせいだよ」


「え? 部長?」


「彼女の頬が赤いのは夕陽のせいだよ。きみの言動が彼女に露ほども影響を与えたわけじゃない。勘違いして落胆する必要はないよ」


「で、でも明らかに僕の言葉を聞いてから……」


「夕陽のせいだって言ってるよね。部長のわたしの言うことが信じられないのかな?」


「……は、はい。わ、わかりました」


 なぜかムスッとした部長に押し切られる形で納得するしかなかった。

 というか今の部長、あの男の人よりも怖いよ。


「まったく、目を離すとすぐにこれだ。わたしというものがありながら他の子にも手をつけるだなんて。女の子なら誰でもいいのかい?」


「……また変なこと言って。僕がいつそんなことしたの?」


「ふむ、自覚はなしか。これだから恋愛弱者は」


「恋愛弱者はいま関係ないよね?!」


 どうして部長はすぐふざけるのかな?!

 ほら、彼女もますます怒った感じで赤くなってるじゃん!

 これも夕陽のせいだとしたら、夕陽さん仕事しすぎだよっ!


 ——っと。


 そのとき、遠くから五時を告げる歌が風に乗って響いてきた。

 すると女の子は俯かせていた顔を上げて、


「あ……も、もうこんな時間なんだ。じゃ、じゃあね! あたし、叔母さんとの約束があるからもう行くねっ!」


「あ、待って! ひとりじゃダメだよ! またあの人に遭っちゃったら大変だし!」


「ううん大丈夫! 本当にありがとう!!」


 はにかみながら女の子は駆けて行った。

 やっぱりその頬は赤く染められている気がした。


「ふむ、逃げられたね」


「……むぅ、部長が変なこと言うから」


 別に逃げたわけじゃないと思うけれど、ただちょっと残念な気分。

 友達になれそうな気がしたんだけどな。

 名前も聞きそびれちゃったし。


「まあ、とにもかくにも」


 と、部長は風でたなびく麦わら帽子を押さえつけながら言った。


「良い経験ができたじゃないか。これできみの妄想も飛躍的に広がるだろうね」


 良い経験——。

 本当にそうなのかな?

 でもそうだとしても……。


「……。結局、それじゃあ経験したことしか書けないということじゃないですか。なんだか負けた気がします」


 ——〝作家は経験したことしか書けない〟

 僕はそれを否定するために青春小説を書き始めたのに。

 経験が得られたことを喜んじゃったら、認めることになるんじゃないのかな。


 でも部長はゆっくりと首を振って、


「違うよ。経験を下地に、妄想で絵を描く。得た経験以上のものを書くのが作家の努めなんだ」


「経験以上の、もの……」


「そう。言うなれば、経験を妄想で飾り付けるんだね。アイスクリームにカラースプレーをトッピングするように。例えば今の出来事だって、彼女が別れる直前に『これはお礼よ』と言いながらキスさせちゃうとかさ!」


「だ、だからそんなことしないってば!!」


 もう! 途中までいい感じだったのに!

 僕を部長の棲む変態ワールドに巻き込まないでよ!


 ……。でもそうか。


 ——〝経験したことを下地に、妄想で絵を描く〟


 〝経験したことしか書けない〟よりも、その言葉は僕の胸にしっくりと染み渡った気がする。


 だったら、今日のことにも全て意味はあったのかもね……。


「……あ、あれ」


 けど。

 どうしてだろう? 安心したからかな?

 足に力が入んないや……。


 その場にへたり込んでしまった僕。


 沈んだ視線の先で、部長がゆっくりと近づいてくるのが見える。

 また、変なことされるのかな……。


 いやだな……。

 もう少しだけ、…………。


「——。よく、頑張ったね」


「え……」


 だけど聞こえてきたのはふわりとした百合の匂い。

 ワンピースが汚れるのも構わずに跪いた部長は僕の頭をギュッとその胸に抱いて、


「怖かったね。もう大丈夫、きみを傷つけるやつはもうここにはいないよ」


「……っ」


「ホントに頑張ったね。誰かを助けるために立ち向かうなんて、誰にでもできることじゃないよ。きみの勇気が、あの女の子を守ったんだ。——さすがはわたしの自慢の後輩だ」


「……」


 ……。ずるい。

 こんなときだけそんなこと言うなんて。


「知らなかったのかい? 大人はずるいんだよ」


「……部長だって、僕とひとつしか変わらないじゃないですか」


 部長は笑った。


「だとしても、きみよりは大人でお姉さんだからね。泣きたい後輩に胸を貸すくらいは、わけないことなんだよ」


「……。やっぱり、ずるいよ……」


 夕暮れが波のように輝いた午後。

 僕は部長の胸に顔を埋めて涙を流した。


「やれやれ。可愛い後輩を持つといじめたくなって困るよ」


「……ぐす、やめひぇよ」


 でもそれはたぶん違くて。


 部長は部長だったということ。


 ただそれだけのことなんだ。


 きっと。

——次回最終話。続くかもしれないけれど。


五時を告げる歌って今まで聴いたことないけど本当にあるのかな……。

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