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「リンシア、何を言っているのだ?作り話とはどういうことなんだ?」
「そうですよ、姉上。いくらレイル様の話を快く思わなかったからといって、ほら話と決めつけるのは失礼ではありませんか」
俺とレントがすかさず食い入るように言った。
「パパとあんたはまるで分っていないわ。というよりも、私をあなたたちいびつな純愛論者と同じにしないで頂戴」
リンシアは普段の調子で、俺とレントに向かってピシャリと言い放った。
そしてゆっくりと、レイル公爵の方に視線を移す。
「レイル様、先程から愉快な話で私たちを楽しませようとなさる精神は、招かれた身として、大変喜ばしく思いますわ。ですが、少々ずるくはありませんか?だってレイル様のお話のいくつかは、民衆の間で伝えられている一口話や小説から引っ張ってきたものでしょう?それを自分の体験談のように語っているのですもの」
「え、そうなんですか!?」
俺は唐突に暴かれる真相に思わず正直な言葉を口から漏らしてしまった。
やたらよくできた話だと思ったらそういうことだったのか……。
俺はさっきまで彼を必要以上に持ち上げていたのを思い出し、気づまりで恥ずかしくなった。
直接何かを言われたわけではないが、自然と体が熱くなる。
いやでも、リンシアが言いがかりをつけているということも考えられる。
……しかしどうやらリンシアが指摘したことは本当のようだ。
レイルの様子を見れば一目で彼が、動揺と困惑に囚われているのが分かった。
彼の赤い目は焦点があわず、しきりに左右に泳いでいた。
何か言おうと口を動かそうとするが、言葉は紡がれず、魚のごとくパクパクと開いたり閉じたりするだけだった。
せめてもっとバレないように話をすればよいものを……!
「スプリーンと婦人のお話も、『憂鬱と恐怖の屋敷―最後の五日間―』という小説のプロローグで書かれていたものですわよね?」
「いや、それは……」
「私たちを騙してまで自分の体裁をよくしようとしましたの?これでは驕りと飾りに腐心するその辺の貴族とおなじではなくて?私レイル様は正直で誠実な方だとお聞きして、そう信じておりましたのに!」
面食らったレイル公爵に対して、リンシアはまくしたてるように彼を責める。
意気阻喪するレイル公爵を見たリンシアの美しい顔がわずかにゆがむ。
そこには喜悦と愉悦を存分に味わっているような、恍惚とした輝きがあった。
すがすがしいまでのゲス顔である。
彼女は弱者をいじめるのが大好きなのだ。
きっと人をいたぶる時にしか得られない栄養というものがあるのだろう。
それは彼女だけが吸収できるのだ。
何より性質が悪いのは、彼女が持つ性悪さ、意地悪さ、傲慢さを打ち砕いて鼻を明かしてやりたいと思っても、この人は弱者側には絶対に行かない強さと狡猾さを持っている点である。
今までいつになく静かにしていたのは、攻撃の火ぶたを切る絶好の機会をうかがっていたにすぎなかったということだ。
なんだか腹が立ってきた。
レイル公爵がくだくだと話していたのを今まで遮らなかったのは、彼を責めるのに使う、確かな証拠を取りそろえるためだったのだ。
そして好きに話をさせればさせるほど、糾弾した時に相手に与える効果というのも増大するだろう。
実際、レイル公爵は俺の純情な心をもてあそび、作り話を得意げに、さも自分のことであるように語ったことに対して、後ろめたさと気恥ずかしさで半ば参ってしまったようである。
レントとリーナもこの場をどう対処すればいいのかわからない、といった風であった。
レイル公爵にしてみれば今すぐにもこの場から消えたいと思っているに違いない。
だがこれは同時に俺への仕掛けでもあったのではないだろうか。
つまりはこういうことだ。
純情な俺は話の真相に気づけず、一抹の疑いも持たずにレイルを尊敬し、何かを期待してしまった!
そのレイル公爵は今や主人に大目玉を食らった猫みたいに、みじめに縮こまっている。
『あなたが敬意抱き、憧れにも似た感情を抱いた男はこの程度なのよ』ということを直接見せ、俺にも恥と屈辱を抱かせるという陰謀だったのである!
俺は横目でリンシアを見る。
彼女は取り澄ましたような表情でレイルの方を向いているだけで、俺の方には目もくれない。
なんてひどい人なんだ!
「確かにレイル様は多少話を盛った部分はあるでしょう。事実にかすりもしない作り話をてらって語ったかもしれません。しかしそれは私たちを楽しませようと、そしてなにより姉上、あなたのためであったのですよ!そりゃあレイル様には自分をよく見せようとする、自己顕示欲と虚栄心が強いかもしれません。少しの軽薄さもあるでしょう。ですがそれを一体誰が責められましょう?誰だって人前では見栄を張りますよ。時には噓もつきます。ましてや、意中の相手の目の前ならば!……それゆえにレイル様を責めるのはあんまりではないでしょうか?」
「おお、エリック殿!なんて優しい方だ。この私を赦してくれるのですね!」
俺は全力でレイル公爵を擁護する。
これは彼に特別な思いや、愛着があるというわけではない。
何なら俺も彼に有り余る失望の念を抱いている。
しかし今は!
急転直下で底値まで下落したレイル公爵の信用と体裁を回復させなければならないのだ。
それは俺に対する救済でもある。
俺は一度レイル公爵という神輿を持ち上げ、担いでしまった以上おろすことが出来ない。
ましては相手が姉のリンシアならばなおさらだ!
これまでの過程に身を任せ、レイル公爵を見捨ててしまった方が本当は楽だろう。
だがそれはしたくない!
なぜならいつものごとくリンシアの赴くままに事が流されてしまい、その流れに俺も流されるのが悔しいからだ!
そしてこの場にいるレントとリーナ、つまりは父と母にも他人のほら話に気づかずに、盲目的に人を敬服してしまう愚鈍な息子だと思われたくない!
一度彼に肩入れをした俺にとってこの状況は重要だ。
レイル公爵と俺の評価は一体となっているはずだ。
つまりレイル公爵の敗北は俺の敗北であり、そのままレイル公爵の勝利は俺の勝利でもある。
レイル公爵には逃れられぬ失態があるため勝利は難しいだろうが、どうにかうやむやにして事なきを得たい。
俺はプライドのためにリンシアに歯向かうのだ。
「エリックの言うとおり、本当は私だってレイル様の今までの言動の本質には良心があったと信じたいのですわ」
「リンシア殿!どうか信じてください。私の地位にかけて、神の名に誓って申しますが、私は決して皆さんを騙し、それによって恥をかかせたり、陥れようとしたのではありません!」
「姉上!見てください!あのレイル様の赤く燃え盛る情熱的な目を!あれが噓をつく人の目ですか?違いますよね?もうやめましょうよ!レイル様を責めるようなことは!」
「地位も神も目も、揺るがない真実の前には無力ですわ。そう真実の前には」
リンシアは俺とレイル公爵の必死の弁明を冷ややかに受け止め、何か含みを持たせたことを言った。
「真実?真実とは何のことですか?具体的に説明してください」
俺は言葉尻を掴み、すかさず嚙みつく。
リンシアはもったいぶった風に、尻をもじもじと動かし、居住まいを正す。
「エリック、いいこと?真実は常にスープの中にあるのよ?」
「はい??」
彼女は俯き、目の前に鎮座しているスープを眺める。
『真実はスープの中』って、何を言っているんだ、この人は。
「私のスープの中に、サメがいましたの!!」
何を言っているんだ、こいつは。