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 「まあ、そんなことをおっしゃったんですの?」


 リンシアは開いた口を手で覆い隠しながら言った。

 それを見たレイル公爵は笑みを浮かべ、じっとリンシアの顔を見つめながら話をついだ。


 「実際にそんなむごたらしいことはしませんよ。ただ先ずは少し強気に出ることで、会話の主導権を握ろうと思いましてね。効果はありましたよ。彼女はすぐに顔が青ざめていきましたから。むしろ効果がありすぎたのかもしれません。彼女は激昂げっこうし、我を失ったのか、『もし私のスプリーン(おそらくこの猫の名前でしょう)を殺したら、私もこの場で死んでやるわ!!』と叫ぶのですよ。最初は私も周囲にいる者も面食らったのですが、その一方で私の中でむくむくと無邪気な好奇心が膨れ上がってきましてね。物は試しに、と私はガラス戸を開け、猫を外にポイとしたのです」

 「猫はどうなったのですか?」


 レントがこわごわといった様子で訊ねた。

 レイル公爵はレントに顔を向けながら、大仰な手ぶりを交え、すぐに答えた。


 「ええもちろん無事でしたとも。あの猫というのは瞠目どうもくすべき生き物でして、繊麗せんれいな肢体から洗礼された動きをやってのけるのですよ。落下中に体をうまく広げて、衝撃を和らげて着地をするのです。私も幼い頃に猫を飼っていましたから、その辺はよく知っています。スプリーンももれなく、無事に着地をしました。その場所は陽だまりになっていましてね、スプリーンは陽気にあてられたからか、すぐにうずくまってうたた寝を始めたのです。猫は本当に気まぐれですからね。しかし盲目で偏狭な人間はすぐに、あらぬ方向へ考えを運ぶのですよ。婦人はスプリーンが本当に死んでしまったと思ったのでしょうね。耳をつんざくような金切り声を上げたかと思えば、すぐに彼女も飛び降りたのです!彼女は猫ではないので普通にケガをしました。と言っても足をくじいた程度ですね。その場でうずくまり、唸り声をあげていました。一方スプリーンは落下した衝撃で目を覚まされ、その犯人が婦人だとわかると彼女の顔をひっかいてどっか行ってしまいました。まあそんな風にして事態は丸く収まりました。私が一役買ったかいあって、その後は舞踏会も滞りなく進みましたよ」

 

 レイル公爵が赤い双眸を俺たち一人一人に向かって動かす。

 反応を伺い、求めるような目であった。

 

 「素晴らしいことですよ!婦人を懲らしめてやることに成功していることが聞けて、私は痛快です。何よりあなたの勇敢でかつ、機転が利く行動はそう簡単にマネできませんよ。実際周りの人間は何もできなかったのでしょう?レイル様は貴族の中の貴族だ!」


 俺はレイル公爵に向ってこれでもかという賛辞を浴びせた。

 多少過大に言ったとはいえ、彼を評価していることは噓ではない。

 俺から見るとレイル公爵は他の人間とは違う、傑物であるように感じる。

 それは今聞いている彼の話しも含め、こうして語り合うことで見えてきたものだ。

 外見、内実ともに不足はないだろう。……少しはあるか。

 だが機知に富んだ、人を惹きつけるような話だってできる。

 レイル公爵ならリンシアを御することが出来るかもしれない。


 こうなると二人にはぜひとも結婚して欲しい。

 レイル公爵が義兄になることで、彼から何か甘い蜜をすすれるのではなかろうか。

 レイル公爵が手掛けている事業をこちらに回してくれるでもいい。彼の有力な知人などを俺に紹介してもらえるでもいい。

 いずれにせよ彼は俺が夢見る到達点に行くまでの近道を作ってくれるはずだ。

 俺とレイル公爵が手を結べばどこまでもいける気がする!

 いつか王宮も自由に闊歩かっぽできる人間になっているかもしれない。

 レイル公爵は俺にとっての金脈なんだ!


 俺の可能性の妄想はどんどん飛躍した。

 将来のことを思うと思わず笑みがこぼれてしまう。

 

 「エリック殿!そんなにニコニコされて!私の話を気に入っていただいて何よりです!私としては皆さんが楽しんでいただけることが一番ですから!」

 

 レイル公爵は満足げな表情を浮かべ、声を弾ませた。

 彼は自らの手で他人を喜ばせることが、最上の楽しみであるようだ。

 行っているとされる慈善活動などもその一環なのであろう。

 エゴイズムもあるのだろうが、善良な人間といえる。

 少なくとも生まれも育ちも恵まれている人間とは思えないほどの他人に対する誠実さを持っているように感じる。


 「今の話で一つ気になったのですが、スプリーンはその後どうされましたの?私そこだけが気になってしょうがないですわ!」


 だしぬけにリンシアがレイル公爵に向かって食い気味に訊ねる。

 レイル公爵は突然の予期せぬ質問とリンシアの興の乗らないような反応に、驚いたようであった。


 手にしていたナイフとフォークを置きながらこの質問をしたリンシアからは、この答えだけは聞き逃さない、と言わんばかりの執念を感じた。


 「……え、ああ、あの猫ですか。……スプリーンは面白いことに私になついたのですよ。舞踏会が終わり、外に出ると私を待っていたようで、足元に駆け寄ってきました。その後はべったりとくっついて離れないものでしたから、そのまま持ち帰ってうちで飼うことにしました。幸せそうに暮らしていますよ。今もこの屋敷のどこかに自由に歩き回っているでしょう……。私と共に過ごすようになってからはおとなしくなりましたよ」

 

 レイル公爵は終始歯切れ悪くも、奇妙な手振りを交えながら、得意げな様子で言った。

 スプリーンを婦人から勝ち取った戦利品のような扱いでもって、自らの所有物としたのであろう。


 しかし、これは俺にとっては聞き捨てならないことである……!

 俺の中の貞淑な義侠心が怒りを呼び起こした。

 

「レイル様……!私はあなたのことを尊敬しておりますが、いくらなんでもこれは酷なことではありませんか!?」

「……ど、どういうことでしょうか?」

 

俺が突然声を上げたことにレイルは動揺する。

 彼は何故俺の語気が強くなっているのか分からないようである!


「確かに婦人は意地悪く、身勝手な人物で、良い飼い主であると言えないかもしれません。しかし婦人とスプリーンの間には確実に愛があったはずです。純愛ですよ!それは不断で不可侵の領域であると言っても差し支えないでしょう!婦人が溺愛するだけの、たくさんのかけがえのない、唯一無二の思い出もあったはずです。それなのに、レイル殿はそれを一日の内に引き裂いてしまった!いや、引き裂くだけではない!その関係を自分のものにしてしまったのですから!こんなの猫とられ、実質寝取られですよ!これはっ……!これはいけませんっ!!」

 「私もエリックと同意見です!たとえスプリーンの気が移ったとしても、そう簡単に関係性までも奪い取ってはいけませんよ。スプリーンは婦人のもとに返すべきです!貴族として、貞節は重視するべきですぞ!」


 俺の主張に思わぬ加勢が入った。

 レントである。

 彼の血も流れている以上、同じような感性を備えているのかもしれない。

 

 俺の正面に座るレントと目が合った。

 俺の視線に気づいたレントは、薄い緑色の瞳をつむり、俺に向かってウインクをした。

 なんだか気持ち悪かったので、俺はそれを無視した。


 「すみません。スプリーンについてはそれほどおふたりの気分を害するものでしたか……」


 レイル公爵はあたふたとした様子で、俺たちの機嫌を直そうと、謝罪をする。

 そんな気はなかったのだろう。

 レイル公爵はどうにか弁明しようと考えを巡らせているようであった。


 「このスプリーンについてですが、実はですね、……それほどの話ではないのですよ。……なんというか……このスプリーンそのものが……」

 「作り話ですものね?」


 訥々(とつとつ)と話すレイル公爵の言葉を、突然断ち切るようにリンシアが鋭く口を挟む。

 見ればリンシアはサメのような獰猛な笑みを浮かべていた。


 作り話とはどういうことだ……。


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