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お見合いの相手というのはレイル=ペデローグという公爵の爵位を持つ男である。
歳は二十五とかで、もしリンシアと結婚すれば七歳差になる。
しかしそれぐらいの年の差での結婚というのも、この世界ではさして珍しくないようである。
そしてこのペデローグ家というのは最近になって当たるべかざる勢いで栄華を極めた一族で、現当主のレイル公爵も社交界ではもっぱら評判の良い男なのだった。
それにしても経験がないのでわからないが、お見合いに俺のような兄弟も招かれるとは思っていなかった。
俺は関係ない気がするのだが、レイル公爵の計らいなのだろうか。
まあ、ただ飯が食えるらしいからいいか。
俺たちはレイルが用意してくれた馬車に乗って、彼の邸宅に向かった。
乗っているのは俺とリンシアと父レント、そして母であるリーナだ。
「リンシアよ。私は本当に嬉しいよ。お前が結婚について前向きな姿勢をとってくれるようになって。それに相手はあのレイル公爵だ。彼と結婚をすれば我々マクローヴィス家にとっても有益と言えるからなあ」
レントが茶色い整えられた口ひげをいじりながら笑みを浮かべて言った。
レントは体格がよく、威厳のある見た目をしているが、笑えばなかなかに親しみのある顔になる。
「まあお父様ったら。まだ結婚が決まったわけではありませんよ。結婚するかどうか決めるのはリンシアなのだから。リンシア、家のことなんて気にしなくていいのよ。あなたが結婚したいと思った人と添い遂げればいいのだからね」
母であるリーナが向かいに座るリンシアの手を優しく握りながら、語り掛ける。
「パパもママも私のことを思ってくれて嬉しいかぎりですわ。私本当に頑張りますから!」
リンシアは彼女の対面に座るレントとリーナを交互に見ながら明るい声の調子で言った。
俺やリンシアより目下の人間と話す時とは打って変わった、貞淑であるが、少女然とした快活さも含んだ声である。
ふりまく笑顔もリンシアの正体を知らぬ人からすれば、作りものの笑顔だと気付かぬほどに自然なものになっている。
両親もとい目上の人間に向けた、洗練された外面のよい仮面を、リンシアはいつでも着脱することができる(当然両親はリンシアがどういった人間であるかは知っているが)。
リンシアの普段を知る身としては、この仮面を付けたリンシアを見るのはもどかしく、不気味にまで見えてしまう。
「姉上、お願いですからレイル公爵の前では変な気を起こさないでくださいね」
レイル公爵のもとにたどり着く前に一つ釘を刺しておかなければならない。
「失礼ね。私はいつだって真面目よ。失礼を働くわけがないじゃない。あなたこそ注意してよね」
リンシアは隣に座る俺を横目で見ながら、普段のなおざりさを含んで言った。
俺に対しては徹底して敬意はもちろん、愛嬌の一つも見せやしない。
家族に序列をつけて、それを露骨に態度で表す犬と同じである。
しかし、『真面目』だなんてよく言ったもんだ。
俺の目の前に座るレントはリンシアがしでかした数々の厄介ごとを思い出したのか、顔をしかめている。
もしくはこの先に起こりうる可能性のある諸問題に、憂いているのかもしれない。
馬車内が重くどんよりとした雰囲気に切り替え合ったような気がした。
一瞬の沈黙が場を支配した。
今の話は振るべきではなかったか……。
「それにしてもこの馬車も豪華で立派なものですね。乗り心地も素晴らしいし……。乗る前によく見たのですが、引いている馬も気品があった上に入れ込みはなく、とも足も素晴らしいものでしたし……」
俺は話題を変えようと、話の切り口を変えるが、どうにもぎこちない。
実質三十年生きた俺のコミュ力の集大成がこれとは何とも情けない。
しかも最悪なことに、俺の発言でリンシアはむっとした不機嫌な表情に変わってしまった。
「あんな馬よりも私の“タテガミスゴーイ”の方がかっこいいわ!」
リンシアが握りこぶしを作りながら、目を見開き、その名を叫んだ。
タテガミスゴーイとは我が家で飼育している馬のことである。
リンシア自身がこの珍妙な名前を馬に与え、さらに彼女はこの馬を溺愛していた。
その溺愛のほどはすさまじく、彼女は乗馬を楽しむ時などは決まってこのタテガミスゴーイに乗っている。
かつてのローマ帝国の皇帝の一人は自身の愛馬を愛でるあまり、その馬に元老院の席を与えたと言われているが、きっとリンシアが皇帝でも同じことをするに違いない。
タテガミスゴーイは実際押し出しがよく、かっこいい見た目なのが、困ったことにリンシアやテレスといった、女性にしかなつかないという変態馬なのであった。
俺や他の男がタテガミスゴーイに近づけば、奴は息を荒げ、大地を踏み荒らし、狂ったように暴れだすのだ。
目がいつも血走っており、女性が近づくと、ものすごい勢いで鼻をヒクヒクと動かしている。
去勢をしてあの暴れっぷりなので、筋金入りの変態である。
俺は陰で勝手にこの馬を“セイヨクスゴーイ”と呼んでいる。
「確かにあの馬の方が優れていますね。タテガミスゴーイは風を切るように走る駿馬ですからね。それに比べたらこの馬車を引いている馬などは物静かでとろいものですね」
「ええ、ええ。その通りよ。タテガミスゴーイの前ではそんじょそこらの馬なんて足元にも及ばないんだから」
「はい、もしタテガミスゴーイが戦場などに出れば大地を駆けると共にその名も轟かせるでしょうね。それほど(ある意味では)常軌を逸脱した存在であると私も思います」
「わかっているじゃない!」
リンシアは白い歯を見せ、にんまりと笑う。
ここは一歩俺が引き下がることで、損ねてしまったリンシアの機嫌を取り戻す。
自分の失言を前にしても動揺せずに、すぐにフォローを入れる。
本音を包み隠し、相手が求める回答を瞬時に見抜きそれを提供する。
この会話で、俺の貴族たる器の広さの片鱗が表れたような気がする。
いつもなら意図せずにリンシアの地雷を踏みまくった結果言い争いになり、俺も意固地になって引き下がらないため醜い争いをするのだが、今回は違った。
成人になったことで俺の人間としての奥行きが広がり、高踏的な新たなステージに足を踏み入れたようだ。
体しか成長していないリンシアとは異なり、俺は心身ともに成長の一途をたどっているというわけだ。
それを思うと心底から優越感が湧きあがり、自然と口角が上がってしまう。
他から見れば会話一つで何を、と思うだろうがこれでいいのだ。
一歩ずつ前に進んでいる事実が、さらなる成長に繋がるはずだからな。
「何をニヤニヤしているのよ?」
リンシアがいぶかしげな眼をしながら俺に訊ねる。
「いえ、別に」
「何よ、その勝ち誇ったような目は。どうせまた馬鹿なことを考えているのでしょう?」
リンシアは普段俺と共に生活しているのに、俺に息づく卓越した才に気づいていないのだ。
おいたわしや、姉上。うかうかしているとすぐにあなたを超えてしまいますよ。
俺は両手を後ろに組み、背もたれに深々ともたれかかり、くつろぐ体制をとる。
革張りの背もたれは未来溢れる俺を優しく受け入れてくれた。
「皆様!そろそろ到着しますよ!」
馬車を引いている馭者の声がした。
「だってさ、エリック。あなた何をくつろいでいるの?」
リンシアがあどけなく笑い、目を細めながら言った。
こんなしょうもないことで上げ足を取られるとは……。