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俺は転生してからというのも密かにある目標を立てていた。
それは胸を張って、誇れる立派な貴族になるということだ。
これはあまりにも具体性を帯びず、抽象的で、かつ月並みな目標だが、目標なんていうのはこれぐらい分かりやすいものの方がいいだろう。
もちろんだらだらと遊び惚けた放蕩の毎日を送りたいという願望もあるが、それはそれ。
子供たちが憧れ、町娘が恋焦がれ、社交界ではほめそやされる。
そんな栄光の威を備えた貴族というのも悪くはあるまい。
しかし残念ながら現在はその目標とはだいぶ遠く離れた位置にいるような気がする。
理由としてはリンシアを筆頭とした俺を取り巻く環境が一つ。
それともう一つ。恥を忍んで言わせてもらえば、俺の容量の悪さがあった。
普通転生などすれば便利な能力やアイテムが付与されるものだが、俺の場合そんなものはなかった。
ないにしても、物語の主人公たちは自身が育み、培ってきた経験や知識で異世界での新たな人生を攻略していくものだが、俺はそんな器用なことはできなかった。
それは俺が生前に歩んできた十五年間という時間が実に空虚で、原稿用紙にまとめれば一枚半で収まるような没個性的な人生だったのが理由である。
そしてこの一枚半の人生は余計な虚栄心と、異世界への愚にもつかない期待感を与えるだけに終わったのである。
つまり現在は、無駄に過去の人生経験をぶら下げながら、完全に真新しい人生を歩んでいることになる。
こんなことなら生前にもう少し勉強なりしておくべきだったと今更後悔している。
生前への追憶はいつも俺をもどかしい思いに駆り立てる。
俺を知る人間は俺の死をどう感じたのだろうか。
そして俺の自室はどうなっているんだろうか。
見られたくないものもあるが……いや、もう、今となってはどうでもいいじゃないか!
何だって俺は未練がましく何度も何度も、後悔が染みて悪臭を放つ過去を振り返るのだ!
自分を息苦しくするだけで、何の役にも立たないのに!
……そうだ、せめてこの世界に来てからのことを思い返そう。
この世界で経過した十五年間は新鮮なことばかりであった。
てか、初めてのことしかなかった。それで俺はこの異世界生活に対して手も足も出なかったのだ。
こういったことから俺は役に立たない前世の記憶だけを持ち歩いて、白昼夢を白昼夢のままにしておきながら今日まで生きてしまったのである。
だが今までの至らなさを悲観するにはまだ早いはずだ。
まず俺が何の能力も持たないと断定するのも早計と言える。
俺にはまだ表れていないだけで、特殊で優れた能力が眠っているはずなんだ。
その能力は周りの環境に怯えて隠れてしまっているだけなのだろう。
隠れている能力よ、今すぐに姿を現してほしい!
出てきたら俺が熱い抱擁をし、狂ったようにキスをして出迎えてあげるから!
俺はいずれ自ずと何らかの能力が発現してくれると固く信じている。
それに十五年経過したとは言っても、まだ十五年しか経っていないのだ。
この世界では十五歳から成人となる。
成人となればできることも増えていくこと間違いなしだ。
例えば結婚とかな。
今日は姉のお見合いがある。
もちろんすぐに結婚とはいかないだろうが、リンシアにその気があるのなら、結婚し、家を出ていくという未来も遠くはないだろう。
凶星の彼女がいなくなれば、この家にも曙光がさし、俺も家で窮屈な思いをしなくて済むだろう。
そうすれば俺の底に眠るたぐいまれなる潜在能力も顔を出して、人生もイージーモードに切り替わっていくはずである。
「エリック様、入ってもよろしいでしょうか?」
俺が人生について自身との高遠な対話をしていると、自室のドアの外から声がした。
「どうぞ」
「失礼します。おはようございます、エリック様。朝食の用意が出来ました」
「おはよう、テレス」
入ってきた女中のテレスがうやうやしく、落ち着いた声で挨拶をした。
このテレスという女中は数年前からこのマクローヴィス家に雇われ、働いている。
歳はリンシアと同じだったはずだ。色のいい褐色の肌に、短い黒髪がよく似合う。
女性だがなぜか男性が着るような使用人服を着ている。
しかしそれでもテレスは均整のとれたスタイルをしているため、全く違和感はない。
それに服装は本人が気に入っているようなので、誰も何も言わず、テレスの好きにさせている。
そんなテレスだが一つ気になる点がある。
「何ですか?私の腰ばかり見て。発情しているのですか?」
「違うわ!腰に差してある剣を見ていたんだよ」
「ああ、これですか?かっこいいでしょう、いつ見ても。エリック様も男の子ですものね。私の腰に釘付けになるのも仕方ないですね」
「分かりにくい言い方をするな」
彼女は常に腰に立派な彫金が施された長剣を身につけている。
テレスは傭兵とかボディーガードなどの戦いに身を置く武闘派ではない。
家事をこなす使用人、俗に言うメイドだ。
『護身用です』と彼女は言って、常に帯刀している。
俺としては物騒なのでそばにいられると気が気ではないのだが、献身的に働いているから、という理由でレントは帯刀を許可している。
「剣を持っている人と二人きりでいるのは普通に怖いなって」
「私別に謀反とか起こしませんよ」
「なんで真っ先にそんな恐ろしい言葉が口に出るの??……普段から考えたりしてないよね?」
「……まあどうでもいいではありませんか。そんなこと。それよりも本日はリンシア様と共にお見合いの食事会に招かれているのでしたよね?エリック様は失礼のないように気を付けてくださいね。」
「はぐらかすなよ!余計なお世話だよ!」
テレスは涼しげな表情で飄々としている。
彼女はレントが評したように、日々の働きにおいて不足はない。
しかし心なしか俺に対しては軽んじた態度を常に浮かび上がらせているように感じる。
俺は特に因習的な絶対の主従関係とかを重んじたりはしないので、それについてとやかく言うつもりはない。ないが、なんか引っかかるんだよな……。
「しかしあの姉上がお見合いに行くなんてね。結婚に興味を持つようになったのかな?」
「リンシア様のことですからどうにも推し量ることが出来ませんね。しかし私としては今回のお見合い、何か起こると思いますよ」
「やっぱりそう思うか」
「はい。また面白いこと……じゃない、大変な事件を引き起こす予感がするのです。つい二週間前もそうですし」
「ああ、そういえばそうだな」
二週間前、突然『競技性生存戦争を行う!』と言って広壮な我が家の庭にその辺のわんぱくな子供たちを勝手に入れて、木刀を持たせて好きに戦わせた。
この競技性生存戦争なるものは限られたエリアで誰彼構わず適当に戦い、最後まで怪我や疲労で離脱することなく生き残った一人が勝利するというものであった。
ただの遊びなんだろうが、何故か勝手に開催したリンシアも参加し子供たちと木刀で戦っていた。
正確には戦いというよりかは一方的な蹂躙であった。
リンシアの華奢な腕のどこに武器を振る膂力があるのか知らないが、彼女の剣技は軽やかで、洗練されていた。
競技性も何もなく、リンシアが悪魔的な高笑いをしながら、逃げ惑う子供たちをボコボコにする地獄絵図が我が家の庭に描かれたのだ。
圧倒的な不条理と不合理を前に子供たちは恥をかなぐり捨てて、泣き叫んだ。
その混濁と絶望が混じった叫びは家中に響き渡り、すぐにレントが飛出して競技性生存戦争を中止させたのである。
そして普段からよくお世話になっている治癒師を呼び、けがをした子には手当を施した。
最後にはリンシアが巷では手に入らないような高級な菓子を配り、子供たちを懐柔した上で家に帰らせた。
終わりよければと言うが、それでも庭は荒らされるわ、けが人が出るわ、で凄惨な出来事だと言えるだろう。
「あの時は子供たちが単純なおかげで、悪評が喧伝されなかったからよかった。しかしそれに比べたら、今回の相手は有力な貴族だぞ。そんな大それたことをするかね?いくら姉上でも分別はあるだろう」
「わかりませんよ。損得よりも自分の心を満たすことを優先して行動する方ですし」
「……確かに」
「エリック様もリンシア様が起こす嵐に巻き込まれないように注意してくださいね。いずれはあなた様も結婚することになるでしょうから。ここでスキャンダルなどが起こるとただでさえ窮屈な社交界なのに、さらに肩身が狭くなってしまいますよ」
テレスの放った結婚という言葉が俺の頭の中で反芻された。
そうだ。俺も成人になった以上、結婚というイベントは遠くないのだ。
お見合いなども他人ごとではない。
「結婚する前にとめどない情欲に流されてはいけませんよ。いくら私の容姿が優れていて、悩ましげな体をしているとしても、手を出すような不実な行動は慎んでくださいね。変なことしたら私としても身を守るために、この剣を抜かなければならなくなりますから」
「そんなことしねーよ。人を理性の働かない獣扱いするな」
テレスは何が面白いのか、顔にわずかな微笑を浮かべた。
「では私はここで失礼させていただきます。朝食には遅れませんように」
そう言ってテレスは踵を返し部屋を出ていく。
その後姿を俺は見送る。
彼女が足を動かすたびに、腰の剣とその鞘が左右に威厳を振りまくようにして揺れ動いている。
……ふむ、それにしても大変見事なお尻をしている。