第8章:軋轢
最初の試験打ち上げから数日が経った。わたしたち科学部の部室は、いつもの埃くさい空気を孕んでいるものの、その中には微妙な緊張感が漂っていた。前回の失敗で課題は山ほど見つかった。それを改善しなければならないのに、思うように作業が進まない。
その日も放課後、わたしは部室のホワイトボードにこれまでの失敗要因を書き出していた。配線接触不良、ノーズコーン形状の歪み、パラシュート展開システムの不安定、GPSログ途切れ…問題は列挙できるが、同時にやるべき対策も膨大だ。限られた時間と予算で、これらをどうクリアする?
「おい、またこんなに追加作業かよ。どんだけ直すとこあんだ?」
誠人が苛立たしげに声をあげる。机上には彼が取り寄せたセンサー基板やコネクタ類が散らばっている。一度はテストされたコードも、振動対策やノイズ除去、GPSの更新率改善など、手入れが必要な点が次々に出てきた。
「しょうがないじゃん。実際失敗したんだから、やるしかないよ。」
わたしは冷静に言うつもりだったが、つい語気が強くなってしまう。プレッシャーが積み重なり、みんな神経質になっているのが分かる。
「先輩、こちらの数値を再確認してください。高度計ログと加速度ログを照合したら、想定よりもロケットが左右に揺れてたみたいなんです。つまりフィンの角度や重心位置のズレが…」
莉香がメモを差し出すが、誠人は露骨に顔をしかめる。「また計算かよ…。理屈は分かるけど、結局それを直すのは工作側だろ?」
「なあ、樹! お前、もっと精度良くフィン切り出してくれないと困るんだよ。」
誠人がやつ当たり気味に声を張る。
樹はムッとして顔を背ける。「は? 俺だって全力でやったぞ。でも工具も限られてるし、そんなマジの機械加工みたいな精度無理だろ!」
「言い訳すんなよ。柾さんに頼めるって言ってたのに、全然進んでねえじゃん。」
「柾さんも忙しいんだよ。俺だって何度か顔出したけど、あんまり無理強いはできねえんだ。」
2年男子同士の空気がピリピリと張り詰める。
「ちょ、ちょっと、落ち着こうよ。」
わたしは慌てて声をかけるが、効果は薄い。そもそも疲れと焦りが溜まっている状況だ。誠人はイライラを抑えられず「じゃあどうすんだよ、工作精度上がらなきゃロケットまともに飛ばねえだろ!」と再び噛みつく。
樹も売り言葉に買い言葉で「だったらお前が工作やれよ! 電子部品だってグダグダしてるじゃねえか。前回、イグナイター配線外れたの誰のせいだよ!」と反撃する。
「はいはい、そこまで!」
少し離れていた莉香が強めの声を出す。1年生であるはずの彼女が、ここで止めに入るのは異例だ。「先輩方、そのように責め合っても何も解決しません。原因は多方面にあります。わたしが計算しきれなかった点もあるかもしれません。どうしてチーム内で足の引っ張り合いをするんですか?」
気丈な姿勢を見せる莉香だが、その瞳には不安が宿っている。後輩に心配させてどうするんだろう…わたしは自己嫌悪で胸が痛い。
部室に一瞬、沈黙が走る。誠人と樹はそっぽを向いたままだが、なんとか口喧嘩は収まった。
だが、和解したわけではない。ピリついた空気は依然として残り、わたしも何か妙な重圧を感じる。「こんな状態でロケットを完成させられるの?」と自問してしまう。期限は迫り、資金問題も宙ぶらりん。スポンサー交渉の結果待ち、文化祭準備の設計、改良すべき技術課題…。山積みの仕事の前に、わたしたちは内輪で衝突している。
その日は結局、まともな作業が進まなかった。皆ふてくされたまま、早めに部室を後にする。わたしは最後に一人残って机の上を片付けながら、どうすればいいのか悩んでいた。
翌日、放課後も部室へ行くと、誠人は来ない。樹は来てはいるが黙り込んで作業をしている。莉香は気を使って何度か声をかけるが、場の空気は重いままだ。
「先輩、どうしましょうか…」莉香が小声で聞いてくる。
「うーん…」
わたしは言葉に詰まる。どうやってチームをまとめればいい? 人間関係のトラブル解決なんて、ロケット設計よりずっと難しい気がする。
その夜、家の屋上で星を見上げる。前と同じように空気は澄んでいないし、町の光が増えて星は少ない。でも、ぼんやりと光る小さな星たちは変わらずそこにある。
「わたし、一人じゃ何もできない…」
こんなとき、誰か相談できる人はいないだろうか。考えた末、わたしは翌日、放課後にこっそり柾さんを訪ねてみることにした。
工場に顔を出すと、柾さんは珍しく手を休めて煙草をくゆらせていた。
「お、久しぶりじゃん。どうした?また素材でも欲しいのか?」
「いえ、その…」わたしは少し言葉を濁す。「仲間同士でギスギスしてて…ロケットを作るはずが、責任のなすり合いになってて、どうやってまとめればいいか…わからなくて。」
柾さんは驚いた顔をした後、苦笑する。「あー、まあ、そういうのはよくある。工場のチームでも、納期前は殺伐となるもんだ。」
「じゃあ、どうすれば…?」
「簡単じゃないけどな。まずは正直にぶつかることだろ。『これがやりたいから一緒に頑張ろう』って気持ちを、はっきり言葉にして伝えろよ。お前、最近ちゃんと仲間に気持ち伝えてるか? なんとなく皆が分かるだろうって思ってないか?」
ハッとする。確かに、わたしは問題解決に追われて、仲間への感謝や期待を明確に伝えていなかったかもしれない。
「それに、他人の得意分野を尊重することも大事だ。皆がいないとロケットはできないんだろ?そこんとこもう一度言えば、案外分かってくれるかもよ。」
柾さんは目を細めて笑う。「一発目から完璧に組織運営なんて無理さ。失敗したなら軌道修正すりゃいい。お前らはまだ若い。いくらでも方向変えられる。」
わたしは心が軽くなった気がした。次の日、部室に行くと、誠人も来ていたが依然として黙っている。樹も何か話しづらそうだ。莉香は心配げにわたしを見る。
意を決して、わたしは口を開く。
「ねえ、みんな、ちょっと聞いて。」
突然の呼びかけに、誠人も樹も顔を上げる。莉香は静かに頷く。
「この前はごめん。わたし、リーダーみたいな顔してたけど、皆にちゃんと感謝や気持ちを伝えてなかった。何もかも上手く進まなくて、イライラして、皆に頼るばかりで。」
視線を彷徨わせながら続ける。「誠人の電子回路やプログラムがなかったら、高度計もGPSも使えないし、パラシュート展開なんて無理だよ。樹がいなきゃ、材料を工作できないし、形がバラバラなロケットなんて飛ぶわけない。莉香がいるから計算やシミュレーションが成り立つ。ほんと、みんながいないと成り立たないんだ。」
わたしは深呼吸する。「失敗はしたけど、それはチーム全体の課題。誰か一人のせいじゃない。改善すればいいだけ。コンテストまで時間はないけど、ここでバラバラになったら、何も始まらない。」
沈黙が落ちる。誠人は腕組みしてうつむいていたが、やがて小さく鼻を鳴らす。「…別に、俺も嫌でやってるわけじゃないんだよな。ただ、責任とか重すぎて、ちょっと腹立ってた。」
「俺も悪かったよ。」樹がぼそりと謝る。「工具も足りないし、精度出ないのは仕方ないとか思ってたけど、ちゃんと他の方法も考えるべきだった。やれることはまだあるはずだよな。」
莉香はホッとしたような顔で微笑む。「わたしももっと計算精度を上げます。パラシュート展開の最適高度や、振動で配線が外れにくいように設計を考え直したりできます。みんなで改善すれば、次は成功に近づけますよね。」
わたしは笑顔で頷く。「そうだね、みんなでやろう。」
ふっと重苦しかった空気が溶ける。完璧に元通りとはいかないけれど、少なくとも互いを認め合う雰囲気が戻り始めた。
「じゃあもう一回、課題を整理しようか。」
わたしがホワイトボードに近づくと、誠人が立ち上がる。「オレ、配線を根本的に見直すわ。ブレッドボードやめてちゃんと基板に実装する。ちょっと初期費用かかるけど、信頼性を上げないとダメだ。」
「俺は柾さんと交渉して、次こそ型を取ってからフィンを切り出す。CNC加工とか無理でも、最低限、治具を用意するよう頼んでみる。使えそうな端材探して、精度を少しでもマシにするよ。」
樹が具体案を口にする。
「じゃあ、わたしは高度計と加速度センサーのノイズ補正アルゴリズムを改良します。あと、過去ログを統計的に処理して、パラシュート展開高度の予測モデルを作ってみます。」
莉香がスマホで計算アプリを開きながら言う。
「わたしはスポンサーや文化祭の準備を進めるよ。ちょっとずつ寄付や物品提供の話も動き始めてるし、ロケットの完成イメージを商店街の人に見せて説得力を増す。」
わたしも役割を明確にする。
こうして再びチームは歩み出す。争っても前に進まない。お互いを認め、役割を分担し、問題を一つずつ潰していくしかない。完璧な組織なんて最初から存在しない。失敗と衝突を経て、ようやく「一緒にやる意味」を噛みしめることができた。
部室には、前のようなぎこちなさがまだ少し残っているけど、少なくとも全員が前を向いている。
窓の外から、野球部の掛け声が聞こえる。夕日に照らされた校庭で、汗を流す部員たちが見える。わたしたちも、彼らに負けないくらい真剣に挑んでいる。宇宙こそ遠いけれど、その夢に向かう過程は、足元の地面を踏みしめるように確かな手応えがある。
わたしは心の中でつぶやく。
「星を目指した気持ちが嘘じゃないなら、こんなことで諦めるわけにはいかない。」
人間関係も課題の一つ。それを乗り越えることも、ロケットを飛ばすための大事なステップなのだ。
軋轢を経て、わたしたちはまたひとつ成長した。
これで、少しずつでも完成へ近づけるはずだ――希望の光が、再び微かに揺らめき始めていた。