第7章:試験打ち上げ - 初めての実地テスト
コンテストまで残り2か月あまり。空気はまだ湿っぽく、暑さもじわりと淀んでいるが、わたしたちはいよいよ初の試験打ち上げに踏み切ることにした。
もちろんまだ本番用のロケットは完成していない。今日打ち上げるのは、プロトタイプとも言える小型モデル。胴体は安価な素材で作り、ノーズコーンやフィンも簡易型だ。それでも、機構や回路の基本動作を確認し、課題を洗い出すには十分なはず。
資金問題は解決していないが、少なくとも一度は実地で飛ばさないと分からないことが多い。スポンサー候補への説得材料にもなるだろう。「この段階でどこまでできるのか」を示す意味もあった。
土曜日の早朝、わたしたちは自転車で河川敷へと向かう。コンテスト会場と同じ場所ではないが、比較的安全な広い草地があり、地元の模型ロケット愛好家が許可を取って使っているという情報を先生がくれた。今回は顧問の先生も同行してくれる。「安全には十分気をつけて」と釘を刺されつつも、こうして先生が来てくれるのは心強い。
「ついに打ち上げか……」
誠人が工具箱を肩にかけ、憂鬱そうな声をもらす。「まだ試作段階だし、どうせ失敗するかもしれないけど、まあやってみるしかねえよな。」
「そうですね、データが取れればいいんです。」
莉香は緊張を隠せない様子だが、目はギラリと計測意欲に燃えている。「高度計やGPS、加速度センサーのログが得られれば、その分改良できますから。」
「俺は落下後に回収しやすいよう、場所の目星をつけとくわ。」
樹があたりを見回しながら言う。草むらや低木が多い場所は回収が大変だ。パラシュートがちゃんと開いて、近場に落ちてくれればいいけれど。
柾さんは来られなかったが、事前に「初回はうまくいかないもんだ」とアドバイスをくれている。顧問の先生は「生徒だけじゃ心配だから」と結局クルマで先に来てくれていて、既に発射パッド(即席の簡易台)を設置してくれていた。モデルロケット用の小さなランチャーレール、そこにプロトタイプ機を固定する。
「よし、準備するぞ。」
わたしは持参したデイパックからロケット本体を取り出す。長さは60センチほど、細身で黒っぽい塗装に白いラインを引いただけのシンプルなもの。ノーズコーンはウレタンを削って軽く樹脂コーティングしただけ。フィンはバルサ材で、慎重に接着してある。
内部には誠人と莉香がセットアップした簡易版フライトコントローラ。高度計、加速度センサー、GPSは載っているが、配線はブレッドボード状態に近く、外部衝撃に弱そうで頼りない。パラシュートは手縫いのナイロン製、小さなイグナイターで押し出す仕組みはまだ簡易版で、安全マージンも少ない。
「電源オン……センサーは動いてるな。」
誠人がArduino互換ボードに接続したUSBモバイルバッテリーを外し、独立電源をオンにする。LEDが点滅し、起動シーケンスを示す。莉香がスマホでBluetooth接続の簡易ログモニターを確認して「高度計正常、GPS捕捉開始……3Dフィックスまだですけど、まぁ位置は大体取れます」と報告。
顧問の先生が双眼鏡を片手に緊張した声で言う。「準備できた?」
わたしはうなずく。「はい……やります。」
心臓がドキドキしている。初めての打ち上げ、何かトラブルが起きたらどうしよう。爆発まではいかなくても、曲がって飛んで行って川に落ちるかもしれないし、パラシュートが開かず墜落する可能性だってある。
「それじゃカウントダウンするぞ。」誠人が声を張り上げる。「5…4…3…2…1…イグニッション!」
わたしが点火スイッチを押すと、小さな固体燃料モータがシュッと白い煙を吐く。バシュッという軽い音と共にロケットはまっすぐ上へ……いや、わずかに傾いているか? でも一応空へ登った!
「上がった!」
樹が歓声を上げる。高度は30m、50m、100m……あっという間に小さな点になる。わたしは空を見上げて目を凝らす。
「予想よりふらついてないか?」先生が双眼鏡越しに眉をひそめる。
確かに、ロケットは微妙に旋回しているように見える。フィンの精度不足か、重心バランスの問題かもしれない。それでも、目標高度に近づきそうな勢いで登っていく。
しかし、その時だった。高度のピーク付近で、何かが外れたような閃光が見える。パラシュート展開タイミングを過ぎても、ノーズコーンが外れない。
「パラシュートが開かない!」
莉香が青ざめる。「プログラム上は頂点付近で点火するはずなのに……」
わたしは息を呑む。ロケットは頂点を超え、今度は加速しながら落下を始めた。小さな機体が重力に引かれ、地面へ戻ってくる。
パラシュートがなければ直撃だ。もちろん火薬量は少なく、機体も軽いから人に当たるほどの危険は避けるよう配置しているが、機体はバラバラになるかもしれない。
「みんな下がれ!」
先生が叫び、わたしたちは安全距離を確保する。幸い、ロケットは大きく外れた方向には飛んでおらず、少し離れた草むらへドスン!という鈍い音とともに落下した。大きな破片が飛び散る様子はなく、爆発もなし。ただ、一瞬で夢が地に叩きつけられたような、冷たい現実がそこにあった。
「くっそ……」
誠人が呆然としたままつぶやく。わたしは胸が痛い。
樹が「回収してくる」と言って、草むらに入っていく。少し後ろから莉香も続く。「わたしもお手伝いします。データ回収しないと。」
戻ってきたロケットは、ノーズコーンが曲がり、フィンが一枚折れていた。機内部の基板はかろうじて無事だが、配線が外れセンサー類は一部が歪んでいる。パラシュートはまだ筒内に詰まったまま。どうやらイグナイターが点火せず、展開できなかったようだ。
「何が原因だろう?」
わたしが首をかしげると、莉香が慎重に機体を調べる。「イグナイター用の配線が外れてます。多分振動で接触不良を起こしたんじゃないでしょうか。この仮配線では衝撃に耐えられなかったみたいです。」
誠人がうなだれる。「やっぱり仮組みのブレッドボードはダメだったか……ちゃんと基板実装しないと信頼性ゼロだな。」
「ノーズコーンも成形が甘い。ちょっと傾いてたのは空力的なバランス不足かも。」樹が折れたフィンを触りながら言う。「安定性が足りないし、衝撃で強度も足りない。ま、想定内っちゃ想定内だな。」
顧問の先生がため息混じりに言う。「ま、初回なんてこんなもんだろう。人や物に大きな被害なくて良かったじゃないか。次どうするかを考えるためのデータ取りなんだろ?」
わたしは悔しいが、先生の言葉は正しい。最初からうまくいくなんて思ってなかったし、安全を確保して大事に至らなかっただけでも収穫だ。
莉香がスマホでログを確認する。「一応、高度データは取れてます。ピークは約120mくらい。GPSは途中で途切れてるけど、加速度データも残ってます。パラシュート展開信号は出ていたのにイグナイター点火されず、という記録もある。」
「つまり、プログラムは機能したけど、ハードが追いつかなかった。」
わたしは唇を噛む。「改善点が山ほど見つかったね。配線の固定、基板の小型化・安定化、イグナイター用のちゃんとしたコネクタ、ノーズコーンの精度向上……。」
誠人は肩を落としながらも「まあ、無駄な打ち上げじゃなかったろ。これでいい方向に修正できる。」と前向きな言葉を発する。
樹もうなずく。「ああ、こういう失敗は想定済みさ。次はもっとマシな構造にしようぜ。」
夕方、部室に戻って検証会議を開くことにした。
「まずはこのデータを分析しよう。落下時の加速度傾向や、GPSが途切れたタイミング、ノーズコーン部分の空気抵抗計算見直しだな。」
莉香はさっそくノートを取り出し、メモを書き始める。
「イグナイター電流が流れなかった原因は振動と接触不良だな。振動試験みたいなことをやって、しっかりコネクタをはんだ付けして……。」
誠人が課題を口にする。
「ノーズコーンとフィンをもう少し精度上げないと。あんな歪んだ形じゃ安定飛行なんて無理。」
樹が真っ先に改善策を頭に浮かべている様子だ。
帰り道、わたしは疲れた足取りで校門をくぐる。失敗は悔しい。だけど、まったくロケットが飛ばなかったわけじゃない。空中まで行った、その事実は嬉しくもある。ほんの一瞬だったけど、「自分たちが作ったものが空をめざした」という手応えがあった。
「次はもっと上手くやる。」
そう心に決める。
これでノウハウは蓄積された。部品実装や振動対策、本番機への改良点は山ほどある。今回の試験打ち上げを無駄にしないためにも、わたしたちはすぐに手を動かさなければ。
部室で得たログデータを眺め、わたしは微笑む。コンテストに出る前に、こうして失敗できたのは幸運だ。次の試験までに時間はあまりないが、試行錯誤を繰り返せば、きっと成功に近づく。
遠い星空の憧れが、今日少しだけ「現実の難しさ」として迫ってきた。でも、それでいい。夢を形にするには、失敗を積み重ねて改善するしかない。
わたしたちのロケット計画は、今日、新たな課題を抱えながら、また一歩成長した。
悔しさと同時に湧き上がる闘志を胸に、また明日から頑張ろう。
そう決意しながら、暗くなる町の中、わたしは静かに自宅への道を進んだ。