第3章:試作開始 - ノーズコーンと空力設計
翌日、放課後の科学部部室は、わたしたちにしては珍しく緊張感が漂っていた。ロケット作りが本格的に動き出すことになり、今日はまず機体デザインの中心であるノーズコーンとフィン、つまりロケットの頭と翼の形状について検討する予定だ。
部室に入ると、すでに誠人が机に資料を広げている。どうやらネットで拾ってきた海外のモデルロケット設計図らしく、英文コメントや数値が並んでいる。対面では樹が古い工作カッターを手に、発泡スチロールブロックを削り始めていた。彼は無造作に切り出すのではなく、何か参考画像をチラ見しながら、ラフな形を作ろうとしているようだ。
「お、早いね。みんな気合入ってんじゃん。」
わたしが声をかけると、樹は「いや、先にちょっと試してみようと思ってさ。こっちがイメージ固まらないと話にならないだろ?」と返事をする。妙にやる気があるように見えるのは気のせいかな? 照れ隠しかもしれないが、彼なりにこのプロジェクトに乗り気になってきた証拠だろう。
一方、莉香はスマホとノートを手に、少し離れた机でメモを取り続けている。
「先輩、今日の計画はノーズコーンの形状の検討でよろしいでしょうか? わたし、簡易的な空力計算ができそうなアプリを探してみました。」
こうして律儀に確認してくる姿勢が、1年生らしくて微笑ましい。
「そう、その予定。ノーズコーンの形は、ロケットの空気抵抗に大きく関わるみたいで、コンテストでの高度を左右する重要要素らしいのよ。海外のモデルロケット界隈だと、弾丸みたいなオジーブ(Ogive)形状や、円錐型、半球型とか、いろいろなバリエーションがあるとか。」
「了解しました。では、オジーブ形状の基本公式など、改めて計算してみますね。」
「助かる! 莉香、ありがとね。」
後輩に頼れるのは正直心強い。わたしはそう思いながら彼女に微笑みかけると、誠人が「ほらよ」とA4用紙の出力図面を渡してきた。
そこにはあるロケットの参考断面図が載っていた。ノーズコーンは流線型、スリムで長め。フィンは薄く、軽量で、全体としては極力空気抵抗を減らす方針だと書いてあるらしい。
「でもさ、あんまり尖りすぎると製作難度上がるよな。それに強度も要るし、バランスとらないと駄目だろ。」誠人がぼそっとつぶやく。
「確かに……」わたしは少し考える。「オジーブ形状は理論上、低速~中速域での抵抗が少ないらしいけど、わたしたちのロケットって最高速度はせいぜいマッハ0.3とかその程度でしょ? そのレベルなら、単純な円錐形ノーズでも問題ないかもしれない。」
「先輩、計算してみましょうか? わたし、簡易的なドラッグ係数計算ツールをスマホで立ち上げます。」
莉香がノートにさらさらと数式らしきものを書く。どうやら、ある程度の条件を入力すれば近似値が出せるらしい。
そのとき、ドアが開き、顧問の先生が入ってきた。
「調子はどうだい?」
先生は半分面白がっているような表情で、わたしたちの机上を覗き込む。コンテスト参加の申請はまだだが、わたしたちが本気で動き始めたことを知ってか、少し関心を持ってくれているようだ。
「今、ノーズコーン形状の検討中です。大会要項は先生にお見せしようと思ってたんですが、まだ印刷できてなくて。」
「いいよ、後でで。安全面と法規制だけはしっかり確認しておいてね。ここの高校、そんなに厳しくはないけど、事故があったら困るから。」
そう言い残して、先生は雑誌の整理をしに準備室へ戻っていく。
「安全面かぁ……ノーズコーンの先っぽを鋭利にしすぎると、万が一落下時に人に当たったら危ないよね。」
「それは確かに問題ですね。コンテスト規定でも、落下時の安全を考慮して先端にある程度の丸みを持たせるような記述があるようでした。」
莉香がスマホ画面を見ながら報告する。こういう実務的なチェックまでやってくれるのは、本当に助かる。
樹が発泡スチロールで削り出した試作品を持ち上げる。
「とりあえず、これでイメージ確認してみろよ。尖らせずに、オジーブっぽい緩やかなカーブを心掛けてみた。」
わたしは手に取ってみると、軽くて手触りがサラサラしている。ただし、発泡スチロールだから強度は全くない。あくまで形状イメージ用だ。
「なるほどね。この形なら、空気をスムーズに流せそう。でも、本番はもっと丈夫な素材で作らないと。FRP(ガラス繊維強化プラスチック)とか、安く手に入らないかな……」
「FRPを扱うには樹脂やら硬化剤やら要るし、成形のとき有毒ガスも出るだろ? 素人が部室でやるにはキツくねえか?」
誠人が心配そうに言う。確かに、化学実験室でもない部室でFRPを扱うのは怖い。換気も不十分だし、機材もない。
「そこで、なんだけど、柾さんに相談してみない? あの人、町工場にいろんなツールがあるって言ってたし、何らかの素材を加工できるかもしれない。」
わたしが提案すると、樹は頷く。「そうだな。簡易的な金型を使ってFRP成形するか、アルミとか樹脂ブロックを削り出すとか、プロの手が欲しいところだ。」
「では一度、外部協力者に当たるということですね。わたし、工程表をざっと書き出しておきます。」
莉香がノートに「ノーズコーン製作フロー」的な見出しを書き、(1)形状決定、(2)材料選定、(3)試作依頼、(4)仕上げ・塗装、など段階的に整理している。きっちりしてるなぁ。
さて、形状はオジーブ系で、先端を少し丸める方向で仮決定。あとはフィンだ。フィンはロケットを安定させるための重要パーツ。適当な形と角度では、飛行中にロケットがくるくる回ってしまう。
「フィンは何枚にする? 3枚?4枚?」誠人が聞く。
「一般的には3枚か4枚が多いけど、3枚の方が軽量化できる分、登頂高度上がるって話もあるんだよね。だけど3枚は工作精度が要求されるから、下手するとバランスが崩れやすい。4枚なら対称性は取りやすいけど、重量増だ。」
「一度計算してみます。3枚フィンと4枚フィンでドラッグ係数と安定性のシミュレーションを比較できます。」
またしても莉香が計算担当を買って出る。
「頼む。あとで比較結果を教えて。」
わたしたちは部室のホワイトボードに、ロケットの想定寸法を書き出してみる。全長や直径、目標とする高度はまだ確定していないが、ざっくり全長1メートル程度、直径7~8センチ程度のモデルロケットが多いらしい。このサイズなら、市販モータを使えば数百メートルは上がるはず。
「コンテストでは高度を競うんだっけ?」樹が確認する。
「確か、部門によって違うみたい。精度部門は設定した目標高度にいかに近づくか、別の部門は純粋に最高高度を競う。わたしたちは、初心者だから制御しやすい精度部門にエントリーするのがいいかも。」
わたしは参考サイトのスクリーンショットを見ながら答える。
「では、あまり無理して最高高度を追わず、安定した飛行で指定高度近くを狙うんですね。」
莉香が納得したようにうなずく。
そうなると、フィンの形状は安定飛行を重視した方がいい。3枚でやるなら精度よく切り出して左右対称を完璧にしなきゃいけない。4枚なら多少ずれても大きな問題にはなりにくい……
「初心者がまずクリアすべきは、確実な安定飛行とパラシュート回収。高度はその次って感じか?」誠人が言う。
「うん、そうだね。最初から欲張り過ぎると痛い目見るかも。だからまずは安定。4枚フィンでしっかりバランス取ろう。」
「了解、それじゃ4枚で設計しよう。フィン形状はシンプルな三角形でいく?」
「そうしよう。」
全体イメージが少し固まってきたところで、わたしは一旦まとめることにした。
「じゃあ、暫定プランとしては、オジーブ形状のノーズコーン、全長1m弱、直径約7-8cm、フィンは4枚のシンプルな三角形。素材は軽量なバルサやカーボン風の複合材が理想だけど、予算が問題。ノーズコーンは柾さんに相談、フィンは学校で切り出せる素材でとりあえず試作、って感じかな。」
「カーボンとか高ぇしな。でもFRPくらいならなんとか……」樹が唸る。
「わたし、FRP成形時の安全指針も調べておきますね。」
「ありがと、助かる!」
夕方になると、窓の外はほのかに赤みが差し、暖かい春の光が少し傾いてきた。今日は一気に決まったわけではないが、基礎の方向性を固めることができた。これだけでも大きな前進だろう。
「じゃ、明日さ、放課後に柾さんのところ行ってみる? 相談するなら早いほうがいいし。」
わたしが提案すると、誠人と樹が顔を見合わせる。
「お前、一人で行けばいいじゃん。」誠人が茶化すように言う。
「え~、そんなの不安だよ。部活仲間として一緒に来てよ。」
「まあ、行くか。莉香も来る?」樹が振り返ると、彼女は「はい、わたしもぜひ同行させてください。経験豊富な方から技術的なお話を伺えるなんて、楽しみです。」と嬉しそうに答えた。
軽い口論を交えつつも、明日の外部交渉に向けて気持ちがまとまる。実際、柾さんに相談することは山ほどある。ノーズコーン成形、適した素材の確保、場合によっては軽い金属加工も必要になるかもしれない。予算や費用も聞かないといけないし、そもそもボランティアでやってくれるのか、有料ならどう支払うかも問題だ。
その晩、家に帰ってからも、わたしはノートにラフスケッチを描き続けた。思い描くロケットはまだ曖昧な線ばかり。それでも、昨日までよりは一歩先へ進んでいる。あの星空を見上げた頃より、わたしは確かに現実的な手順を踏みつつある。
「コーンはもう少し丸みを帯びさせたほうが……フィンはもう少し薄く……」
頭の中でいろんなバリエーションが回り続ける。正解はどれなのか、すぐにはわからない。でも、試行錯誤を重ねることで、きっと理想に近づくはずだ。
ノーズコーンとフィンの基本設計が固まれば、次は推進系やエレクトロニクスに進める。誠人がやる気を出せば高度計やセンサーの搭載も夢じゃない。部室の片隅には謎の基板やケーブルが転がっているし、学校のPCを使ってシミュレーションもできる。
莉香が計算してくれたドラッグ係数や揚力成分を参考にすれば、空力特性はもっと洗練できるかもしれない。樹が試作してくれる模型を使って、実際に簡易風洞実験を試みるのも面白そうだ。扇風機と発煙装置みたいなもので気流を可視化する動画をネットで見たことがある。あんな手作り実験でも、実データをちょっとでも取れれば、説得力が増す。
考えれば考えるほど、やりたいことが増えていく。それは焦りでもあるが、同時に「本当にモノを作っている」実感でもある。何も知らなかった昨日までと比べて、わたしたちは今、具体的な一歩を踏み出しているんだ。
翌日の行動を思い浮かべる。放課後、柾さんのところへ行く前に顧問の先生に相談しておこう。外部協力者がいることは悪くないが、勝手に頼むと後で問題になるかもしれない。正式なプロジェクトとして動き出すなら、先生の後ろ盾も必要だろう。
「明日はいろいろ忙しくなりそうだな……」
わたしはカーテンを少し開けて夜空を見上げる。今日は薄曇りで星はほとんど見えない。それでも、あの輝く星が頭に浮かぶ。子どもの頃感じた憧れは、今や実体を伴いつつある。ロケットは遠い夢ではなく、手の届く挑戦に変わりつつあるのだ。
寝る前にスマホでコンテストのSNSアカウントをチェックしてみる。去年の参加校が打ち上げたロケットの写真や動画が投稿されている。鮮やかな塗装、勢い良く噴射する固体燃料モータ、青空へ一直線に伸びていく細い機体……見ているだけで胸が高鳴る。
「こんな風に、わたしたちのロケットも飛ぶのかな。」
想像するだけでワクワクが止まらない。あの時、星空に抱いた夢が、少しずつ現実の姿を得ていく。仲間たちと共に、問題を一つずつ解決しながら、わたしたちの小さなロケットはきっと空へ飛び立つだろう。
「よし、頑張ろう。」
小さく呟いてから、わたしはベッドに潜り込む。明日はまた新しい課題が顔を出すだろうけど、もう怖くない。だって、わたしは一人じゃない。同期の男子たちも、後輩の莉香もいる。技術屋の柾さんだっている。顧問の先生だって、嫌な顔をしつつも多分応援してくれる。
闇の中、瞼を閉じても、頭の中ではロケットのシルエットが浮かんでは消える。そうして静かな夜が更けていく中、わたしは次なる行動への期待を胸に、眠りへと落ちていった。