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第1章:星空に抱いた夢

 田舎町の夜は、とびきり暗くて静かだ。街灯がほとんどなく、民家も少ない山沿いの集落では、夏の夜になると、かすかな虫の声と川のせせらぎだけが耳元をかすめてゆく。幼い頃、祖父母の家へ泊まりに行くたびに、わたし――志織は、縁側から夜空を見上げていた。星はまるで宝石箱をひっくり返したみたいに散らばり、手を伸ばせば掴めるんじゃないかって錯覚したほど。どれくらい高い所にあるのか、その時のわたしには見当もつかなかったけど、どうしてか、あの光の点々はわたしに「遠い世界」への憧れを掻き立てた。

 その憧れは、テレビで見たロケットの打ち上げ映像と一緒に、胸の奥でゆっくりと形を成した。「あのロケットに乗れば、星まで行けるんじゃないか」――子どもの発想らしく単純だ。でも、あの時から確かにわたしの中には、火が灯ったのだと思う。宇宙への入り口、その始まりの乗り物はロケット。大きな音と炎と煙をまとって空へ飛ぶ、あの筒状の機械が、星への階段を見せてくれるような気がした。


 ……そして今、わたしは高校2年生になった。地元の県立高校。運動部がそこそこ盛んな田舎校だが、わたしが所属する科学部は地味で弱小。部屋は理科準備室を少し拡張しただけの小さな部室で、古びた棚や実験器具、得体の知れない資料が雑多に積まれ、時折なにか薬品のような匂いが立ちこめている。化学部でも物理部でも生物部でもない「科学部」というあいまいな看板を掲げ、ぶっちゃけ目立った実績はない。昨年は文化祭で瓶詰めの標本を並べただけで終わった。

 けれど今日は、その埃っぽい部室の片隅で、わたしはある雑誌をめくっている。表紙は英語、載っているのは海外のモデルロケット関連の記事や設計図。専門的過ぎて半分も読めないけど、図面や写真を見るだけで興奮する。ロケットが空を切り裂くように上昇するイメージが頭に浮かぶと、心臓がちょっとだけ高鳴る。


 「あー、志織、またその雑誌っすか?」

 気だるそうな声が降ってきて、わたしは顔を上げる。声の主は同じ2年生の誠人(まこと)。彼は電子工作が趣味で、トランジスタやICチップなんかを使ってガジェットをいじるのが好きらしいけど、その割に行動力には乏しい。いつも眠そうな目で、前髪がちょっと長め。正直、頼りになるタイプには見えない。

 「いいじゃん。わたしが何読んでようとさ。」

 ちょっと刺々しい返しになったけど、誠人は「はいはい」って気のない返事でスルー。彼は窓際の机に腰かけて、自作の変な基板をいじり始める。


 その隣では1年生の女子、莉香(りか)がスマホ片手に何やら計算アプリを操作している。小柄でショートヘア、目元は鋭く、どうやら数学と物理にめっぽう強いらしい。まだ入部したてで、先輩であるわたしたちには一応丁寧な口調で接してくれる。

 「先輩、失礼します。その雑誌、モデルロケットのものですよね? 昨年の海外コンテストの記事らしいと伺ったのですが……」

 莉香はわたしが読んでいる雑誌をちらりと見て、知的好奇心の光を瞳に宿している。彼女は計算オタクらしく、未知の数式や流体力学に興味を示すタイプだ。

 「あ、そうそう、見てみる?」

 「はい、ぜひ拝見したいです。」

 敬語できちんと応える莉香は、他の2年男子に比べてよほどしっかりしている気がする。


 一方、もう一人の2年生男子、(いつき)はスチール棚をガタガタ動かして、中から発泡スチロール製の適当な模型を引っ張り出していた。

 「何それ?」わたしが聞くと、彼は肩をすくめる。

 「いや、去年、なんか実験で使おうとして放置してたヤツ。どうすんのこれ?」

 「知らん。もう捨てれば?」

 樹は「だよなぁ」と苦笑して、また棚に突っ込もうとしている。莉香がそれを見て微かに溜息をつく。「先輩、それ、もったいないです。何かに再利用できるかもしれませんよ?」

 樹は面倒くさそうに頭をかく。「まあ、そうだな。あ、悪いな、一年生に気を使わせて。」

 「いえ、お気になさらず。ただの提案ですので。」

 こういう風に場をちゃんと見て口を挟めるあたり、莉香はかなり優秀だと思う。


 そこへ顧問の先生が入ってきた。40代の理科教師で、少し気弱そうな雰囲気。白衣が少し黄ばんでいるし、髪はうっすら薄くなり始めている。実験好きというよりは、雑務に追われて疲れている印象だ。

 「みんな、お疲れさん。そういえばさ、今年うちの近くで高校生向けのロケットコンテストがあるって知ってる?」

 先生は思いついたように言い残して、手元の封筒を探っている。

 「ロケットコンテスト……ですか?」

 わたしが思わず聞き返すと、先生は「ああ、そうそう。近くの河川敷でやるんだってさ。小型モデルロケットを打ち上げて、高度や飛行安定性を競うらしいよ。参加チームは結構あるみたいだ」とさらりと言う。


 ロケットが、この田舎で? その瞬間、心の中で何かが弾けるみたいに熱くなった。

 「先生、それエントリーは自由なんですか?」

 「条件や参加費はあるみたいだけど、高校生対象だし、君たちも申し込みはできるんじゃないかな。まあ、安全面の書類とかルールが厳しそうだけどね。」

 そう言うと、先生は曖昧に笑って去って行く。


 残された部室は静かになったが、わたしは興奮が収まらない。ロケットコンテストだなんて聞いたことなかった。モデルロケットと言えど、自分たちで作る機会が訪れるなんて夢みたいだ。

 「先輩、本当に参加なさるんですか?」

 莉香が、わたしの熱を帯びた目を見て首を傾げる。

 「……やりたい。みんなでロケット作って打ち上げようよ。」

 勢いで言ってしまったものの、返ってきたのは微妙な空気。


 「いやいや、ロケットって、そんな簡単に作れるのか?」誠人が半笑いで言う。「失敗したらヤバくね? 火薬とか爆発しそうだし……」

 樹もめんどくさそうに頬をかく。「部費足りんだろ。どうすんの? 材料どうやって集める?」

 「あの、先輩方……」莉香が申し訳なさそうに口を挟む。「わたし、計算や設計のお手伝いはできますけれど、正直、安全と資金の問題はかなり大きいかと……」

 そうだ、やる前から問題は山積み。でも、だからって諦めたくない。わたしが星を見上げて憧れた気持ちは本物だし、ロケットコンテストなんてまたとないチャンスだ。


 その日の放課後、わたしは校舎裏の道を歩いて家へ帰る途中、ちょっとした工場跡みたいな空き地で、妙な青年に出会った。作業着姿で、小さな工作機械をいじっている。ほとんど人気のない場所だから、通りがかりの人は珍しい。

 「ん? お前、あの高校の子か?」

 青年は無精髭をさすりながら、わたしを見た。

 「はい、あの……何か工作してるんですか?」

 「ま、町工場の手伝いさ。この辺は昔ちょっとした金属加工やってたところでね、今は暇な時に自分で部品作って試してるんだ。まあ、(まさき)っていうんだけどな、俺。」

 そう名乗る彼の手元にはCNC加工機っぽい小さな工作装置があって、何かカーボンみたいな素材を削っているらしい。


 ふと思い立って、わたしはロケットコンテストのことを聞いてみた。

 「柾さん、ロケットとか、興味ありますか? 実はわたし、学校でロケットコンテストに出ようと思ってて……」

 「ロケット? ああ、あれか。聞いたことあるぞ。今年この辺でやるんだろ? モデルロケット用の固体燃料モータとか使うんだよな、あれ。ノーズコーンやフィン形状で高度も変わるし、空気抵抗計算とか、意外と本格的みたいだ。」

 彼はさらりと専門用語を出してきて、わたしは驚く。こんな何もない田舎で、ロケットの話が通じるなんて想像してなかった。

 「すごい……詳しいんですね。」

 「いや、昔ちょっと興味あってな。まあ、本気でやるつもりなら色々課題はあるけど、お前らが本腰入れるならアドバイスくらいはしてやるよ。」

 そう言って柾はニヤリと笑った。その顔には、ちょっとした期待が混ざっているようにも見える。


 家に帰る道すがら、わたしの胸は高揚していた。学校には電子工作が得意な誠人、計算ができる莉香、多少でも工作の経験がある樹、そして外部には柾という町工場の知識を持つ人間がいる。課題は山のようにあるけれど、戦力はゼロじゃない。

 その晩、わたしは机の上でネット検索しながら、モデルロケット製作の基礎を猛勉強した。固体燃料モータ、簡易的な高度計、GPSトラッキング、パラシュート回収――どれも聞くだけでワクワクする。まるで小さな宇宙開発じゃないか。

 ふと窓の外を見ると、昔ほど星は輝いていない。町の灯りが増えて、夜空は少し霞んでいたけれど、それでも、あの時縁側から見た無数の星々は心の中に生きている。

 「よし、やろう。絶対にロケットを打ち上げる。」

 小さな声で自分に誓う。その声は誰にも聞かれなくても、確かな決意だった。


 明日、部室で堂々と言うんだ。「ロケットコンテストに参加しよう」って。反対意見があっても、やる。失敗したっていい、失うものなんてない。挑むことで、わたしたちは何かを掴めるはずだ。

 それは遠い星の光を追いかけるような物語の始まり。

 まだ何もない手のひらの中に、わたしは小さな火種を感じていた。これを消さずに燃やし続ければ、いつかロケットが空を切り、あの星たちへ一歩近づけるかもしれない――そう信じながら、わたしはカーテンを閉め、明日への夢をかみしめた。

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