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別れと出会いと再会と

気に入っていただけたら幸いです。よろしくお願いします。

高二の夏、大好きだった祖父が旅立った。天国にいる祖母を追いかけて、穏やかに旅立って行った。

『 何も心配いらないから』それが祖父の最期の言葉だった。

その時はその言葉の意味がわからなかったが、両親達が祖父の死亡手続き等を進めている時に、その言葉の意味を理解する。

祖父は、自分の葬儀の手配から納骨堂の契約まで1人で済ませていたのだ。

その事実を知った時、普段無口で何を考えているのかいまいちわからない父親が、人目を気にせず泣き崩れた。

自分も母親も、その場にいた親族皆んな、溢れ出す涙を止める事が出来なかった。

己が死ぬその後の事まで考えて、残される家族が困らない様に、面倒な事を済ませてから祖父は旅立って行ったのだ。その事が余計悲しい。


葬儀も無事に終わり、従兄弟たちが帰っても、自分は祖父の家の書斎で椅子に腰掛け天井を見上げている。

両親は2人で檀家であるお寺に行っている。2人の弟は従兄弟の家の車に乗って行った。今、この家にいるのは自分1人だ。


この書斎にある本棚には、考古学者だった祖母の残した本と、写真が趣味だった祖父の専門書等、沢山の本が並んでいる。

この本達も必要無ければ処分する様にと祖父はメモを残していたが、父親は暫く残す事に決めた。

「もう少し思い出に向き合ってから決めたい」そう言った父親の言葉に、誰も「否」と言う者はいなかった。


本と一緒に並んでいる祖父のカメラに目を向ける。この大きい一眼レフカメラは、祖父が野鳥や風景を撮る為に愛用していた思い出のカメラだ。

カメラのストラップは、ギリシャ滞在中に祖母が購入した軍の払い下げ品のレザーのマシンガンストラップをリメイクした一点物で、カシメの部分にはギリシャのコインを加工して使っている。

祖母からのプレゼントなのだと、前に祖父が教えてくれた。

カメラの底には祖父がテープ式ライターで記入した、祖父の名前とカメラを購入した日付が貼ってある。

祖父は、大切なカメラや高価な家電にはこうして祖父の名前と購入した日付を書いていた。

流石にカメラに直接は書けなかったみたいだ。


『 お前が大切にしてくれるんだったら、このカメラはお前に譲るとしよう。但し、お前が大人になってからだ』


祖父の家の近所の海岸で、海鳥の写真を撮る祖父に付いて行った時、カメラを構える祖父の姿が格好良くて、キラキラした目で祖父を見つめていた自分に、祖父は嬉しそうに言ってくれた。


『 さあ帰ろうか。お前にカメラの手入れの仕方を教えてやろう』


優しい目で自分を見つめ、優しく頭を撫でてくれた祖父の顔を思い出し、胸が押し潰されそうになる。

たまらず祖父の家を飛び出し走り出す。祖父との思い出が詰まったカメラと共に夢中で走った。

すれ違う人々が不思議そうに自分を見るが、そんな事にかまっている余裕は無かった。早くあの場所であの時の思い出に浸りたかったから。

溢れ出る涙を拭う余裕すらも無かった。


「はあ…はあ……」


肩で息をしつつ目の前に広がる砂浜を見渡し、居るはずのない祖父を探す。居ないとわかっているのにそうせずにはいられなかった。

カメラを抱き締め、砂の上に座り込む。

止まらない汗と涙、そして祖父との思い出で頭の中がグチャグチャになり、そのまま動けなくなった。


「じいちゃん…じいちゃん俺……」


もっと一緒にいたかった。もっと色んな事を教えて欲しかった。


「じいちゃん……」


貴方が居なくなって、とても寂しい。


「君、大丈夫?何か悩みとかあるのかい?」


後ろから声をかけられ、現実に引き戻される。振り返ると、高そうな、そして少しレトロなデザインの服を着たイケメンが立っていた。

西洋の血が入っているであろう顔立ちで、スラリと長い手足をした長身の彼は、心配そうな顔で自分を見ていた。

急に恥ずかしい思いが溢れ出し、両手で顔を覆う。


「急に声かけてごめんね。あそこに崖見えるでしょ?ここって、あの崖から飛び込められなかった人が入水自殺しちゃう事があるもんだからつい気になっちゃって」


「…ここってそんな場所何すか?」


思わず心の声が飛び出した。思い出の場所を汚された。本当に最悪の気分だ。


「そうなんだよ。で、そんな思い詰めた顔で海を見ていたから心配になってね。もしかして…違った?」


「…違います」


穴があったら入りたい。そして、そのまま穴の中に埋もれたい。

そんな自分を見て、彼は「そんな心配要らなかったね」と言って苦笑した。


東条と名乗った彼は、この海岸近くでカフェを経営している友人に会いに向かっている途中、意味深に海を見つめる自分を見かけて声をかけてくれたんだそうだ。

そして自分は、大好きだった祖父が亡くなり、その祖父との思い出の場所であるこの海岸で、祖父との思い出に浸っていた事を話すと、今度は彼が両手で己の顔を両手で覆った。


「勘違いして申し訳なかった」


勇気を出して声をかけたら勘違いだったなんて…と呟く彼は耳を真っ赤にしていて、つい笑ってしまう。


「お詫びにコーヒーでも奢るよ。さっき言っていた友人がやっているカフェがこの先にあるんだ。自家焙煎でね、彼の淹れるコーヒーは本当に美味しいんだよ」


カフェがある方向を指差して彼は笑う。


「彼の淹れたコーヒーを飲みながら海を見るのがお気に入りなんだ」


「でも…」


さっき初めて会ったばかりの人なのに、ご馳走になるのは気が引ける。


「良いから良いから。そうでもしないと俺の気が済まないんだ。頼むよ…ね?」


そう言われると『 NO』とは言えず頷くと、「ありがとう」と彼はもう一度笑う。

『 先に行っているから』と、彼は足早に去って行った。


「ふぅ…」


思わず深く息を吐き出す。自分の頭の中にあったグチャグチャの感情は、いつの間にか綺麗さっぱり無くなっているのに気付く。

恥ずかしい思いはしたけれど、思い出の場所は汚されてしまったけれど、おかげで冷静になる事が出来た。


ドアを開けると、お洒落でアンティークな空間が出迎えた。カウンターにはマスターらしき人が立っていて、自分を見て「いらっしゃい」と微笑んでくれた。

マスターは40歳前後だろうか?艶やかで少し伸びた黒髪を、無造作に後ろに結んだその髪型は何処か色っぽい。

イケメンやイケおじと言う言葉よりも、美人と言う言葉の方が似合う人だった。彼とは歳が離れている筈だが、多分気が合うのだろう。イケメンの友達はやっぱりイケメンなのだと、ふと思った。

美冬をここに連れて来たら大興奮だろうな。先に帰ってしまった、イケメン好きの従妹を想像して心の中で笑う。

それからすぐに違和感を覚えた。先にここに居るはずの彼を店内探すが見当たらないのだ。しかも、客は自分の他には誰1人いなかった。

彼は、トイレにでも行っているのだろうか?


「待ち合わせですか?」


マスターが声をかけてくれたので、そのまま立っている訳にもいかず、カウンターの椅子に腰掛けてアイスコーヒーを注文する。

もう一度店内を見渡すが、やはりほかに客は誰もいない。


「あの…さっき、こちらのコーヒーが美味しいからって東条さんて人が教えてくれてー」


カシャン。マスターの手からこぼれた竹べらが音を立てた。


「もしかして、間違えちゃったかもしれないですね。すみません。先に行ってるって言うから、居るもんだと思って入ったんですけど。友達がしてるカフェだってー」


指差した方向にあったカフェはここだけだったから、間違えてはいないと思っていたのだが、彼は店にいないし、彼の名前を聞いたマスターの反応を見て不安になる。


「この辺でカフェをしてるのはここだけだから…多分間違えてはいないと思うよ」


マスターはミルで豆を轢くと、実験で使いそうな見た目の道具(サイフォンと言うそうだ)を慣れた手つきで扱いながら、そう答えてくれた。


「…その彼に心当たりがあるから」


マスターはそう言いながら、海を眺めた。


「でも、東条さんどうしたんですかね」


ここのコーヒー飲むのを楽しみにしてたみたいだったのに、一体何処に行ったのだろう?


「…こんな事言って良いのかわからないのだけど…」


戸惑いを隠せない表情で、マスターはカウンターの隅に置いてあった写真を見せてくれた。シンプルなデザインの写真立てに飾られているその写真には、仲良さそうな2人の男性が写っている。

1人は若かった頃のマスターだろう。そして、その隣で優しく微笑んでいる男性はーー先程海岸で会った彼そのままの姿だった。


「あの…東条さんの息子さんて顔そっくりだったりします?」


背中に嫌な汗が流れる。

もし、写真に写っている男性がマスターの友人だとすれば、海で出会った彼はマスターの事を友人と言うのだろうか?父親の友人と言わないだろうか?


「彼は独身だよ。交際していた女性もいない」


「そんな…だってー」


「彼、20年前に亡くなっているんだ」


頭の中が真っ白になった。自分が先程一緒に話をしていた彼が、20年も前に亡くなっていたなんてありえない。


「色んな事があってね。1人で全て抱え込んでね…誰にも助けを求めずに、とうとう逃げてしまったんだ」


コトリと注文してたアイスコーヒーを差し出しながら、マスターは寂しそうに微笑んで、もう一度海を眺めた。

「ありがとうございます」とお礼を言いつつ1口飲んだ。マスターが淹れてくれた深いコクのあるコーヒーは、彼の言う通りとても美味しかった。


「俺には自殺願望者と間違えて声掛けて来たのに」


その本人が実は自殺して既に死んでいたなんて、一体何の冗談だろう。


「信じ難い話だけど、君の話は本当なんだと思ってしまうな」


亡くなった祖父との思い出の海岸で海を眺めていたら、彼に自殺願望者と間違われて声をかけられたのだと話すと、マスターは苦笑した。


「俺だって東条さんが亡くなっているなんて、信じられないです。生きてる人と何も変わった所無かったですしー強いて言えば…服のデザインがちょっと古いって思った位で」


「彼、見かけによらずちょっと猪突猛進な所あるからね……ちょっと、昔話を聞いてくれるかい?」


コクリと頷くと、マスターは店の玄関のドアにCLOSEの札を掛けに向かう。カウンターに戻ると、マスターはその昔話を語り始めた。

彼の名前は東条 雅人と言って、観光業界で有名な東条グループの会長の1人息子だったそうだ。彼が質の良い服を着てると思ったのは、やっぱり気のせいでは無かった様だ。

マスターの父親はその会長の秘書を長年務めていて、家族で彼の自宅の敷地内にある別邸に住んでいたらしい。 歳も近く、2人は昔から仲が良かったんだそうだ。


「ここもね、海を見ながら僕のコーヒーが飲みたいからって彼が建てたんだよ」


「そうなんですか…」


金持ちって凄い。人の為にこんなにあっさり大金を使ってしまう何て、自分には考えられない。先程の2人の写真を見ながらふと思った事をマスターに聞く。


「違ったら悪いんですけど、東条さんとマスターってお付き合いとかされてました?」


恋愛経験のない自分でもわかる。この写真のマスターを見る、彼の優しい眼差しは愛する人を見る目そのものだ。そして、マスターの眼差しも。


「そう言う関係に…なるのか……僕にはわからない。けれど、お互い大切に思っていた仲だとは思う。でも…ただそれだけだよ」


それが、精一杯の答えなのだろう。今と比べれば同性との恋愛が難しかった時代だからとか、彼や親の立場を考えると厳しい事なのかもしれない。


「東条さん、ここでマスターのコーヒーを飲みながら海を見るのがお気に入りだって言ってました」


なんとなく彼が嬉しそうに笑って言っていた言葉を伝えると、マスターの目から涙が溢れ出してぽたぽたと涙が落ちてきて、慌ててしまった。


「そうかぁ…教えてくれてありがとう」


涙を零しながら微笑んでくれたマスターはとても綺麗だった。

彼は多分、自分を使ってマスターに伝えたかったのかもしれない。「今でも貴方の傍に居る」のだと。そう思った瞬間、マスターの隣に寄り添う様に立つ彼に気付く。その彼の姿は写真と同じで、マスターを見つめる目も全く同じだった。




「お出かけですか?」


会長と何か話した後、玄関で靴を履いている彼に声をかけた。


「うん。ちょっと海を見に行きたくなってね。一緒に行く?」


いつもの優しい声で彼はそう答える。


「今日は風も強いし、波も高くて危ないですよ。別の日に行きませんか?」


「……今行きたいんだ」


何故だろう。いつもの彼なのに何かが違う。『 止めなければならない』そう思って、彼の服の袖を掴んだ。


「どうしたの?」


「どうしても今日じゃないといけませんか?明日じゃいけないのですか?」


『 行かないで欲しい』と目で訴えるも、彼は「ごめんね」と言って、悲しそうに微笑んだ。そして、「帰りは少し遅くなる」と言って出かけて行った彼はーーー冷たくなった姿で帰って来た。


『 一緒に行く?』


あの言葉はきっと、一緒に死んで欲しくて言った言葉だったに違いない。だが、それに気付かず断ってしまった。あの時一緒に海に行っていたらーー今でも彼と穏やかに海の底で過ごしているのだろうか?それとも、更に必死に止めていたら彼は彼は思い直してくれただろうか?一緒に生きてくれただろうか?




「今でもそう思う事があるんだ。そして、答えが見つからないまま20年経ってしまった」


あの日、彼は会長である父親からある縁談を告げられた。グループの事を考えると、どうしても断る事が出来ない縁談だったらしい。

しかし彼は、それをどうしても受け入れる事が出来なかった。そして、壊れてしまった。優しい彼は、1人で抱え過ぎたのだ。


「せめて、相談してくれていたらと思う事もあるよ。そしたら違う未来を見つける事だって出来たかもしれないのに。全く、置いて行かれた身にもなって欲しいよ」


彼のその優しさは罪だ。彼の死でこの人は不幸になってしまった。


「だから僕は、こうして海を眺めながら彼が好きだと言ってくれたコーヒーを入れて過ごしているんだよ」


マスターはそう海を眺めながら話してくれた。その目はとても穏やかだった。


「海を見るのは辛くなかったんですか?」


愛する人を失った悲しみは簡単に想像できる。


「そうだね…あの頃海を見るのは辛かったんだけど…何故か此処から離れられなくなってしまったんだ」


そして、マスターは写真の中に居る彼を見つめた。


嗚呼…この人は不幸の中に幸せを見つけその中で生きている。強い人だ。

「良かったね。そんな人を独り占めする事ができて」そう、マスターに寄り添う彼に心の中で声をかけると、彼は嬉しそうに微笑んだ。そして、愛しそうにマスターを抱きしめる。


彼は己の死を引き換えに、愛する人を手に入れたのだ。そして、愛する人が死を迎えるその時までこうして寄り添っているのだろう。


これがメリバって言うのだろうか?でも、こんなんじゃなくて…もっと幸せな2人を見たかった。


「そういえば君が持っているそのカメラ、もしかして小林さんのじゃないかな?」


ふと、手に持つカメラにマスターから話をふられて驚く。


「やっぱり。そのカメラのストラップに見覚えあったから…僕も通夜には参加したんだよ」


「祖父と知り合いだったんですね」


「長い付き合いでね…彼の家庭教師をしてたんだよ小林さん。後、この写真撮ったのも小林さん」


「え!?」


そんな事があった何て…此処で自分の知らない祖父の事を知るとは思ってなかった。


「そこの席にね、彼の月命日に彼用のコーヒーを置くんだけど」


マスターが海側のテーブル席に指を差す。


「その向かいの席に小林さんも座ってコーヒー飲みながら海を眺めてたよ。彼の事もだけど、きっと奥さんの事を思ってたんじゃないかな」


「そうですね」


祖母は22年前に飛行機事故で亡くなった。祖母の墓はあるが、祖母の骨壷の中に祖母の骨は入っていない。

飛行機と共に深い海の底に沈んだ祖母の体は、今もそこにある。


「今頃奥さんと再会してるんだろうね」


「ちょっと羨ましいな」そう言って、マスターはもう一度海を眺めた。

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