4:新たな日常の実感
リリナは馬から降りると、軽く息を吐いた。自分の中に広がる新しい世界の楽しさと不安の混在を感じながら、彼女はふと遠くの景色に目をやった。
庭園の向こうには、石造りの城壁が続き、その先には小さな町並みが見える。この広大な領地が、彼女の家族であるアルノード侯爵家のものだということを思い出し、再び胸が高鳴った。
「リリナ、今日はこれで終わりにするか?」
優しく声をかけてきたのは、彼女の兄アレクシス。短く整えられた濃い金髪と青い瞳が特徴的な彼は、堂々とした立ち振る舞いで、まるでこの世界の貴族を体現したかのようだった。
「うん、ありがとう、アレク。」
リリナは、笑顔で答えると、彼の隣に並んで歩き始めた。二人が並んで歩く姿はまさに貴族の兄妹そのもので、庭園の中をゆっくりと進んでいく。
「それにしても、リリナ。君がこんなに早く乗馬を覚えるとは思わなかったよ。」
アレクシスが少し驚いたような表情を見せると、リリナは頬を赤らめて小さく笑った。
「まぁ、ちょっと魔法のおかげもあったけどね……」
その言葉に、アレクシスは微笑みながら頷いた。
「でも、君がこれからどんな貴族として成長していくのか、楽しみだよ。」
リリナはその言葉に胸を打たれた。兄の期待に応えたいと思いながらも、心の中にはひとつの不安が残っていた。
──わたしは、本当にこの世界でやっていけるのかな……?
彼女は前世の自分が持っていた使命感、人を助けたいという気持ちを忘れたことはなかった。しかし、この異世界では、貴族としての義務や魔法が絡む複雑な日常が彼女を待ち受けている。
──でも、この世界でもわたしはきっと誰かを助けることができる……。
そう自分に言い聞かせながら、リリナはさらに強く前を見据えた。
夕方、リリナは自分の部屋に戻り、ベッドに座って静かに窓の外を見つめていた。外はオレンジ色の夕日が空を染め、庭園や町並みが柔らかい光に包まれている。
ふと、彼女は小さな木製の箱を見つけた。それは彼女の母親から贈られたもので、宝石箱のように美しく輝いている。中を開けると、そこには小さな手鏡が入っていた。
手に取って、鏡をじっと見つめる。そこに映る自分の姿は、まだ自分自身に馴染んでいない気がした。異世界での新しい自分、日本での自分、そしてここで生きるための自分。
「この世界で、わたしはどうやって生きていくんだろう……」
彼女は独り言のように呟いた。答えはまだ見つからない。しかし、心の中には確かな決意があった。
その時、ふいに扉がノックされた。
「リリナ様、お客様がお見えです。」
メイドのセリアの声が扉越しに響いた。
「お客様……?」
リリナは首をかしげながら、扉を開けた。そこには、ジェラルドが立っていた。彼は優雅な微笑みを浮かべ、リリナを見つめていた。
「リリナ、君に渡したいものがあるんだ。」
そう言いながら、彼はリリナの前に一枚の紙を差し出した。それは、精巧に描かれた地図だった。城とその周辺の町の地図が細かく描かれており、リリナは興味津々でその地図を眺めた。
「これ、すごい……!」
「これから君がこの町をもっと知るために役立ててほしいんだ。貴族として、町や領地のことを知るのは大切なことだからね。」
ジェラルドは優しく言った。その言葉に、リリナはふと胸の奥で何かが温かく広がるのを感じた。
──この世界のことをもっと知りたい……。
彼女は地図を握りしめながら、小さく頷いた。これから始まる冒険に向けて、心が少しずつ躍り始めていた。
その夜、リリナはベッドの上で静かに目を閉じた。外では風が優しく木々を揺らし、穏やかな夜の静寂が広がっている。
彼女は、今日一日を思い返しながら、少しずつこの新しい世界に慣れていく自分を感じていた。
──この世界で、わたしは何ができるだろう?
そんな思いを抱きながら、彼女はゆっくりと眠りに落ちていった。これから待ち受ける新たな日々と、冒険の始まりを感じながら。