結局、自分、ぶれんなよという話ですかね
『政治を上手く転がしたい!!』スタートです。
仕事に行く時、毎日、通る道があります。雑草がたくさんはえた場所で。時々、刈ってくださっている方がおられるお陰で、そこまで歩きにくくないですが。
お盆で、四日通らなかったら、はえる勢いの跡が分かるぐらい伸びていました。
その、命の強さにちょっと感動しました。
そうなってから、たとえ一日でも、しっかり雑草が伸びているのがよく分かるように、なりました。
それにしても、私は、なんで、ちょっと感動をしたのか、考えてみました。
刈りとられるということは、伸びてほしくないアンチな存在がいるということです。
それでも、構わず、あんなにいきいきと、伸びる雑草。
雑草は、『雑草』という存在をまっとうしているから感動するんでしょうね。
たとえ、どんなに立派な行動をしたとしても、全ての存在から好かれるのは、ほぼ無理なことです。一生を通してなら、不可能。
好かれなくても、歓迎されなくても、自分の『生』をまっとうする。
それが、真の幸せを手に入れる、近道では、ないでしょうか?
続く
無駄にぶれても、無駄ですからねぇっ。




