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ギリアム、おかしな土産を貰う

 ――ギリアム様……東クロルダへ?


 御者台から車内へと、デレクが行き先を訊いてくる。


「いや、待て」


 ギリアムは少し慌てて答えた。デレクはまだニルダの正体を知らないし、「別邸へ」という彼女の言葉も耳に入れていないのだ。

 

「ニルダ嬢。俺は都の地理にはまだ、あまり詳しくない……別邸の場所を教えてくれるか?」


「……北クロルダ二番区、ローズバレン街の三番地です」


 ギリアムはうなずくと、デレクに別邸の所在を伝えた。鞭をぴしっと打ち鳴らす音と共に、馬車はゆっくりと動き出した。

 

「……帰りたくない」

 

 ぽつりと漏らしたニルダの一言。その重く沈んだ声色が、ギリアムの心をえぐった。この娘にとって、我が家と名のつく場所には、どうやら絶望しか待っていないのだ。


「……なあ、ニルダ嬢。埋め合わせになるかは分からんが、困ったことがあったら頼って――」


 衝動的にそう言いかけて、次の瞬間ギリアムはおのれを恥じた。


 えらそうなことを言っても、実際にはこれから二日の内には都を発って、ザリアへの帰途につかねばならない。

 そのうえギリアム自身は家督を継ぐわけでもなく、父や兄の補佐につく立場。他家の令嬢のために何か尽力できるような、財も権力(かねもちから)も決定権も手にすることはあるまい。

 今のはただただ、ニルダの美貌を前にして発した、身の程知らずの欲望からくる妄言であったのではないか――


 そんな自己嫌悪を噛みしめるギリアムに、しかしニルダはなぜかほころぶような笑顔を向けた。


「本当に……? でしたら私、あなたから頂戴したいものがあります」


「え?」


 ニルダの柔らかく温かな指が、ギリアムの手をとって胸元に引き寄せる。とっさのことにどぎまぎしていると、次の瞬間。どこから取り出したものか、鋭いピンが彼の掌の、小指側にある皮の分厚い箇所を貫いた。


「あ()ッ」


「――あなたの()()()()


「い、いきなり何をするんだ……!」


 掌の上にぷっつりと、磨いたルビーを思わせて丸く盛り上がったその液体を、ニルダは懐から取り出したハンカチを押し当ててぬぐい取った。


「ごめんなさい、痛かったでしょうね。でもこれで、あなたとの連絡手段ができるわ」 


 Az ő vérében és az én nevemben adok neked életet, gyermekem......


 聞き慣れない言語で紡がれた、呪文らしきものが彼女の口から流れ出す。すると、見るも不思議なことが起きた。ギリアムの血がその体積と量を増してニルダのハンカチに浸み通り、煮えたぎったようにぐつぐつと泡立つ黒ずんだ霊液(イコル)に変化したのだ。


 ギリアムが呆然と見守る中、黒い液はニルダの手の上でうずたかく盛り上がって何か生き物の姿を取っていき、そして最終的にハトよりも一回り小ぶりで、絹のような艶のある黒い羽毛に包まれた、一羽の美しい鳥になった。


「驚いたな……」


「この子をあなたにお預けしますね。餌の類は不要で『飼う』というほどの手間も要しません。せいぜい二日に一回、一オンスほどの葡萄酒を与えれば命を保ち、手紙や伝言を運べます」


 ギリアムはがぜん興味を惹かれて、その鳥をしげしげと観察した――そのうちに、一瞬拡げた翼の下にもう一対、人の腕そっくりだが鋭いかぎづめの生えた、細い腕が隠れていることに気づいてぞくりとした。


「何かを託したいときは『参れ(カムヒア)』と呼べば現れ、『戻れ(リターン)』と命じれば私の元へ参ります……可愛がってやってください」


「なるほど……あまり余人に見せるわけにはいくまいな。それで、こいつのことは何と呼べば?」


「特に名前を呼ぶ必要もないですが、あえて呼ぶなら、そうですね――『(ダヴ)』、とでも」


 ニルダがふっ、と軽く掌を持ち上げると、ダヴはふわりと飛び上がって狭い馬車の中をはたはたと飛び回った。

 そうして、ギリアムの肩にとまって居心地良さそうに翼を畳み、首を自分の羽毛の間にうずめた。


「ダヴ、か」


 ギリアムは思わぬ成り行きに絶句したが、次第に理解しつつあった――ニルダは本物の妖術使いで、そして彼に本気で頼るつもりなのだ。

 こうなってはもはや、「財も権力もない」などという無責任な言い逃れは許されまい。だが、ギリアムにとってそれは男として、厳しくもどこか誇らしい感慨だった。



  * * * * *



 ギリアムたちの乗った馬車はそうこうするうちに、王都の北西部、瀟洒な邸宅の立ち並ぶローズバレン街の一角へと差し掛かった。


 ――ギリアム様、こちらがお申しつけの番地です。


 デレクが車外から恭しく告げる。ギリアムは先に馬車を降りると、ニルダの座席の側に回ってドアを開け、彼女に手を差し伸べた。


「どうぞ、ニルダ嬢」


「ありがとうございます」


 彼女の表情は馬車に乗り込んだときよりも幾分明るい。それだけでも、ギリアムは胸中が温かくなる気がした。ニルダを馬車から降ろし、門の前へ歩み寄って、佇む門衛に案内を求めた。


「君、ここはウィルスマース伯爵家のお屋敷、それで間違いないかい?」


 赤ら顔をして胴鎧に身を固めた男が、斧槍(ハルバード)を捧げ持ったままこちらへ向き直った。


「いかにも左様ですが、あなた様は?」


「ザリア辺境伯が三男、ギリアム・ラッセルトン。ご令嬢をお助けする栄誉に与ったゆえ、送り届けて参った」


 ギリアムの傍らに立つ人影を認めて、門衛の顔が驚愕に染まった。


「そ、そちらはニルダお嬢様!? これは一体……?」


「うむ。中央通りでの魔物出現の件については聞き及んでいると思うが」


「なるほど……左様でしたか。ご苦労でありました、ギリアム殿(オナラブル・ギリアム)。申し訳ない事ですが、ただいま主は不在でして、適切なおもてなしが出来かねまして」


 奥歯にものが挟まったような受け答えだが、無位無爵のギリアムに『(ロード)』と尊称しない辺り、この門衛がそこらのでくの坊とは違うことがうかがえた。


「ああ、構わない。こちらは旅の途中でね、急ぐ身だ……それではニルダ嬢、どうぞお元気で!」


 一歩下がってニルダを見送るギリアムに、ニルダは(それでよろしい)と言いたげな笑みを返して門扉の向こうへ歩み去った。



 翌日、都を離れる馬車の中で、ギリアムはデレクから昨晩行われた夜会のあらましを聞かされた。

 令嬢たちの披露目は滞りなく行われたが――その中にニルダ・ハイベリンの名はなく、同じ姓を持つ別の少女が主役の一人を演じていた、ということだった。

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