嘘の名前
「葵ー! そろそろ帰るぞー!」
「おいていくぞー!」
この子のお兄さん達が声を掛けてきた。
「今行くからー! ちょっと待ってー!」
もうお別れだ。
「葵ちゃんっていうんだね」
「おかげで元気になったよ。ありがとう」
短い時間だったけれど寂しくなる。
「お姉ちゃんが元気になって嬉しいな!」
本当に嬉しそうに笑うこの子は、優しい子なんだと思う。
「お姉ちゃんのお名前は? 教えて?」
この子に本名を言ったら、男だとバレて気持ち悪がられるかもしれない。
それは嫌だな……。
だったら…、
「……わたしの名前はサクラだよ」
この公園を彩る綺麗な桜を見て咄嗟に思い付いた嘘の名前。
嘘の名前を言ってごめんね。
「サクラお姉ちゃん、またね!」
手を振りながら、兄二人の元へ走っていく。
さて、自分も家に帰ろう。
帰ったら、このワンピースは母親に取り上げられてしまうだろう。
それでも良いと思える。
理解されなくても、好きな物は好きなんだから。
あの子に、この姿を褒めてもらえただけで十分だ。
家に帰る足どりは不思議と軽かった。
また、会えるだろうか。
会えたらいいな。
もし会えたその時は、この姿で本当の名前を伝えよう。
「初めまして。鈴本亮太です」
ロングヘアーのウィッグに花柄のワンピースを着て自己紹介をしている。
右手を差し出し握手を求めると、相手は笑顔で握り返して名前を教えてくれた。
あの頃より随分と成長して大人になったけれど、君のその笑顔は変わらない。
「よろしくね。葵ちゃん」