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7. 解雇通知とメイド服の悪魔


 ツェツィーリエが帰国し、ローゼンマイア城へ落ち着いてから一週間ほどが経っていた。

 ギルベルトはツェツィーリエがいるらしい部屋のドアをノックする。

 壁一枚隔てたような、やや籠った声が「どうぞ」と応えてくれた。


「お呼びでしょうか…って、すげーな。なんだこれ」


 ツェツィーリエは紙の山に埋もれていた。

 テーブルの上も隣のソファも床にさえも書類やファイルなどが山積している。

 少々疲れた顔でツェツィーリエは微笑んだ。


「もうそんな時間ですのね。…ここは散らかっていますから庭へ出ましょう」

「帰国早々、仕事か?」

「これらは主にここ六年の記録ですわ。お兄様方が頑張ってらっしゃるみたいですけれど、国会の議事録に目を通すと頭が痛くて」

「ツェツィーリエ姫様には逆らえずとも、兄王子たちには反抗的な奴らがいるわけか。身分を笠に着てまあ、面倒臭い」

「わたくしの帰国を喜んでくださらない方も一定数はおいでということですわ。まあ、そんことは些末事です。おじさまとは大事なお話をせねばなりませんの」

「…おう。なんだ、改まって」


 裏庭の池のほとりに建てられた東屋でツェツィーリエはギルベルトを見上げた。

 正面の庭や中庭ほど手入れはされておらず、簡易的に人の手が入った雑木林のような雰囲気だった。石畳の歩道はあるし、蔦バラが咲いていたりするので、もしかしたらこういう少し雑多な感じが好きだった――というより、きちんと整いすぎていることが苦手だった先代公爵の趣味で造られた庭なのかもしれない。

 すぐそばにある池の水面が日の光を反射してきらきらと輝いている。


 ツェツィーリエは常のように美しく微笑んでいるが、どこか緊張しているようにも見えた。良くない話なのか、とギルベルトもじゃっかん身構える。


「ねえ、おじさま。覚えてらっしゃる? 六年前。ここを発つ前に、わたくしの得るものは何かとお(たず)ねになりましたわね」

「ああ。訊いた」

「これですわ」


 ツェツィーリエがそっと、一通の手紙を差し出した。

 宛名もなければ差出人名もない普通の封筒に、ギルベルトは息を呑む。

 差出人には心当たりがあるが、書いてある内容についてはまったく予想ができなかった。

 コレの何がツェツィーリエが六年もかけて得たものなのだろうか。

 おそるおそる開封した封筒の中身は便せんが一枚。

 それはおそろしく短い手紙だった。


『 帰って来なくていい。生涯を賭して我が友を守れ。―L― 』


 差出人はやはり予想通り主君だ。

 筆跡も彼が偽名で手紙を書く時のものに間違いない。

 ギルベルトはその文字列をじっと見つめた。読むことはできているはずだが、理解が及ばない。

 帰って来なくていい。それは、つまり――。


「――ツェリさん」

「はい。なんでしょう、ギルベルトおじさま」

「これ、つまり、解雇通知?」

「ええ、まあ。そうなりますわね?」

「……マジか。いや、これの何がどうなればおまえのメリットになるんだ」

「あら。お分かりになりません?」

「おまえとレオンハルト殿下の頭ん中は無理だ。何一つ想像ができない」

「何か難しいことをお考えのようですけれど、わたくしもレオ様もこの八年あまり。貫き通したのはただの子どものワガママですのよ」

「……?」

「ふふ。わたくしが十歳頃のことですわ。レオ様が真剣なお顔でおっしゃいましたの。“リーゼロッテ様を手に入れるには、どうしたら良いか”と」


 ギルベルトはツェツィーリエの言葉を脳裏で三度は反芻した。

 “リーゼロッテ様を手に入れるには、どうしたら良いか”…?

 リーゼロッテといえば、皇帝ハインリヒの后、つまり皇后のことだろう。レオンハルトが敬称を用いたならまず間違いない。


「わたくしはこう答えましたわ。“皇后陛下をお求めなら、皇帝になるしかありませんわね”って」

「まさか……」

「リーゼロッテ様はレオ様とは五、六歳しか離れておりませんわ。十分に次の皇帝の后になり得ます。それに、コンラート様の皇太子としての資質やお血筋に疑問をお持ちだったのも本当ですの」

「血筋? 嘘だろ、おい」

「ハインリヒ陛下はお身体があまり丈夫ではないのだとか。陛下を始め皇室の半数以上はコンラート様の出自をお疑いなのですって。ですから、水面下でレオ様のお味方をする方はたくさんいらっしゃいましたのよ」


 ギルベルトは軽く混乱していた。

 ツェツィーリエが十歳なら、レオンハルトは十二歳だ。十二歳の子が、年の離れた兄の、年の離れた後妻に懸想して、気の合う友人に相談した。そして恋愛相談を受けたその友人は、妹王女を王籍から除外し、王の側妃を一人断頭台へ送り、両親を離婚させ、他にも様々な人事異動を断行し、レオンハルトの元へ駆け付けた。

 そうして六年をかけて二人は皇太子位を見事奪取。他に相応しい皇族はいないため、間違いなく今後レオンハルトが帝位に就く。身体の弱い皇帝の若い後妻ならば手が付けられていない可能性が高い。近い内に帝位の交代が行われるとしたら、確かにレオンハルトとリーゼロッテの結婚は十分に考えられた。


 このお子様たち行動力ありすぎん?!

 これまで何度となくそう思って驚愕して来たギルベルトは、ここへ来て更に驚かされ、もはや言葉もなかった。


「直接お話はしておりませんけれど、ハインリヒ陛下もおそらくお気付きだと思われますわ。レオ様がどう動かれるか、それに対しコンラート様がどのように応えるか。ご覧になられた上で、レオ様をお選びになられたのです」

「……殿下とツェリのたった二人に負けたんだ。血筋の問題がなかったとしても、そうせざるを得ないだろう。――いや、待て。あのパーティーの時に殿下の隣にいたのは誰だ。あれが“真実の愛”とやらじゃないのか」

「あの方はエマが見つけて来た旅芸人です」

「旅芸人?!」

「当然ですけれど、何一つ事情は説明しておりませんわ。小一時間ほどそこにいれば良いとだけ依頼したようで。……確かに彼女には少し申し訳ありませんでしたわね」


 キレイに飾り立てられてパーティー会場で小一時間過ごせば良いと言われただけの何も知らない旅芸人の彼女に、ギルベルトは心底同情した。

 皇太子の隣に立たされ、その婚約者に凍てついた視線を向けられるなんて、事前に説明があれば断固拒否する案件だ。

 だがまあ、旅芸人ならば今後数年は帝都を訪れることもないだろう。口止めはしてあるだろうが、あれが芝居だったとその芸人から露呈する危険性はなさそうである。


「本当はわたくしがもっと落ち着いてからお話ししたかったのですけれど、後から後から書類が積み上がってキリがありませんの。おじさまもお暇でしょう? 今後のことを少しお考えいただこうかと」

「そ、そうだな。…まさかここにきて無職になるとは」

「あら。レオ様の最後の命令に従うおつもりは?」

「雇ってもらえるなら、ありがたくそうさせてもらうが…」


 生涯を賭して我が友を守れ。

 レオンハルトの最後の命令はそれだ。

 一生ツェツィーリエを守っていろという、なんとも乱暴なご指示である。


「……もちろん、レオ様の恋路を応援したいという気持ちもありましたわ。でもわたくし、帝都に行くことを決めた際、レオ様に一つだけ見返りを求めましたの」


 ざっと風が吹いて、ツェツィーリエのスカートの長い裾がなびく。

 小鳥が数羽飛び立って枝を揺らし、何かの花びらが少しだけ散った。

 ツェツィーリエは、微笑んでいる。


「レオ様が皇太子になられた暁には、――ギルベルト・ハンネスをわたくしにくださいと、そうお願いしました」


 ギルベルトは呼吸を忘れてツェツィーリエを凝視した。

 冗談言うなよと笑える雰囲気では決してなかった。

 応えられないギルベルトに小さく苦笑して、ツェツィーリエは少し俯く。


「……そばにいてくだされば、他には何も要りませんの。おじさまにとってわたくしは娘のような存在だと自覚しておりますわ。妻や恋人になれるとは思っておりません。ですから、ただ、わたくしのそばにいてくださいな」

「……――本気か?」

「正気か、と聞かれなかっただけまだ救いがありますわね」

「ツェリ。ツェツィーリエ。なにもこんな……おまえより二十三も上の男やもめなんか選ばなくても、おまえならもっと」

「帝都に赴いた理由にはそれもありますの」

「……?」

「六年も人質として暮らし、内五年は今の皇太子殿下の婚約者だった女ですのよ? すでに成人もしておりますし。婚約を一方的に破棄され国に送り返された時点で立派なキズモノ扱いです。まともな嫁ぎ先はありませんわ」

「?! おま、おまえっ……?!」

「――存知ております。おじさまはわたくしのような計算高い可愛げのない女はお好きではないでしょう。わたくしのそばがお嫌なら伯父様の下で働かれても良いし、デングラーで暮らす方法もありますわ。どうしても帝都にお戻りになられたいようでしたら、少し時間を頂ければそのように手はずを整えます」

「ツェリ。俺は……」

「……ギルベルト様。一度だけ言わせてくださいな」


 ぎゅっと心臓を掴まれたようだった。

 ツェツィーリエにそのように名を呼ばれたのは初めてのことだ。


「心から、愛しております」


 ツェツィーリエは笑んでいた。

 悲しそうな、泣きそうな微笑みだった。


「そんなに困った顔をされては、さすがのわたくしも傷付きますわ」

「…っ!」

「どうなさりたいかお決めになられたら伯父様にでもお伝えになって。もう一仕事終えたらわたくしは王都に戻ります。――それでは」

「ツェリ!」


 呼ぶ声に足を止めることなくツェツィーリエは去って行った。

 あいつの速足は初めて見るな、とどこかぼんやり思ってギルベルトは口端を引き結んだ。

 そよぐ風の爽やかさが、この時ばかりは妙に癪に障った。



 ***



 あれから更に一週間ほどが過ぎた。

 ギルベルトは飛竜の背をたわしで磨いてやりながら、ぼーっとしては溜息を吐いていた。あれ以来ツェツィーリエには会っていない。


「あ、ハンネスさん。お久しぶりです」

「え。ああ、どうも?」

「エマの恋人改め夫のカールです」


 朗らかな男の声がギルベルトの纏う重い空気を切り裂いて現れた。三十歳前後。見覚えのある騎士だが誰だ、とギルベルトが思ったのを知ってか知らずか、カールが先回りして名乗ってくれた。

 カールはきょろきょろと周囲を見渡してギルベルトに駆け寄る。


「ハンネスさん。ヤバいですよ」

「なにが?」

「エマがガチギレしてます。見かけたら逃げたほうがいいです」

「エマって、ツェリの侍女の?」

「昨日帰って来たんですよ。久しぶりに姫様に会えるって昨日はあんなにるんるんだったのに、なぜか今朝は“ハンネス様を殺して来ますね”ってめっちゃキレてて」


 帝都から陸路で帰途に就いていた侍女のエマも無事に帰り着いたらしい。

 そりゃ―良かったとのんきに思ったのも束の間。殺気を感じてざっと横に飛び退くのと同時に何かが振り下ろされ、近くにあった藁の山が真っ二つになった。

 チッと舌打ちをしたのはメイド服姿の見慣れた女だ。

 その手に農作業用の大きなフォークを握りしめ、ぎっときつくギルベルトを睨みつける。


「失礼いたしましたハンネス様。虫がいたものですから」


 平然と嘘を吐く彼女はなるほど、確かに激怒していた。

 ツェツィーリエを守るための護身術には長けているのだろうと思っていたが、それなりに得物も扱えるようである。

 どす黒いオーラを放つメイド服の悪魔はにっこりと微笑んだ。

 フォークの切っ先をまっすぐにギルベルトの喉元に向け、やや重心を落とす。藁などを掻くフォークのはずが、そう言われれば四叉の槍のようにも見えて来た。


「え、エマ。帰国したんだな。無事で良かっ…」

「よくも……」

「はい?」

「よくも姫様を泣かせたな外道! 死なぬ程度に刺しまくってシャワーヘッドにしてやるわ…!」


 悲鳴を上げたカールが「怖いよエマ落ち着いて!」と青い顔でメイド服にすがりつく。今にもギルベルトに襲い掛からんとするエマをどうにか押し留め、カールは新妻を引きずってどこかへと消えて行った。

 農作業用のフォークだけがその場にぽつりと残されている。


 赤い水しか出て来ないだろうシャワーヘッドは確かに恐ろしいが、ギルベルトにはそれよりも恐ろしいことがあった。


「――……泣いてた、のか?」


 ギルベルトは呆然と呟いた。

 この世で今唯一守らねばならないあの子が泣いていた?


「なるほどねえ」


 厩や用具の倉庫などが立ち並ぶそこに、まったく不釣り合いな紳士が現れて落ちていたフォークを拾った。

 ヴィルヘルムは呆然と立ちすくむギルベルトに一つ嘆息して見せ、おもむろに近付いて来る。


「ツェリの様子がおかしいと思えば、そういうこと」

「ヴィル……」

「あの子はあんなに優秀なのに、男の趣味はこんなに悪いのか」

「……否定はしないが、ひどくないか」

「で? 私の可愛い姪っ子に何をしたって? 事と次第によっちゃ、おまえでも殺すよ?」

「なんにもしてねえよ!」

「ふうん? 私の可愛い姪っ子のどこに不満があるって言うんだ?」

「……ヴィル、おまえちょっと落ち着け。言ってることおかしいぞ」

「手を出したら殺すっていう僕と、手を出さないなら殺すっていう私がせめぎ合ってる。人間て矛盾してるよねえ」


 ざくりとフォークを地面に突き刺したヴィルヘルムが深々と溜息を吐いた。

 諦めの滲んだ、そして何か腹を括ったような顔で、じとりとギルベルトを見据える。


「ツェツィーリエは泣いてないよ」

「は?」

「あの子は泣かない。言葉よりも先に泣かないことを覚えてしまった子だ。どんなに辛くても、悲しくても、泣きはしない。……ただ最近は眠れてないのか、十年前のおまえと似たような顔をしている。泣きたいのに泣けない、泣き方が分からない。そんな顔だ」

「……――」

「……ギルベルト。デングラーへ行って来い」

「…え? なんで?」

「六年前、おまえより後にツェツィーリエがデングラーへ行っている。何をしたかは知らないが、何もしていないことはないだろう。確認して来い」

「ツェリが、デングラーに……?」

「おまえが複雑なのは分かる。男女のことだ。おまえの決めることにとやかく言う権利は私にはない。けど。けどね…、できれば、幸せにしてやってほしいよ」


 あの子が初めて自分のために口にした願いだ。

 そう言って、ヴィルヘルムこそ複雑そうに笑った。


 俺なんかじゃそれは叶えられない。

 喉元まで出かかった言葉を呑み込む。

 ギルベルトがそれを言ってしまえば、ツェツィーリエの想いも、ヴィルヘルムの願いも、ギルベルト本人が否定してしまうことになる。


 何も言えず、ギルベルトはただひとつ頷いた。

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