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4. 第七王子とローゼンマイア公爵


「これが王太子殿下の許可証とローゼンマイア公爵へのお手紙です。公爵はコンスタンツェ様の実兄でツェツィーリエ姉様の伯父様だから、まあ、この手紙があれば領内は好きに歩けるんじゃないでしょうか。ああ、それと。おそらく使者殿の滞在中に王太子位が移譲されますが、その許可証は際限なく有効です。それでは、僕はこれで」


 ぺこっと頭を下げた第七王子ヨハンが面倒臭そうなのを隠そうともしない表情で、帝国の使者ギルベルト・ハンネスを見上げた。

 王子の脇に控えていた騎士から何やら高級そうな箱を渡され、ギルベルトも失礼にならない程度に頭を下げる。


「わざわざありがとうございました。ヨハン殿下はローゼンマイア公爵様にはお会いにならずお戻りになられるので?」

「僕の仕事は使者殿をローゼンマイア領に送り届けるだけです。というかあの人、何かにつけて僕らを姉様と比べるし、今の王家よりローゼンマイア家のほうが格上だって態度がいちいち癪に障るしで、必要がないなら会いたくないんですよね」

「殿下」

「……今のオフレコで」


 騎士に短く叱られた王子が憮然とした態度で肩をすくめる。

 ギルベルトも苦笑しつつ幼い王子に秘密は守ると約束をした。まあ、おそらくローゼンマイア公爵本人の前でもこのような感じなのだろうから、秘密でもなんでもなさそうではあるが。


 ギルベルトは王都より北方にあるローゼンマイア領の城郭に降り立っていた。

 王城にギルベルトたちの部屋を用意してくれた第一王女ツェツィーリエが、城に籠ってばかりも暇だろうから、と観光目的での国内の飛行を認める許可証を出してくれたのである。

 母の実家のローゼンマイア領は今がバラの季節でとても美しい景色が見られますのよ、とお勧めの観光地まで王女様に教わったギルベルトは「ではお言葉に甘えて」と足を延ばして、第一王女にとっては頼れる伯父、第七王子にとっては嫌味な公爵の治める地へとやって来ていた。

 山あり谷ありのため陸路ならば馬で半月はくだらないそうだが、飛竜なら半日もかからない距離だ。王女様お勧めなだけあって、王都に負けずとも劣らぬ華やかな街並みが広がっている。


「……ギルベルト・ハンネス卿。皇帝陛下の勅命は本当にツェツィーリエ姉様とは関係なく発令されたものなんですか?」

「もちろんです。皇帝陛下はツェツィーリエ殿下のことをご存知ではありません。もしご存知なら“第一王女を”と書かれていたでしょう」

「勅書に“王女を”とあったからこそ、姉様はガブリエラとエレオノーラを排除したんです。他にきっかけはいくらでも作れたでしょうが、それにしては都合が良い気がしませんか」

「私如きにツェツィーリエ殿下のお考えは計り知れません。ですが、国をお発ちになる前に急がれたのだとしたら、兄君や母君の邪魔にならぬよう“お掃除”なさったのでは?」

「……――それで納得しておきます。でなきゃ姉様が“国を出るために”準備してたことになります。姉様に限ってそれはありえませんから」

「帰って来るとお約束だったではありませんか」

「うん。でも、姉様の有能さを目の当たりにした皇帝が簡単に手放すかな。僕なら帝都に閉じ込めるか、他所の女王になられるくらいなら殺しちゃうかも」

「ヨハン殿下は想像力豊かですな。帝国はそこまで非道ではありませんよ」

「年頃の弟の相手に王女を寄越せって時点で極悪非道だよ」


「殿下」と再度、騎士に叱られた王子が口を尖らせて黙る。

 ヨハンは口が立つばかりでなく頭の回転も速い。六人の兄王子たちよりもこの第七王子のほうが為政者には向いていそうだ。だからツェツィーリエも可愛がっているのだろうが、ではなぜ伯爵家出身の母を持つこの弟王子よりも、母親に身分がなく立太子の難しい第一王子を選んだのだろうか。

 病弱とはいえ伯爵家出身の側妃を王の正妃に据えるほうがはるかに簡単なはずなのに、ツェツィーリエはあえていわくつきの平民で既婚者のアメリアを担ぎ出すことに決めた。

 国王ランドルフの口を塞ぐためだろうか。否、それならば別にアメリアを正妃にする必要はない。妾にでもして後宮に置いておけば、ランドルフはひとまず満足するだろう。

 つまり、ツェツィーリエには王太子が長兄ダニエルでなければならない理由があるのだ。だから手間を押して今回の人事異動に踏み切った。


「……僕の母様は病弱で、あんまり相手してもらった記憶がないんです。一緒に遊んだり勉強に付き合ってくれてたのはずっとツェツィーリエ姉様で、だから僕にとっては姉様は母様みたいな人なんです。僕はきっともうあなたと話すことはないし、皇帝にも皇弟にも会うことはない。だから先に言っときます。ツェツィーリエ姉様をちゃんと返して。傷一つ付けずに、お元気なまま、必ず返して…!」


 吊り目がちな少年が口をへの字に曲げてギルベルトを睨み上げる。

 傍に控えている騎士が叱るべきか否か逡巡して、口を閉ざした。おそらくこの幼い王子と同じ気持ちなのだろう。

 ギルベルトは苦く笑って膝を折りヨハンと目線の高さを合わせる。ギルベルトには何一つ確約してやることができない。ツェツィーリエの扱いを決めるのは皇帝であり、皇弟であり、そしてツェツィーリエ自身でしかないのだ。


「ヨハン殿下のお言葉は、皇弟殿下に必ず伝えましょう」


 ヨハンは黙ったまま一つ頷いて踵を返した。騎士の手を借りて飛竜に跨り、そのまま飛び立って行く。

 姉様の騎士になると言っていたが、あの子は武官よりも文官向きだろうなあ、と数騎の飛竜たちの小さくなって行く背を見送っていたギルベルトに、後方から「ご案内いたします」と声がかけられた。従って階段を下ると、ローゼンマイア公爵家の紋章入りの豪華な馬車が待ち構えている。

 まさかと思いつつ御者の開けてくれた扉の中を覗くと、身なりの良い紳士が「やあ」と笑ってギルベルトを出迎えてくれた。

 軽く嘆息して馬車に乗り込み、扉が閉まるのを待って、ギルベルトは紳士を睨む。


「……こんなとこでなにやってんだヴィル」

「なにって。使者殿を迎えに来たんじゃないか」

「こんなクソ目立つ馬車でわざわざご足労いただいて嬉しい限りですよ、ローゼンマイア公爵ヴィルヘルム・ローゼンマイア閣下!」

「そうだろうさ。感激にむせび泣くといい。帝国魔導騎士ギルベルト・ハンネス卿」


 そうして数瞬見据え合って、二人はがしっと握手を交わした。

 走り出した馬車の中で紳士――ヴィルヘルムはくつろいだように足を組む。


「久しいなギルベルト。元気そうでなによりだ」

「おまえもな。ツェツィーリエも大きくなってまあ」

「もう何年会ってなかった? 見違えたろう。すでにランドルフより国王の風格がある」

「二年…いやもう三年か? 王様と言えば、そこにいたなら第七王子に顔見せろよ。一応家臣だろ」

「あの子苦手なんだよねえ。ツェツィーリエとは違った意味で頭が良いだろ? 私より肩書だけは立派なもんだから扱いにくいったらない」

「……向こうもおまえにゃ会いたくないって言ってたな」

「まあ、同族嫌悪的なところはあるよね」

「そういやこれ。ツェツィーリエから」

「うん」


 先ほど受け取った箱をそのまま手渡す。許可証には目もくれず手紙を読み始めたヴィルヘルムは何がそんなに嬉しいのか、にまにましながらおそらく三度ほど読み返していた。


 ヴィルヘルム・ローゼンマイアとギルベルト・ハンネスは国籍も身分も違えど、互いに気心の知れたいわば親友同士である。

 昔――ヴィルヘルムが帝都の学園に留学していた十八年ほど前、王国公爵の息子と帝国士爵の息子として出会った二人は身分に天地の差がありながらなぜか馬が合った。名前の語感が似てるな、と笑い合ったのが最初で、その関係が今も続いている。

 ギルベルトは学生時代から素性を隠して何度もローゼンマイア領を訪れているので、コンスタンツェとも、もちろんツェツィーリエとも面識があった。「ギルおじさまは演技が下手ねえ。なんだかずっと上ずってらしたわ」と例の御前会議のダメ出しを貰ったのは、王都を発つ寸前だ。


 そう。ヨハンの読みは途中までは正しかった。

 ヨハンは皇帝の勅命に姉の意図が関わっているのではないかと疑っていたが、皇帝は「兄上。ブラル王国の王女殿下を城にお招きしたいのですが」と、初めて異性に興味を示した弟の望みを叶えてやろうと命令を下したに過ぎず、ツェツィーリエ本人のことは意識にない。

 つまり勅命に関わっているのはツェツィーリエではなく、皇弟レオンハルトの意思なのだ。――ただし、レオンハルトとツェツィーリエに面識があり、二人はもう何年も手紙でやり取りをしている、ということを、ブラル王家は誰も知らないのである。


「……デングラーに寄って特産のローズティーを土産に買って来てくれってさ」

「……――ほんと、おまえの姪には頭が上がんねえわ」

「うん。ずっと平伏して崇め奉ってればいいよ」

「どこの教祖だよ」

「それで、王都の様子は?」

「国王は上機嫌だな。第一王子は顔色が悪かったが…」


 先日のお茶会、否、御前会議の様子を思い出す。

 アメリアが来るのかー、とスキップでもしそうなテンションで議場を後にする国王の背に、側近の「陛下! ちゃんと歯を磨くんですよ!」と母親のような叱責が飛んでいた。

 僕が王太子。王太子…? と青い顔でふらふらと出て行く第一王子を憐憫の眼差しで見詰めていた弟王子たちが額を突き合わせてひそひそと囁き合う。


「…兄上を助ける。…国が荒れたら、ツェリが怒る」

「だな。国が亡ぶよりツェリの報復の方が怖えぇ」

「僕は王都の警備と物流を見直す。マックス兄さんは国防全体を」

「じゃあ僕は予算関係を。アル、君はイザーク兄上の補佐だ」

「分かった。けど、とりあえず俺は全部を勉強し直すわ。ツェリがいなくなるなんて全然考えてなかった」

「僕は外交関係かな。っていうか、――ツェツィーリエ姉様の仕事を七人で分担してやっとってこと? 姉様に任せすぎでしょ」


 ツェツィーリエの最後の脅しが効いたのか否か、兄王子たちもそれぞれ思うところがあったようだった。

 これまで王太子として申し分ない身分の優秀過ぎる妹の背を守るだけだった兄たちが急に矢面に立たされることになったのである。焦りと困惑は隠せないようだが、「帰って来る」と言った妹の言葉を疑う者はなかった。


「ふむ…。ツェツィーリエはなぜ、コルヴィッツ家の子が王女ではないと知っていたんだろうね?」

「珍しいな。聞いてないのか」

「女の勘だそうだよ。月の物もまだの小さいレディが何を、って笑ったら拳で殴られてね。あの子はブラルの民にしては珍しく魔力の扱いもそれなりにできてしまうから、いやー…、あれは死ぬかと思った」

「……おまえ、それ、マジでキモイぞ」

「みたいだねえ。コンスタンツェは嬉々と私に報告してくれたから城を上げて祝いの宴を開いたんだが、そんなことしたらもう二度と口を利かないってドン引きされたよ」

「コンスタンツェもズレてるが、おまえも大概だよ」

「女の子は難しい」


 やれやれと首を横に振るヴィルヘルムに、ギルベルトも内心でやれやれと首を振った。この男は昔からこうだ。頭は良いのに、どこか常識から外れている。王侯貴族はこうなのかもなと学生時代はそれで納得していたが、大人になった今では、やっぱりこいつがズレてる、と呆気にとられることもしばしばだ。常識人のツェツィーリエはさぞ、あの母親とこの伯父を相手に苦労していることだろう。


「まあ、コルヴィッツのことはどうでもいいや。新しい正妃についてはどう?」

「表立った反発はなかったな。貴族連中はしぶしぶだが認めてる感じだ。直前のコルヴィッツ伯爵家の排斥が効いたんじゃないか」

「ウチの姪っ子はほんとそういうとこ上手いよねえ」

「国王はなんで自分で例の“初恋の君”を後宮に上げようとしなかったんだ?」

「ランドルフはまだ在位期間が短いからね。周囲の反対を押し切るだけの胆力はないんだよ。ずっと両親の言いなりで育って来た箱入り一人息子なもんだから、ちょっと叱られるとすぐヘソを曲げる。ツェリのような有無を言わさぬ強靭な意思と繊細な根回し力がまるでない」

「一人息子なのか。どーりで子だくさんなワケだ」

「子作りをせっつかれてたのは確かだろうけど。それが見事にまあ身分のない女ばかり孕ませて。第二王子の母親なんて当初は奴隷だったんだよ。我が国では王の子はすべからく王の子として扱うよう決まってるけど、あの子はそれさえも難しかった」


 ギルベルトは王族の集うテーブルの末席にいた物静かそうな二十歳頃の青年の姿を思い出した。第二王子イザークは、分厚い前髪で他からの視線を遮り、どこか自信なさげな様子でずっと本を読んでいたように思う。

 もっと背筋を伸ばして声を張れよと言いたくなるイザークの態度は、生母に身分がないどころか、人として扱われていない人だったという劣等感からと知れば、少々憐れに思った。

 他の兄弟たちから特に差別されているようには見えなかったが、王の子であっても奴隷の子であるイザークを使用人や貴族たちは簡単には受け入れられなかったはずだ。ツェツィーリエが確たる意思を持って喋り出すまで、イザークを庇える王族もいなかった。幼少期はさぞ苦労をしたに違いない。


「…ブラル王国は奴隷制度が生きてるんだな」

「第二王子が生まれたもんだから廃止論が加熱してね。十五年くらい前かな。制度そのものは廃止された。新規の奴隷の登録は禁止されたけど、それ以前の奴隷については“持ち主の自己判断”ってことになってる。自力で市民権を得られない奴隷は奴隷のままだから、実際にはまだ大勢いるし、基本的に奴隷の産んだ子は奴隷だ。だからいなくなることもない」

「なるほど。根深い問題だな」

「ツェツィーリエが気にはしてるみたいだけどね。手が回らないんだよ。なにせあの子は仕事量に対して圧倒的に時間が足りてない」

「それでよく帝都行きを決めたな」

「今すべきは帝都に行ってレオンハルト殿下に手を貸すことだと、そう判断したんだろう」

「二人でなあに企んでるんだか」

「怖いよねえ。どうしよう、世界征服とかだったら」


 ツェツィーリエは無駄なことが嫌いだ。

 領土を広げるための戦も、王の面子を保つための戦も、互いの主張を誇示するための戦も、とにかく戦争という選択肢は国家にとって無駄でしかないと言っていた。そんな彼女が世界征服なんていう無駄の極みに手を貸すことはありえないだろうが、レオンハルトとツェツィーリエの二人がその気ならやってのけてしまいそうでもある。

 ははは、と乾いた笑いを漏らしたギルベルトは窓の外に視線をやった。

 見慣れた城がすぐそこにあった。


「出発はいつだって?」

「ツェリは三ヵ月以内にすべて済ませると言ってたが」

「……王の離婚と再婚と王太子位の移譲と王太子の結婚を三ヵ月以内に?」

「一緒くたに公示して全部同時進行しろみたいなことを言ってたな。偉そうな神官たちが揃って頭を抱えてたぞ」

「本来ならそれぞれに年単位で時間がかかる問題を、全部同時にって。本当にただの人事異動の辞令みたいだね。しかもどれも法に抵触しない辺りがさすが私の姪」


 ギルベルトの苦笑したと同時に馬車が停まった。

 玄関先に複数人の出迎えがいるのを見て、軽く居ずまいを正す。何度も訪れている城ではあるが、正面から帝国の人間として入るのは初めてのことだった。


「…――まあ、つまりおまえがゆっくり観光するくらいの時間はあるワケだ。馬を貸そう。領内なら好きに過ごしていい」

「ああ。ありがとう」

「今夜は正式な晩餐会だからな。一応、使者殿をお迎えせねばならん」


 御者が扉を開ける。腰を上げたヴィルヘルムに「わかった」とだけ応え、ギルベルトも腰を上げた。

 ブラル王国最高位の貴族、ローゼンマイア公爵邸での正式な晩餐会。最盛装のこと、というお達しである。やや気が重くなったが今夜だけだし、公爵様にも一応の体裁は必要だろうと諦めの溜息を吐く。

 ギルベルトは帝国の使者としてやや偉そうに振舞っている風を装おうと胸を張る。「ギルおじさまは演技が下手ねえ」というツェツィーリエの苦笑が脳裏を過った。

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