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3. ドーナツと人事異動


「エマ」

「はい姫様」


 呼ばれただけの侍女が深く一礼をしてその場を辞す。

 今度は何を持って来るのかとその背を見送った王子たちのテーブルでは、三台のホールケーキが跡形もなく消えていた。チェリーの種がころっと皿の上を転がる。


「失礼いたします」


 隣室に待機していたのか、侍女は数分もしないうちに一人の紳士を連れて戻って来た。

 三十代後半頃と思しき紳士は、華やかなテーブルを囲む王族たちと、遠巻きにそれを眺めている貴族たちの不思議な光景にやや面食らったようだった。

 膝を折った侍女がすっと下がると、ツェツィーリエが立ち上がって紳士の隣に立つ。


「……王太子殿下。御前会議と聞いて来たのですが」

「ええ。会議中ですわ。卿のお話を聞かせてくださる?」

「それはもちろん」

「皆様。こちらは先ほどお話しした此度の使者殿、ギルベルト・ハンネス卿です。卿は皇弟殿下の剣術指南もご担当されているとか。皇帝陛下、ならびに皇弟殿下のお言葉を直に聞いてらっしゃいますわ」


 こちらへお掛けになって、とツェツィーリエの案内で紳士――ギルベルトは国王に一番近い席へと腰を下ろした。国王に近いからなのか、差し出された山盛りの菓子にか、少々居心地が悪そうである。


「使者殿。諸事情により第二王女が王籍を離脱することになった。第一王女は王太子だ。俺には他に娘はいない。つまるところ王女を寄越せという勅命に従えないワケだが、代替案はお持ちか?」


 指に着いたチョコレートを舐めようとして側近に阻止され、布巾で乱暴にごしごしされつつ、国王ランドルフは胡乱気に使者をねめつけた。

 ギルベルトは苦笑して首を横に振る。


「勅命は絶対です。代替案などございません」

「では王太子を寄越せと」

「国王陛下には立派な王子がたくさんおられるではありませんか」

「俺を含めて今の王族の男共ではツェツィーリエには歯が立たん。これが女王になるのを帝国は恐れているのか?」

「まさか。こんなに愛らしい姫君の何を恐れましょうか」

「チッ。十四の餓鬼にこの女が扱いきれるものか」


 あんたが十四の時にはすでに第一王子が生まれてましたよ、と内心でツッコミを入れたのを知ってか知らずか、ランドルフが側近を睨み上げる。そっとモンブランケーキの乗った皿を差し出され、側近は首を傾いだ。


「グスタフ」

「はい陛下」

「欲しいならそう言え。さっきから俺の皿ばかり睨みおって」

「……陛下が糖分の摂り過ぎで死んだら棺桶を指差して笑ってやります」

「あ? 砂糖じゃ死なんだろ」

「死にますよ。笑ってますけど殿下方。あなた方も同類ですからね」

「その前にグスタフの額の血管が切れて死んじゃいそう」

「あっはは。確かに!」

「……砂糖の輸入を停められたくなかったらお黙りなさい」


 国内で消費する砂糖の四割から五割を輸入に頼っていることを知っている王子たちはすぐさま口を閉ざした。まったく手に入らないことはないだろうが、物量の減少はそのまま価格の高騰に直結する。こうやって気軽にお茶会を開くことが難しくなる程度には、砂糖難民が出て来るだろう。もはやそれは王族にとっては死活問題だ。

 受け取ったモンブランをもぐもぐと頬張りながら、側近は「あ。食べるんだ」という貴族たちの視線を無視した。


「…楽しいご家族ですね、ツェツィーリエ姫」

「ええ、そうでしょう? 卿は甘いものはあまりお得意ではないのかしら」

「そうですね。少しなら食べますが、この山盛りのエクレアを見てるだけで胸やけがしそうです」

「まあ、残念。美味しいのに」

「妹君はどうかなさったんですか?」

「わたくしに妹はおりませんわ」

「……左様ですか」


 にこりと微笑むツェツィーリエに、ギルベルトもまたにこりと微笑み返す。

 ついさっきまで第二王女の座っていた空席については誰も何も言わなかった。


「……ツェツィーリエ姉様。帝都に行っちゃうの?」


 ちまちまとブドウの皮をむきながら、ヨハンが不安そうに問う。汁で汚れないようにメイドが後方からささっと袖を上げていた。

 一応、御前会議に相応しい議題を話し合ってはいるようだが、常に誰かしらもぐもぐと何かを咀嚼し、お茶を楽しんでいる。この王家おもしろいな、とギルベルト・ハンネスはのんきな感想を抱いた。


「……陛下。かねてより申し上げております通り、王太子位は第一王子ダニエルお兄様に移譲いたします」

「ツェリ」

「お兄様がご不安に思ってらっしゃる“後ろ盾が皆無”という件につきまして、王太子の名の下に人事異動をこの場に提案させていただきますわ」

「人事異動?」

「まず、陛下にはお母様と離婚していただきます」


 ざわ、と議場がざわめいた。

 ツェツィーリエの母は正妃コンスタンツェだ。王国内最大貴族であるローゼンマイア公爵家から嫁いで来た、由緒正しいお姫様である。よほどの理由がない限り、離婚など許されるはずがなかった。


「そしてアメリア様に後宮へお上がりいただきます」

「アメリア……!」

「はい。アメリア様は今は既婚者で、貴族位にはありませんが、先方との離婚も、いずこかの家との養子縁組もさほど難しくはございません」

「…ツェリ、話の途中でごめん。アメリアって誰?」

「アメリア様はゼーバッハ準男爵家のご出身で、ダニエルお兄様の母君です」


 ああ、例の。という顔で王子たちは首肯を持って納得を示す。

 国王ランドルフが十三の時に孕ませ、十四で引き離されて以降、一度も会うことを許されていないらしい“初恋の君”。その存在だけは有名だった。

 もう三十年も前の話だ。その時に生まれた子が第一王子ダニエルだが、両親からも乳母からも側近たちからもかなり叱られ、しかも大好きな恋人とも引き離されたランドルフ少年が「もう誰とも結婚しない!」と心に決めてしまった事件である。

 その決意は意外に固く、ランドルフは三十を過ぎても正式な結婚をするには至らなかった。このままではさすがにやばいと焦った家臣団に土下座される勢いで頼み込まれたローゼンマイア公爵が、渋々十七歳の娘コンスタンツェを嫁がせた時には、ランドルフは三十二歳になっていた。

 翌年に第一王女ツェツィーリエが生まれ、その五年後、先王の死去により即位しランドルフは国王となった。

 即位から七年あまり。例の事件から三十年を経て“初恋の君”が手元にやって来る。嬉しそうな父王の様子に「この人意外と一途なんだな」と王子たちは心の中で驚いていた。十三人、否、十二人兄弟の全員の母親が違うのだ。ただ好色で飽きっぽいダメ親父だとばかり思っていた。


「準備が整い次第、アメリア様には陛下との再婚式を行っていただきます。他に有力な妃がいない以上、事実上の陛下の正妃となられますわ」


 だからコルヴィッツ伯爵家のガブリエラをこの場で排除したのか、と議場の全員が腑に落ちた表情を浮かべる。

 第二王子イザークはダニエルと十歳も離れた婚外子で、第三から第六王子の母親も全員が異なる上に、正妃に相応しい身分にはない。第二王女の母だった伯爵家のガブリエラが失脚した今、正妃コンスタンツェを除けば、貴族位の妃は第七王子ヨハンの母ルイーザだけだ。けれど彼女は病弱で今も床に臥しており、とても正妃は務まりそうにない。


 第一王子ダニエルを立太子させるため、その生母アメリアをいずれかの貴族と養子縁組させ国王の事実上の正妃に据える。ツェツィーリエの発言力がなければ実現しないだろう、ある意味デタラメな筋書きだ。

 だが、ツェツィーリエがこの場でこうも断言する以上、おそらくすでにある程度の準備は整えられているに違いない。

 有言実行。それが王太子ツェツィーリエの座右の銘である。


 皇帝の勅命に従うためだけにしては用意周到が過ぎると、聡い幾人かは訝しく思っていた。

 以前から王太子位をダニエルに移譲したいと公言していたツェツィーリエは皇帝の勅書さえも利用しているのではないだろうか。否、あるいは。勅書の内容さえ、ツェツィーリエの意図が絡んでいるのではなかろうか。そんな恐ろしいことを可能性として疑えるほど、ツェツィーリエの才覚は底が知れなかった。


「待ってくれツェリ。僕の母上はもう三十年近く貴族社会から離れているんだ。今更、王妃業なんて務まるはずがないよ」

「ですから、わたくしのお母様にダニエルお兄様と再婚していただきます」

「…えっ」

「お母様とお兄様は同い年。十年以上を一緒にお過ごしで気心も知れているはず。頭の中は常春のお花畑ですが、社交の場ではそつなくお兄様をフォローなさるでしょう。王太子と王太子妃が表でしっかりしていれば、王妃が少々使えずとも問題ありませんわ」


 本当に人事の指示を下しているだけのような王太子に、十八も歳の離れた第一王子は反論を探して黙った。実の母に対し常春のお花畑は褒め言葉じゃないと思う、と伝えるべきか否か迷って、そこも黙る。きっとツェツィーリエはすべて承知の上だ。


「コンスタンツェ様はどうお考えなのですか」


 王の隣でもぐもぐと口を動かしていた正妃コンスタンツェは急に水を向けられてぴたりと動きを止めた。その手にあるシンプルなドーナツが美味しそうに見えて、王子たちがテーブルの上に視線を滑らせる。籠の中の最後の一個をランドルフがささっと皿に取り、子どもたちの無言の抗議を鼻で笑って受け流した。

 こんなに食べて夕飯を食べられるんだろうかと、気配を殺してじっと座っている使者ギルベルトは心配に思った。まあ、きっと食べるのだろう。甘いものは別腹だと言うし。


 銀の髪、アメシストの双眸。第一王女ツェツィーリエと良く似た容姿の、それでも真逆の雰囲気を纏った正妃コンスタンツェは、困ったように眉尻を下げて微笑んだ。ふわふわと漂う空気は確かに常春のお花畑のようである。


「わたくし、ツェツィーリエの話はどうも難しくて……」

「お母様は陛下とお別れして、ダニエルお兄様と新たに結婚することになります。ヴィルヘルム伯父様にはすでに了承を得ておりますわ。これについてどうお思いですか?」

「まあ。ダニエル様とわたくしが? それはツェツィーリエが決めたの?」

「はい」

「そう。なら、きっとそうすべきなのね。ヴィルヘルムお兄様がご承知なら、わたくしは構わないわ」

「こ、コンスタンツェ様。本当にそれでよろしいので?」

「わたくしはツェツィーリエのお母さんですもの。難しいことは分からずとも娘を信じておりますの。ツェツィーリエは間違えませんわ。そうでしょう?」


 自分の離婚と再婚の決定権を十二歳の娘に任せることになんの疑念もないコンスタンツェににっこりと微笑まれ、ダニエルは反論を諦めた。

 コンスタンツェの実兄であるローゼンマイア公爵にすでに了承を得ているのであれば、この“人事異動”はおそらく書類の手続きのみで完了してしまえるところまで進んでいる。ツェツィーリエに「お兄様。立太子なさいませ」と言われたあの時から、いつかこんな日が来るんじゃないかと思ってはいたが、あまりにも唐突だ。


「ツェリ……、僕には無理、むぐっ」


 パンケーキを押し込まれ口を塞がれたダニエルは、十八も年下の妹の背筋が寒くなるような笑みにこれまた反論を諦めざるを得なかった。

 父王の言う通り、この妹に敵う者は、少なくとも国内にはいないのである。


「陛下とアメリア様の長男。そして王太子妃にはローゼンマイア公爵家のコンスタンツェ。なによりわたくしツェツィーリエが娘になるのです。お兄様のお人柄と能力にはなんの問題もないはず。第一王子ダニエル殿下の立太子にあたってこれ以上に何か不安のある者は今この場で名乗り出なさい」


 議場を一周ぐるりと見渡す笑みに何かを言える者はなかった。

 人事異動の発令を終えたツェツィーリエは、静まり返ったそこで満足気に一つ頷き、ダニエルの口に放り込んだパンケーキのフォークを抜く。


「俺になんの相談もなしかよ」

「元はと言えば陛下がアメリア様にお手を付けられたのが早すぎたのです。十四歳で出産のために学校を辞めざるを得なかったことで側妃になる道が断たれてしまったのですから、今わたくしがアメリア様をお連れすることに感謝とお褒めの言葉をいただいても良いくらいですわ」

「……――ドーナツ食うか?」


 十二歳の娘にぴしゃりと一刀両断された国王がすっと皿を差し出す。

 ドーナツの乗った皿が目の前を通り過ぎて行くのを、ギルベルトはひたすら気配を殺して見ていた。


 身分のほぼないアメリアという人物を王の正妃に据えることに反感を抱く貴族は多いだろう。それでも誰も何も言えないのは、国王自身が強くアメリアを望んでいることもあるが、何より王太子ツェツィーリエがそう決めてしまった以上、その決定は覆ることがほぼないと皆が知っているからだ。

 国王、正妃、王太子。王族のスリートップが是とした議題に「アメリアに身分がない」というだけの理由で異議を申し立てるのはリスクが大きすぎるのである。下手をすればコルヴィッツ伯爵のように“正当な理由で”城から遠ざけられてしまう。もしくはガブリエラ妃のように“合法的に”処刑されてしまうかもしれない。

 第一王女ツェツィーリエは十二歳と幼いながらも、すでに一国を操舵する敏腕で容赦のない政治家なのである。


「……――あの、姉様」

「なあに、ヨハン」

「それって、姉様は帝都に行かれる前提なんですよね」

「そうね」

「姉様が城においでなら、それは、その人事異動の後でも大丈夫な気がしますけど、姉様がこの国にいないとなると、ちょっと、だいぶ不安と言いますか」

「帰って来るわ」

「え、でも」

「ヨハン。わたくしは帰って来ます。十年…いえ、八年以内に戻るわ。陛下はお元気だし、あなたにはお兄様が六人もいるのだもの。何も心配することないわ。――でも、そうね。もしわたくしが帰国したときに国が荒れでもしていたら、その時は……、分かるわね?」


 ひぇっ。

 誰かが口の中で悲鳴を上げた。

 青い顔でこくこくと頷く兄王子たちをにっこりと満足気に見渡し、ツェツィーリエはドーナツにフォークを入れる。


 この子がウチの皇弟と組んだらえらいことになりそうだなー、と使者ギルベルトは紅茶をすすりながらやはりのんきな感想を抱いていた。


 数年後。

 えらいことになるのである。

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