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イバラの宝冠

作者: 風見烏

 わたしの名前は赤峰あかみねみなみと言う。

 世界で一番嫌いな奴の名前だ。


 チビで、小太りで、身体の節々も太く、鼻も低い、目つきもきつく、唇の形も気に食わない。

 いつもにやけたようなつら。丸い顎の輪郭はたぷたぷと脂肪を蓄えているようにしか見えない。髪も脂ぎった中年のように時々べたつく。自分の好きなところはぜんぜん出てこないのに、嫌いなところばかりが目に付く。


 何もかもが気持ち悪い。

 自分の顔を見るのがイヤだ。

 化粧して絶望したこの顔がイヤだ。

 イヤでイヤで堪らない。


 そんなわたしが夢を見てしまったのは『演劇の舞台に立ってみること』だった。

 小学校の時に来た巡業の演劇団。

 その少し不思議な世界観が舞台の上で演じられている瞬間はとてもきらきらして見えた。

 わたし以外の何者にもなれる。

 そんな憧れと希望があったのだ。


 ――――だけどその気持ちもすぐにうち捨てられてしぼんでしまうことになる。


 切っ掛けは入部当日の挨拶の。


藍染雅水あいぞめまさみ。演者(キャスト)志望です。よろしくお願いします」


 綺麗な顔。

 すらりとして、小顔で、わたしとは真逆の。

 自信があって、華があって、わたしとは違う。

 周りの何もかもが彼女のために用意されているように見えた。


 佇んでいるだけで華やかで、つやがあり、色がそこにあった。

 わたしが無彩色ならば彼女はきっと21色以上あるに違いない。

 わたしの付けているつらは醜い怪人ファントムの仮面。

 対する彼女はなんと美しい異性も同性も惹きつける魔性の色事師カサノヴァの仮面。

 欲しかった物がすべてそこにあった。


 ああ、きっと何一つかなわない。

 これでは、かなわない。

 そしてわたしは自己紹介の時に。


赤峰あかみねみなみです。劇作家を志望しています」


 そう言ったのだった。

 演者は諦めた。

 でも完全に諦めたわけじゃない。

 わたしの好きな顔。

 彼女を自分の考えた物語で動かすのだ。

 そう心に決めた。


 だけど全然ダメだった。

 没を何度も何度も喰らい、わたしの話は使われない。

 それでも毎日毎日部長に持っていって、ダメ出しをされるうちに段々と良くなっていった。

 対する彼女も一年生の中でくすぶっているようで、その容貌を上手く扱えていないようだった。それもそうだ、万年地区予選落ちでうらぶれている我が演劇部では異質の存在だった。タンポポやハコベラなどの野花の中に一際綺麗な胡蝶蘭こちょうらんが一輪咲いていたら綺麗ではあるが違和感しかない。闖入者ちんにゅうしゃたる彼女からは匂いがするのだ。芳しいすみれらんの如く匂いが。鼻息を荒くしながらも決して近づこうとしない。


 ――それではダメだ。


 彼女の中身を変えなければならない。

 彼女を輝かせなければならない。

 ではければ夢を一つ諦めたわたしが惨めではないか。

 本来ならば演者としてあの場所に立つ予定だった。

 その夢は捨てた。

 代わりに新しい夢を見つけた。

 立つ場所は違うかも知れないけど、確かに思い描く世界をそこに現すのだ。

 速くあの幻じみた世界へ入りたい。そのためには彼女をわたしの色で輝かせる必要がある。

 腐った果実の如く薄暗く崩れてえた目を藍染雅水へと向けた。


 劇作家志望とはいったものの、脚本だけ書いていれば良いという訳じゃない。

 それはわたしじゃなくてもOBの先輩とか、外部の人に手伝ってもらうこともあるからだ。

 何より人数がそれほど多くない我が部は誰かしら何か兼業をしている。

 照明に舞台の仕掛けの手伝い。衣装製作。大道具。小道具。挙げていけば切りが無い。体力勝負な場面もある。特に照明はわたしも反対側に走ったりとてんやわんやだ。

 それでも照明ライトを当ててみたときの彼女の顔はほんとうに綺麗だと思った。

 忙しくても脚本は毎日休むことなく持っていった。

 そんなわたしにもようやく日の目を見ることが出来る。


「いいんじゃない?」


 切っ掛けは彌冨(やとみ)部長の一言。

 部内劇での脚本を任された。それが良ければ手直しをして地区大会に出してみようと言われたのだ。ああ、やっとスタートラインに立つことが出来た。


「あの。お願いがあります」


 この役は彼女に藍染雅水あいぞめまさみにして欲しいと頼んだのだ。



――2――



「赤峰さん。あなたの脚本良かったよ!」

「ありがとうございます」


 演者キャストの先輩に声を掛けられた。

 一年が主役級の役をやることにもっと抵抗があるかと思っていたけれども、意外なほどあっさりと通った。この部が主役をやりたい! ではなくて、演劇を楽しくやりたい! という雰囲気だったからかもしれない。

 部内劇の評価は好感触で、これにはわたしの頬もほころぶ――ということはない。

 完璧にはほど遠い。満足できない。

 口角だけを上げた薄い笑顔。

 みんなに「ありがとう」と返答する。


 その日の部活の終わり、藍染雅水あいぞめまさみがわたしに話しかけてきた。

 実は彼女とはあまり接点がない。

 部員同士だから話をする機会ぐらいはあるのだけれども、二人きりでなんてことはなかった。だってこれはわたしの欲望の片恋慕。か黒い何かだ。


「なんでわたしを選んだの?」

「なんのこと?」

「知っているんだから。あなたがわたしをこの役にしたんでしょう」

「それがなに」

「ああ、やっぱりそうだったんだ」

「かまをかけたの?」


 彼女は楽しそうにくつくつと笑う。

 綺麗な顔。綺麗な声。綺麗な仕草。そして少しの恐ろしさを感じる。


「ほんとうになんでわたしを選んだのか知りたかったの」

「………………わたしのお話に相応しい顔だったから」

「ふぅん。それって悪口。おまえには顔しかないんだって」

「ちがっ」

「いいよ」

「えっ?」

「わたしはわたしが輝けるならそんなことどうだっていい。だからわたしが輝ける物語を書いて。その代わりあなたのねがいを叶えてあげる」

「書けばわたしの好きなように動いてくれるの」

「ええ。あなたの好きなように踊ってあげる。あなたがわたしの中身になればいい」


そう言うと彼女は今日使った劇の宝冠を手に取った。予備との二つのを。その内のひとつをわたしに渡すとこう言ったのだった。


「それはあなたがわたしに被せて。あなたのはわたしが被せるから」

「何がしたいの?」

「決まっているじゃない。戴冠式よ」


 今日の演目は女王の戴冠式。

 王座を巡る二人の姉妹の物語。姉に命を狙われる妹の、血染めの冠。


 わたしがおずおずと頭を下げると、彼女がその宝冠をすっと乗せる。

 彼女が恭しく頭を下げると、わたしがその宝冠を恐る恐る乗せる。

 彼女はわたしに、わたしは彼女にこのイバラの宝冠を被せたのだ。

 歪に血が滲むこの宝冠を。それは痛みや苦痛を伴うが、一度棘が食い込めば二人を手繰り寄せ縫い付ける。強く離れがたい物でもある。


 そしてわたしたちはマーヴェルの子鹿の死を嘆くニンフを口遊くちずさむのだ。

 二人で一人のシラノ・ド・ベルジュラック。


「知ってる赤峰さん。この宝冠の模様に使われている百合の花のこと。綺麗だけれども、腐るとひどく臭うの」

「なんでそんな説明するの」

「もしかしたらこれからのわたしたちの関係のうわべだけをみたら綺麗に見えるかもねぇ。根っこはどうなっているか分からないのに。腐り爛れるか。それとも咲き誇るのか」

「藍染さんって、以外と浪漫主義的なんだ」

「は――――ははは。そんなこと初めて言われた。ちょっと気分が上がってるのかもねぇ。外連味けれんみをかけ過ぎたかもねぇ」





 練習も最終段階へと至る。

 舞台の最後のシーンの確認。

 死にゆく姉を看取る妹。実の妹への恨み。憎しみ。愛情。それらが入り交じった壮絶なる最期。その姉を演じるのが藍染雅水だ。

 ダブル主演の脚本。人生に翻弄され庶民から女王へと神輿を担がれる正統な妹。

 対するは女王になるためにすべてを犠牲にしてきた異端の姉。

 争いは熾烈になるが、最後は自らの剣を自分に突き立てることになる。

 

「ここはこうやって欲しい。立ち位置がこうで……」

「分かった」


 あれから変わったことは藍染さんと良くしゃべるようになったことだろう。

 そんなときに同じ部活の部員が話しかけてきた。


「赤峰さんって藍染さんと最近よく一緒にいるけど。大丈夫?」

「何が?」

「彼女すっごく綺麗だし、演技も上手だけど、その、ちょっとキツイから……」

「――――ああ、雅水さんには舞台の脚本のことを聞かれていただけだから」


 自分たちの方がさも彼女のことを知っているかのように振る舞っている。わたしは知っているのだ、影では顔は良いけど演技はちょっとなんて言っていたことを、それが今はすごいって勝手に持てはやしている。

 探りを入れているのは分かっている。みんな彼女が気になっているのだ。その近くに居るわたしが目に付いているのだ。


 わたしは当たり障りのないことを言う。

 誰にも話せない秘密の契約。

 彼女の外見に中身わたしを入れる儀式。

 わたしのお話。でもわたしのためのお話じゃない。彼女が輝く為のお話。

 遠くから「みなみさん、ちょっといい?」と藍染さんの声が聞こえる。


「じゃあちょっと呼ばれたから」


 呼ばれたわたしを見る目は微妙で。

 ああ、これは違う。

 この目はわたしのような嫉妬と羨望と恨みに満ちた目じゃない。もしかしたらパシリをしているんじゃないかと思われているのか。まあいい。些細なことだ。

 わたしと彼女の関係がコンビであると認識されるようになるのはしばらく先の話だった。


 嬉しいことにいつも地方大会敗退という我が部が県大会を勝ち進み、初めて関東ブロック大会まで出場することが出来たのだった。12月くらいにある大会のために三年生のほとんどは出ることが出来ない。受験もあるのに最後まで残った先輩達は良い思い出が出来たと口々にしゃべる。特に彌冨やとみ元部長が喜んでいた。受験との両立は地獄だったと語っていたが、それ以上に得られた物があったそうだ。わたしの尊敬できる数少ない先輩であった。


 学校の文化祭だって彼女とわたしが組めば、毎年まばらな拍手しかもらえなかった出し物もなかなかの盛り上がりを見せていた。まあ、人気のほとんどは男役をやった彼女なのだろうけど、その中身を入れたのはわたしだ。クラスメイトに「あの劇良かった」と声を掛けられた。

 ああ、声を高らかに宣言しよう。成功したと。


 わたしたちは二年生になった。

 相変わらず契約は続いている。

 始まりはかなり歪だったけれども、お互いそれなりに信用できているのではないかと思う。今まで感じたことのない高揚感を覚える。

 わたしは雅水が求める自分が輝くお話を作り続けていた。そして雅水もわたしの言うとおりに動いてくれている。まるで身体の一部にでもなったかのような錯覚。

 細長い手足も、綺麗な顔も、澄んだ声も、わたしの思うがまま。

 わたしの思うとおりに、考えるとおりに、感じるとおりに、仕草、動き、すべてだ。

 そうだ、これがわたしなんだ。







 ほんとうに?






 ――――だけどそれはわたしじゃない。

 ――――わたしだけどわたしじゃないわたし。

 ――――わたしの理想の体現。


 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。


 心の奥の何処かで、何かを叫んでいる。

 わたしはいったい、ほんとうは何を望んでいるというのだ。



 ――3――



「ああ、そんなことを言わないでくれ。キミを連れて行ってしまいたくなる」

「それでも一緒に居たいとねがってしまったんだ」

「生きて戻ることは出来ないのだぞ?」


 人魚と出逢ってしまった人間。

 最初の出会いは、人魚の足に網が絡まってしまったことで、陸に打ち上げられてしまうという少し間が抜けてはいたけれども。

 男は一目見た彼女に惹かれてしまう。

 彼女はいったんは拒むものの、完全な拒みではない。

 男に網を取り除かせたのだから、拒みつつ誘う。

私に触れてはならないノーリ・メ・タンゲレ』と言いつつも、それは死の誘惑であり、男自身も幻とも現実とも言えない奇妙な倒錯感の中で心が揺れ動いていく。


 圧巻なのはやはり雅水さんの演技だろう。

 美しくも恐ろしく、可愛らしくもなまめかしい。

 高校生とは思えない、挙措の端々、仕草に浮かぶ熱めいた匂い。ほころぶ顔はコロコロと姿を変え、青い果実から爛熟した蜜のような果実へと行ったり来たり。

 最後はその男を水面の底へと連れ去ってしまうのだ。

 すべてわたしが指示した、わたしの演出で。

 最後は泡の代わりに酸漿ホオズキの実を浮かばせる。

 その実は男の魂なのだ。魂を人魚に差し出すという演出だ。


 この演目でわたしたちは地区大会を突破した。

 大会はすべて同じ演目でやり通さないとならないため、ちょっと心配していたのだが、雅水さんにそんな杞憂は不要だった。わたしの理想を完璧にやり遂げてくれている。

 まずはやったと喜んだ。


「まずは良かった。かな?」

「あたりまえ。わたしたちがやっているのだから」

「舞台前は不安がっていた癖に」

「見ていたの?」

「ああ、ほんとうに不安だったんだ」

「…………よくも引っかけたな」

「昔のお返し」

「ああ、そんなこともあったねぇ」


 彼女はしみじみと呟いている。

 一年越しの溜飲が下がった。別にそれが何かと言われたらどうでもいいことだけれども。


「突き進む先にあるものは何だ」

「急になにそれ」

「合わせてくれてもいいじゃない」

「いっとくけど裏方仕事ばっかりで演技は上手くないからね」


 それは嘘だ。

 舞台に立って台詞を読んで、演出を考えて、みんなが見ていないところで練習もしていた。


「上手いとか下手とかどうでもいいの。乗ってくれるかくれないかだもの」

「…………はあ。分かった――――――そんなものは決まっている」

「どのような困難な道であろうとも、ぼくはそれが欲しい」


 二人だけの即興劇。脚本もなければ演出もない。舞台ですらない。

 時折雅水さんはこんなことをしてくる。どこまでもお芝居が好きなのだろう。


「ならばどうやって手に入れるというのだ」

「それこそ決まっている。ぼくたちが二人で一つになればよい」

「困難が伴うぞ」

「あのときの契約。覚えているか」


 1年前の契約。それが思い出される。


「――――忘れていたらぼくはこの場にいないだろうさ」

「ならば最後の契約だ。ぼくはキミになろう。キミはぼくになるがよいさ」

「……ほんとうの意味でぼくがきみになることはない」


 彼女は芝居がかった仕草で大仰に手を広げた。


「わたしたちはお互いに冠を被せた」

「……血を流した」

「突き進む先にあるものを手に入れられるならぼくのすべてをキミに捧げても良い」

「ならばぼくも自分のすべてをキミのために捧げよう」

「だれでもないぼくらの幻影を人々は見るのだ」

「ならば」

「だから」

「「死が二人を分かつまで」」


 誰ともなく幕が下りる。

 ほっと荒くなった息を整える。


「あなたのお芝居下手くそね」

「うるさい」


 余計な一言だ。


「ねぇみなみ」

「なに?」

「…………やっぱりなんでもない」



 わたしたちは県大会、そしてブロック大会、初の全国大会まで出場することが決まった。

 ブロック大会の終わりに永沢部長が完全に引退し、副部長であるわたしが正式に部長になった。なぜ雅水さんではないのかと言えば、彼女は基本演劇しか興味が無い。部長をやって自分の時間を使わせることを酷く嫌っていた。そんなことを部員達に言うわけにはいかず、このような仕事は向いていないからということになった。

 永沢部長は出来るなら全国大会まで出たかったと言っていたが、演劇の全国大会は新年度にあるため不可能であった。残念がっていたけれども、頑張ってと部を託された。


 三年生が全部引退をすると、大学へ進学した彌冨元部長が手伝いに来てくれていた。

 元部長の「いいんじゃない」の一言がなければわたしはここにこれなかっただろう。

 会場は妙な熱気が漂っていた。

 地方大会とはぜんぜん観客の数も違った。これがわたしたちの最後の仕上げ。


「これ以上わたしに近づくのはやめろ」

「何故だ。その理由を教えてくれ」

「おまえを連れて行きたくなってしまう」

「それでも、それでも近づきたいと思うのはいけないことだろうか」

「今なら引き返せるぞ」

「心など等に決まっている」

「ならばずっと一緒だ……」


 ざぶんと海へと飛び込み、酸漿ほおづきの実が水面へと立ち上っていく。

 それは魂であり、彼女は相方の魂だけはこぼさぬようにしっかりと握っていく。

 ちょっと不思議で、切ない世界。

 

 ――わたしが立ちたかった舞台がそこにある。

 ――わたしじゃない者が叶える、わたしの理想。

 頬に冷たいものが伝わるのを感じた。



――4――



「みんなお疲れ様」


 全国大会から戻ってきて、部室でささやかな打ち上げ会が行われていた。学校には許可を取っている。あのときのことを振り返ると、感極まって泣く者、感極まらなくても泣く演技をしだす者、突然即興劇をし始める者などなかなかに魔女の大釜の如く混沌としていた。


 結果としてわたしたちの劇は審査員賞を得ることが出来た。我が演劇部初の快挙だと顧問を含めて喜んだものだ。他の三年生たちはここで引退する予定だ。わたしは部長からはさっさと下りるが文化祭まで残っていようかと思う。ここからは二年生が中心になるだろう。


「あ”い”ぞ”め”さああん」


 咽び泣く声が聞こえる。

 彼女の周りは非常に盛り上がっていて、わたしなどはお飾り部長とでも思われているのだろう。それも仕方ない。彼女有りきの賞だったのだから。


 ――――それで良い。それを選んだのはわたしだから。脚本を書いただけの部長。その程度で良い。藍染雅水という器に赤嶺みなみという中身を注ぎ込めたのだから。たとえわたしが空っぽになったとしても、彼女にぜんぶ与えられたのならば構わない。さあ、しゃぼんの泡のように消えてしまおう。そこには何も残らない。酸漿の実たましいは彼女に渡したのだから。







 ほんとうに?






 最後の戸締まりをしていると、雅水さんが声を掛けてきた。


「終わったねぇ」

「良くやったと言って欲しいの?」

「まさか……」


 最初に雅水さんにあった感情は嫉妬、憧れ、敵愾心、羨望、どれもしっくりとこない。

 違う。

 わたしは彼女になりたかったのだ。それがまさかここまでこれるとは思っていなかった。なんだかんだで良いコンビだったのかもしれない。


「…………ねぇみなみさん」

「なに」


 雅水さんにしては歯切れが悪い。

 何かを考えているようなそんな仕草だ。


「これでわたしたちの契約はおしまい」

「………………そう、ね」


 ふっと、目を伏せる。

 そして見上げた顔はとても恐ろしくて。


「これであなたの顔を見なくても良いと思うとせいせいする」

「突然なに」

「ずっとがまんしていたの。一緒に居ることを」


 目の前がチカチカする。動悸が速くなる。止めてと叫びたかった。たとえ言ったとしても彼女は止めないだろう。分かっている。終わりの時が近づいている。


「それが、なに」

「ごっこ遊びはこれで終わり」

「わたしはごっこでやっていたつもりじゃ無い。脚本や演出に関しては手を抜いていない」

「ふうん。今日も見たでしょう。いくらあなたが頑張ったとしてもその功績はすべてわたしのもの。誰もあなたを見ていない。見ているのはわたしだけ」

「やめて」

「もう、わたしはあなたじゃなくなる」

「――――――っ」

 

 ああ、その言葉は一番聞きたくなかった。

 一番欲しくない言葉。一番辛い言葉。ほんとうを突きつけられる。

 終わりはこんな形か。でも、楽しかったんだもの。


「だって、誰も私たちの関係なんて知らないもの」

「そうね。せいせいする」


 違う。


「ブサイク」

「そのわたしがいなければ何も出来なかったじゃない」


 そう言い切った彼女の顔はゆがんで、とてもいびつで、辛そうで、わたしの好きな顔じゃなくて、もう、彼女がわたしになることはない。


「結局。あなたはわたしにはなれなかったのよ。はじめから」


「――――――――――――――――――――――――あ」


 あ。

 あああああ。

 あああああああああああ。

 ナニカが壊れたのを感じた。致命的なナニカが。

 わたしの理想。わたしの……。ぜんぶぜんぶ崩れていく。

 違う。

 違う。

 違う違う違う。



 そのあとの記憶は定かではない。

 横たわる彼女のからだ

 おびただしい赤色。

 血が滲む冠は、ほんとうに血を流してしまう。百合の花は地面へと落ち、腐り果てる。

 イバラの王冠をわたしが砕いてしまったのだ。

 子鹿の死を嘆くニンフ。

 ああ、違う。

 そうだ。違う。

 これは彼女じゃない。だって、わたしが彼女なんだから。ひとつに戻らないといけない。





















 いただきます。



――The dream is over





「藍染先輩駆け落ちしたってほんとう?」

「知らない」

「誰かと付き合ってるって話聞いたこと無かったし」

「ちょっと怖いとこあるし」

「噂だと年上の彼氏がいたんだって」

「マジな話?」

「元部長の雰囲気も変わってない」

「いなくなってから塞ぎ込んでいたし」

「そうじゃなくて。なんだか藍染先輩みたい」

「わかるぅ。ちょっとこぎれいになったよね」

「聞かれたらまずいって」

「聞こえている。ほら、サボっていると来週の学内劇に間に合わないよ」

「はぁい」



 あれから雅水さんが居なくなったとみんなが騒いでいる。

 年上の彼氏がいて駆け落ちしただとか、他にもあんまり口にしたくないような根も葉もない噂が流れていた。あんまりそーゆー話がなかったことが余計に拍車を掛けている。想像の余地がある物ほど勝手な物語が出来上がるらしい。そんなはず無いのに。

 違う。

 何を言っているんだろう。


「わたしはここに居るのにねぇ」


 彼女はここにいるというのに。

 今も、一緒に――――

  

作品タイトルの元ネタは、吉田直先生のトリニティ・ブラッドからです。

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