私の為に泣いてくれる人
滞りなく晩餐と湯浴みと勉強会を終えたその後で、ステラと話し合いをしようとしたその時に、ステラが早速虐められっ子スキルを披露した。
遠くでゴングが鳴り響く音と、ファイッと戦闘を促す審判の声も聞こえてくる気がする。
「あの、私ルーナさんに嫌われているようで、今日凄く厳しくされたんです……」
いるいるこういう方……とマリアローゼは白目を剥きそうになった。
ちょっと注意されただけで、厳しいとか虐められた、と言い出す人は巷に多く存在している。
確かに、注意する側に問題がある場合も多いが、ルーナとオリーヴェを見る限り関係は良好で、ルーナが責められる謂れはなさそうである。
オリーヴェからもシスネからも何の苦情も出ていないのだから、当然だ。
「そう……ルーナ、ステラの言う事に心当たりは有りまして?」
まだ部屋を出る前だったルーナは、静かに振り返った。
「はい。お嬢様付きの侍女として恥ずかしくない様、指導致しました。この程度で厳しいと音を上げるのであれば、夫人の仰るようにまだ侍女として働くには心構えも、仕事の練度も足りないと思われます」
(おおう…。
こちらはこちらでビシバシと言い返してきましたわね…。
でも、正論ですわ)
元からルーナを責めるつもりのないマリアローゼは、硬い表情のままのルーナにふわりと微笑みかけた。
「まあ、ありがとうルーナ。きちんと指導をしてくれたのね。これからも宜しくお願い致しますわ」
「勿体無いお言葉です」
マリアローゼの微笑と、認める言葉に表情に明るさを取り戻したルーナは、お辞儀をしてから部屋を出て行った。
ルーナに加勢するかどうかと、悩むようにオロオロしていたオリーヴェも、一足遅れてお辞儀の後部屋を後にする。
シスネはいつの間にか姿を消していた。
(忍者みたいですわね?シスネ)
「さあ、ステラおかけになって。ルーナも屋敷の皆様も、貴方の成長を願って厳しくしているのだと思いますわ」
「でも、私嫌われているんです」
座りながら、あくまで嫌われているムーブを誇張してくるステラに、マリアローゼは憐憫を覚えた。
じっくり話してみても、どうしてもそこにしか自分の価値観を見つけられないのなら、この先貴族社会でも上手く立ち回る事は不可能だろう。
「そうですわね。貴方は、自分を悪く言う相手に好意をもてまして?」
「……いえ、もてない、です……」
そこは素直に認めた。
マリアローゼは大きく頷く。
「それは皆同じですのよ。ルーナは貴方の事をわざわざわたくしの前で貶さなかったでしょう?でも貴方はわたくしの前でルーナの信用を損なう事を言いましたわ。そんな事をしていたら、正常な人間関係は築けないものですよ」
ステラは唇を噛んで黙り込む。
同じ様な事をフィデーリス夫人にも指摘されていたのだろう。
マリアローゼは話題を変える事にした。
「ステラ、貴方のお母様はどういう方でしたの?」
「お母様……ですか?……」
きょとんと目を丸くした後に、思い出すようにステラは視線を泳がせた。
そして、悲しげな顔になる。
「いつも、泣いていたように思います。お父様が戻ってこないのは、愛人の…義母のせいだと言って…お父様との諍いもそんな理由ばかりでした」
子供の前でする喧嘩ではないのだが、これもまたよくある光景の一つなのだろう。
マリアローゼは、何とも言えない重い気持ちになった。
「その時、ステラはどうなさっていたの?」
「私……私は、乳母が連れ出してくれたり、喧嘩が始まったら隠れるように言われてました。お父様は、偶にお母様に手を上げる事もあったので……でも……一度だけお母様がお父様に殴られた後……泣いているのかと思って、慰めようと側に寄ったら笑っていた事があったんです。……それ以来お母様が怖くなってしまって」
ラクリマ夫人との話とも符合する。
元々はラクリマ家でも家庭に問題はあったかもしれないが、どちらにしろ歪な感情を持ってしまっていたのだ。
「そうして、お母様に甘える事が出来なくなって、お母様は私を見ても……愛してくれないお父様の子としか思えなくなったのでしょうか。どんどん体調も悪化して、亡くなりました」
「そして、再婚相手の夫人と連れ子の妹さんがお家にいらしたのね?」
「ええ。それまで良くしてくれた古い使用人達は全て解雇になりました」
後ろ楯もなく、暴力を奮う父親と、虐げる継母と妹に囲まれて、親しんだ使用人達とも引き裂かれて、孤独だったステラ。
夫人が亡くなったのは2年前だと聞くから、その間酷い境遇だったに違いない。
「………そう」
静かに頷くマリアローゼの頬を、一筋の涙が伝った。
ステラはハッとして、震える声で呼びかける。
「…マリアローゼ様……」
「……ごめんなさい。わたくし、貴方を助けてあげられない……」
ぽろぽろと涙を流す年下の少女に、ステラは息が止まりそうな位胸を締め付けられた。
「……な、今でも…助けてもらっています……」
それはステラが咄嗟に口に出して、改めて理解出来たことだ。
お茶会の前にボロボロになって辿り着いた公爵邸で迎え入れてくれたから、今がある。
(ずっと忘れていた訳じゃなかったのに……)
助けてくれようと手を差し伸べたマリアローゼを、羨んで恨んでいた事に気づいて、ステラは前掛けを強く握りしめた。
目の前の優しく幼い少女は、ぽろぽろと大粒の涙を零している。




