この世界の記憶
ふわふわと雲の上にいるかのような感触。
目が覚めると、マリアローゼは柔らかいベッドの中にいた。
そのまま視線を上げると、天井ではなくベッドの天蓋が目に入る。
夜空を模した暗空色に、銀の色の星が散りばめられていて、キラキラと光を反射している。
いや?あれ本当に銀じゃ?
いやいや?え?
と目を凝らしながらもっそりと身体を起こして見上げていると、隣から声がかかった。
「おはようございます、お嬢様」
「ひやぁ」
突然の事に情けない声が口から漏れる。
至近距離からの予想外の声掛けは心臓に悪い。
小さな悲鳴が聞こえなかったのか、メイドは深く腰を曲げて礼をしていた身体を起こして
てきぱきと部屋中のカーテンを開けていく。
暗かった室内が、あっというまに光に満たされていくのをマリアローゼはぼーっと見ていた。
昨日、王城で王子に会って、そこから逃げて…
そしてぶっ通しで朝まで昏睡したに違いない。
小間使いの様子からして数日寝てた、なんて事はないだろう。
「ただいま、飲物をお持ち致します」
と再びの礼。
「あの…ナーヴァ…」
記憶を探り探り、何とか彼女の名前を思い出す。
顔を上げたナーヴァはぎょっとした顔をしていた。
ひぇ!と言いかけて、慌ててマリアローゼは言葉を呑み込む。
「お願いがあるのだけれど…」
と言えば、さらに目を丸くして、信じられないものを見るような目を向けてきた。
不遜な言葉を上せない彼女は優秀なメイドなのかもしれない。
というよりも、何を言われるか戦々恐々としているだけかもしれないが。
「2つ鐘が鳴るまで、誰もお部屋に入れないで。
何だか気分が悪いのです」
手元にあるフカフカの毛布を握りながら、遠慮しつつそう言うと、ナーヴァは少し呆けたように口をあけた。
「は…はい。治癒師様をお呼びするのはその後で宜しいですか?」
「いいえ、何処が悪いというのではないから、それはいいの。
お願い、ナーヴァ」
上目遣いでおねだりすると、彼女は呆然とした顔つきから、使命感を持ったメイドの顔になる。
心なしか頬も紅潮しているようだった。
「お任せくださいませ!」
元気よく引き受けたナーヴァは、部屋から飛ぶように出て行った。
これで、飲物を持ってくるまで誰もいない。
更に、1時間はひとりで考え事に集中できる。
マリアローゼは前世の記憶について、この世界についての記憶がないか探し始めた。
「私」の記憶を持った幼いマリアローゼの知りえた情報の中でのこの国の現状。
ここはアウァリティア王国。
王政で有り、今は王と王妃だけで側妃は居らず、三人の王子がいる。
ちなみに母のミルリーリウムは元々公爵家の令嬢であり、現王妃カメリアの妹でもある。
魔王などという者は存在していないが、魔物はそれなりにいて、自分達の領土を守るのが常となっているからか、
国同士の諍いと言うものはここ500年程は起こっていない。
なので母や王妃を含めこの国の上級貴族は、他国との政略結婚はあまり活発ではないようだった。
禁止はされていないが、推奨もされていないといったところだろう。
魔道具は主に魔獣と呼ばれる魔物から採れる魔石、魔晶石等と言われる魔力を帯びた石で作られる。
あったらいいなという家電じみた道具は、その魔石のお陰で普通に流通していた。
庶民の生活ではどの程度普及しているのかは未だ分からない。
そして魔術の発展と引き換えに、科学や物理といったものは恐らく発展していない。
医療に至っては、治癒師が癒す為にほとんど進化していないかもしれない。
頭の中を整理していると、コンコンコンコンと遠慮がちなノックが聞こえた。
「飲物をお持ちしました」
声も頑張って抑えているようなので、すぐに返事を返した。
「どうぞ、お入りになって」
頬が紅潮したままのナーヴァが、素早く室内に滑り込んでくる。
押してきたティートローリーの上には、飲物のセットと薄く焼いたクッキー、小さなサンドイッチも載せられていた。
きゅう…、と小さなお腹から切ない音が漏れる。
「もしお召し上がりになれましたら」
とサイドテーブルに食べ物が置かれる。
手元には飲物を渡されて、マリアローゼは両手で温かいそれを持った。
「気配りありがとう、ナーヴァ」
「では、扉の外に居りますので、何かございましたらお声をかけてくださいませ」
お礼の言葉に更に頬を赤らめて、彼女は嬉しそうにそそくさと部屋を後にした。
目の前の飲物からはふわりと良い香りが漂う。
ミルクがたっぷりと入っているような…一口含むと、ふわりと甘さが舌に広がった。
蜂蜜とミルクと紅茶…
「あったかい…」
甘くて温かくて、美味しい。
何故だか視界がぼやけた。
誰かが運んできてくれた飲物、食事、そんなものは記憶の中でも幼い頃にしかなかった。
涙がほろほろと頬を伝っていくのが分かる。
「あぁ私…疲れてたんだなぁ…」
それは随分前の記憶だろうけど。
もう全然別の世界の記憶だし、もしかしたらただの夢かもしれないけど。
今のこの温かさは幸せと呼ぶに相応しかった。
このまま泣いていたら、幼い身体はまた睡眠モードになってしまう!
マリアローゼは気持を切り替えて、さっと涙を拭ってクッキーを口に入れた。
記憶の中の味には及ばないけど十分美味しい。
これも甘さは蜂蜜のようだ。
砂糖はどの程度普及しているのだろうか?
サンドイッチには野菜と肉が挟まれている。
味はチキンとレタスといったところか。
辛味はなく、ソースはクリームチーズのようだ。
「ふむ、美味しい」
うんうんと頷いて、今まで食べたものを思い浮かべるが、
特に前世…と仮定した記憶の中の食べ物とそこまでの遜色はないように思う。
食べたくても存在しないものがあるなら、そのうち作ればいい。
そして食べ物の事は一旦横に置き、更にこの世界の標となるような記憶を掘り起こす。
王国の名前なんて一々覚えていないし、
キャラクターの名前なんて似たり寄ったりだし…。
うううん、とうなりつつ更に考える。
まずは私だ、マリアローゼ。
王子はひとまず向こうに置いといて。
家族構成から思い出して、手がかりを掴んでみよう。
筆頭公爵家の末娘、兄は5人。
はて…
何か引っかかるぞ。
長兄はスパダリ属性の押しの強いイケメン。
母様に似た金髪に、父様似のアイスブルーの瞳。
髪質も母譲りのゆるやかなウェーブで、快活そうなマッチョボディは父ではなくて母の系統。
名前はシルヴァイン
次兄は正統派クールビューティーで父親似の冷徹なイケメン。
父のコピーと言われる直毛の青銀色の髪を耳の上で切りそろえた、同じくアイスブルーの瞳。
名前はキース
次は双子の兄弟で、ミカエルとジブリール
天使の名前ではあるが、印象は悪魔寄りだ。
二人とも母の先祖にいる赤い髪に、真っ青な海のような瞳をしている。
悪戯っ子という感じで、常に二人で行動していた。
5番目の兄は、上の二人が喧しいせいか、凄く口数も少ない寡黙な兄。
光に透かすと赤い色なのだが、一見すると黒髪にも見える。
瞳も暗い藍色をしていた。
名前はノアーク
そして最後の最後に生まれた念願の女子が私。
ストレートの長い髪が、途中から緩やかにうねっている。
色は銀色だけど、毛先は染めたように蜂蜜色に変化していくような…不思議な色をしている。
どちらも輝く色なのでそこまで色の差を感じない程度で、
何だかヤンキーっぽく無くてよかった、というのがゆっくり確認した今の感想だ。
瞳の色は青とも紫ともいえる菫色。
母は完全な紫だから、本当に父と母の間、という容姿なのも両親の愛を加速させたのかもしれない。
名前はマリアローゼ。
あ…
「あ!」
思わず口から悲鳴が出そうになってマリアローゼは自分の手で口を塞いだ。