祈りの代償
痛い表現あり
鈍い灰青色の石は、あっけなく二つに割れ、そこから、アミナにしか見えない金色の粒子が、弾けて広がった。
両手に余る程度の石に収まっていたとは思えない量の、金の息吹だった。まもりいしは、たしかに聖女の祈りを横取りしていたようだ。
金の息吹は勢いよく謁見の間全体に広がって、そのまま、羽毛がゆっくりと落ちるように、静かに揺れながら沈み始めた。
溺れかけていた胸に空気が届いたかのように、嘘のように体が軽くなった。息を吸うたびに、甘く豊かな何かが身体中に行き渡る。
だが、疲労は拭えないようだ。膝が震えて、アミナは、ついに立っていられなくなった。
崩れ落ちたアミナを受け止めたのは、ルーディウスだ。だが、支えきれずに膝を突き、かろうじてアミナを腕に抱き込んで守った。
ふたり、言葉を発することもできず、ただ、荒い息をつく。
「な、なんだ、二人とも」
ケルヴィン王子が、いまだに腫れの残る顔で訝しげに二人をうかがった。
ルーディウスをよく知る側近や将兵たちは、頑強で知られる男が膝を突いたその様に、息を呑んだ。
「ルーディウス・カスティラは、今代の聖女の加護を受けた。加護を受けた者は、聖女の祈りの代償を共に負う。はるか古代の聖女でも、祈りで腕一本を癒すと余命一ヶ月を失ったという。その負荷たるや、慣れていなければ、ルーディウスほどの男がこのざまだ。これが、お前たちが聖女に押し付けてきた祈りの実態だ」
淡々と語りながら、オルヴェルト王子が、ゆっくりと剣を拾った。
その手が少し震えているのを、間近で俯いたままだったアミナは、ぼんやりと見た気がする。
加護、祈りの代償、金色の少年、金色のルード……。思い浮かぶ断片は、しかし、意味を為さない。
意味を成す前に、その後に起こったことが、思考の全てを塗り潰した。
「狼、よくやった。だが、もう少し働いてもらう」
オルヴェルトの声が近くでした、と思ったら、腹に腕を回されて引き上げられた。
咄嗟に縋ったルーディウスの腕が、ふいに軽くなった。
背後から伸びる剣が赤い色を散らして軌道を描き、その直後、アミナの背後から伸びた足が、ルーディウスを蹴り飛ばした。
見開かれた青い目が、アミナを見ていた。
ルーディウスの大きな手がアミナの腕を掴んで、アミナもそれに縋っているのに。
なのに、ルーディウスは、そのまま玉座の下まで吹き飛んだ。鍛えられた体が、ごろごろと転がり、階の下で止まる。
「ル、ルード。……ルード、ルードルードルードルード!!!」
血臭が鼻をつく。滴る温かな血がアミナの足を濡らしていく。アミナは、それがルーディウス自身であるかのように、まだ温かい太い腕を胸に抱きしめて、その軽さと重さとに、おかしくなりそうだった。
倒れるルーディウスの元へ行こうと足を動かすのに、つま先が床を擦るばかり。
それどころか、万力のような手が、アミナからルーディウスの腕を取り上げて、倒れたままの彼へと投げつけたから。
アミナは驚いた猫のように伸び上がり、身を捩って、自分を抱えるオルヴェルト王子をがむしゃらに叩いた。
「静まれ、いくらでも癒せばいい」
舌打ちをしながらアミナの両手を拘束して、オルヴェルト王子がそんなことを言う。頬にはいく筋も、アミナの指の赤い跡。
「あな、あなたが、切ったのに。なんで」
怒りと困惑を感じたのは、アミナだけではなかったようだ。
じりじりと包囲を狭めている側近たちをチラリと見ながらも、オルヴェルト王子は泰然としていた。
「呪いの石の最大のものが、そこにある。先ほどのは、その欠片に過ぎない」
あれも壊せ。
淡々とそう言って、指し示したのは、玉座。
その上、代々の王に向けて常に覚悟を問い続けた王の剣が、今も青い光をぼんやりと放っている。
アミナの目には、剣が金の息吹を吸い上げているのがはっきりと見えた。青い光と金の粒子が交差するところでは、青は青緑に青金にと色を変える。先ほどまもりいしから溢れ出たあの膨大な息吹の煌めきが、すでに、玉座の周りだけひどく薄い。
「建国から八百年の間、この国の王は常に、頭上に自分だけを守る祈りの力を備えていたというわけだ。敵からも、毒からも、病からもな」
「それを、壊すというのですか、兄上……」
「俺の目的は今は一つ。すべての礎石を破壊して、解放されること。呪いの石もまた、礎石のひとつだ。王位が空、守りの力を発動させる者のいない、またとない好機だ」
アミナが引っ掻いた頬の傷も血痕もそのままに、オルヴェルト王子はアミナの腰を掴み、軽々と抱え上げて玉座へと向かった。
ルーディウスの方へ。
アミナは、必死に手を伸ばす。
「オ、オルヴェルト殿下。それは、この王国の終焉と同義でしょうか。それは、それはなりませぬ。変えるのであれば、即位なさってから変えていかれませ。貴方様には、可能でありましょう。国を、国を終わらせてしまえば、荒れまする」
王宮侍従長は、歯が鳴るほど震えながらも、オルヴェルト王子の歩みを止めた。
それに押し出されるように、大貴族の当主たちが前へ出た。腰が抜けて、膝でいざる者もいる。恭しく膝をつく者もいる。床に伏せて祈りの形に手を組む者も。一方で、沈痛な顔をしながらも、しっかりと王子の目を見つめようとする者たちもいる。
王家の血がここまで純粋に続く国は、近隣諸国の中にも例がない。建国王が打ち立てた国の基礎は、この国に確かな安寧をもたらしてきたのだ。
それを守るためであれば、一時の国王の乱心も、王家の兄弟の残酷な運命も、やり過ごして見て見ぬふりをする。その選択をした者たちだ。
それを守るために今、命を賭けてでも王子の乱心を止めなければ、という覚悟が見えた。
事情を知らぬ当主以外の若者や、小さな世襲貴族や宮廷貴族たちもまた、厳しい顔で、固唾を飲んで成り行きを見守っている。
だがオルヴェルト王子は、その全てを、一言で叩き落とした。
「知ったことか」
王宮侍従長は色を失った唇を噛み締めた。
「我らは、一体どこで間違えたのか。いまだに、私には貴方様こそ、王位に相応しいお方と見えますのに」
嘆く言葉に、殊更冷たい視線が返った。
「それも、兄弟のうち俺が生き残ったらの話であろう。勝手なことを言う。――いや、人間らしいと言うべきか。都合よく捏造された建国の逸話とやらを信じ、犠牲に目を瞑り、大地から奪った力を我が物顔にしゃぶり続けるのが、人間であったな。見ぬふり、気付かぬふりを続けてきた、その結果が今、お前達に返って来る。それだけだ」
そんな会話がもどかしく、アミナは身を捩るが、抜け出せない。腹に回ったオルヴェルト王子の手を掻きむしりながら、アミナはただ一心に、ルーディウスを見つめていた。
止まったままだった思考が動き出し、悪い想像が、駆け足でやってきた。
力なく倒れたままのルーディウス。
アミナが目覚めた時から、様子がおかしかった。
聖女の加護を受けたのだと、祈りの代償を共に負うのだ、と聞いた。もしかするとアミナのことを癒したのも、ルーディウスだろうか。
きっとそのせいで、ルーディウスは本調子ではなかった。
アミナを守り、支えて、祈りの負荷に一緒に苦しんで、だからオルヴェルト王子の凶行に、為すすべもなかったのだろう。
「助けようと、したのに」
無事でいて欲しくて、必死で祈ったつもりだ。けれど気がつけばいつも、ルーディウスはアミナを守ってくれていて、アミナは、ルーディウスの負担になってばかりだ。
だから、だろうか。
だから、祈って欲しくないと言われたのだろうか。アミナが祈ると、巡り巡ってルーディウスに迷惑をかけるから。
アミナが側にいることは、本当に、ルーディウスにとっては不幸なのかもしれない。
「ごめんなさい」
迷惑をかけて。縋ってしまって。守ってもらってしまって。傷つけてしまって。
「ごめんなさい」
こんなに、好きになってしまって。
きっと、婚約したころだったら、引き返せた。
けれどもう、どうしても、引き返せないことを思い知った。別れを告げられてからずっと、思い知ってきた。
だって、今もまだ懲りずに、あなたを癒すために祈りたい。
たとえ迷惑だと嫌がられたとしても。
これで、最後にするから。
明日正午、金曜、土曜は朝と昼に投稿をして、完結します。
もうちょっと!
よろしくお願いします。




