子供の言い分
やっと…
*痛い描写があります*
予想と違う兄王子の行動に、怯んだことは認める。
だが、まだいくらでも修正が効く。
ケルヴィンの腰の隠しには、聖女の祈りを濃縮したという「守り石」がある。
近衛隊長の隠し子だという若者が、酔った父から聞き出したと、秘密を打ち明けてきた時から使えると思っていた。
その男を側近に取り立てて、近衛隊長が所持していた二つのうち一つを、秘密裏に回収していたのだ。
他の側近たちは、近衛の守り石はそのひとつきりと思っている。そして先の戦場で、その守り石はルーディウスに破壊された。
だから誰も、これに気づいてはいないだろう。
近衛隊が時に守り石を使い、攻撃を弾き、無効化していたのを何度も見てきた。
これのせいで、近衛隊だけを手厚く祈り守っていると、聖女アミナが謂れなく恨まれているわけだが。毎回聖女の祈りを掠め取って充填すると聞くので同じことだと、ケルヴィンは興味がない。
ただ、敵が持てば忌々しいモノも、己が持てばこの上ない切り札となる。使いどころを間違えなければ、聖女も謗りを受けずに済むようになるのだから、問題はない。
幾度かすでに試してある。守り石を握りしめていれば、確かに護られる。剣は反れ、投石は弾かれた。
いかにオルヴェルト王子が本気の攻撃を仕掛けてきたとしても、これさえあれば、傷を負うこともないはずだ。
「いつでもどうぞ、オルヴェルト。でも、天才と言われる貴方相手に、完全に対等だと勝負にならない。僕が、貴方の攻撃を三回凌いだら、僕の勝ち。……いや、さすがに三回だと僕有利かな。では、五回だ。――どう?」
返事はなく、オルヴェルト王子が無造作に屈んで、足元に転がっていた剣を拾い上げた。
来るぞ、大丈夫、大丈夫だ。
ケルヴィンは、小さく唇を舐めた。
衝撃は、一瞬。だが、世界が崩壊した。
「……かはっ」
気がつけば、床にしゃがみ込んでいた。
頭が揺れる。内臓が一瞬ひしゃげたのだろうか、凄まじい勢いで吐瀉した。
「意識があるから、凌いだと言っていいか。一回。……次」
剣が振り上げられたと思ったら、仰向けに倒れていた。おそらく。固い床を背中に感じるから。
ぐるぐる回る視界をそのままに、おぼつかない右手で体を確かめる。オルヴェルト王子が握るのは抜き身の剣だ。切られた、と咄嗟に思った。だが、草臥れた軍服には何事もない。
ただ、体のどこもかしこもが、ぎしぎしと悲鳴をあげている。全身の骨が折れたような痛みだった。
ぬるい液体が口の端から垂れたのがわかる。いや、顔中が吐瀉物で汚れている。鼻も口も、何かが詰まっている。
意識を向けてはいけないと思ったが、遅かった。
口の中はおそらくズタズタだ。歯がぐらついて、さらに意識が飛びそうな激痛が襲ってきた。
「二回。攻撃を弾いても、衝撃を喰らうのなら、簡単だ」
「まっ、ま……」
「お待ちください!」
「オルヴェルト殿下!」
救いの声がして、ボロ切れのようなケルヴィンの前に、男たちが割って入った。
側近たちだ。
そうだ。兄弟の平等を掲げて遠慮していたのを、強く希望して自分の担当時間を長くした者たち。それに、自分だけの側近が欲しくて集めた、血気盛ん意欲旺盛な若者ら。
彼らなら、ケルヴィンを救ってくれるはずだ。
だが。
「どけ。ケルヴィンには、己のことを知らしめる必要がある」
王子たちの側近として長く一緒に過ごしてきた男たちは、オルヴェルト王子のたった一言で、苦悩を浮かべながらも、あっさりと脇へと退いた。
残った数人は、明らかに腰が引けていた。ケルヴィンが取り立て、古参の側近たちに対等な同僚として振る舞うことを見逃し、自由を許し、存分に可愛がってやったはずの若者たちは、オルヴェルト王子が一歩踏み出せば、悲鳴をあげて逃げ去った。守り石を持ち来た者など、姿もなかった。
ケルヴィンもまた、激しい恐怖に守り石を必死に握りしめた。
「な、なんだ、お前たち! もっと身を呈するものだろう!?」
「ケルヴィン。そういうお前は、そ奴らに報いたことはあるのか?」
「取り立ててやった!」
「子供の言い分だな。三回」
背中が床から浮いた。その後、強かに床に全身を打ち付けたのに、オルヴェルト王子の剣の衝撃の方が、何倍も激しかった。
全身がケルヴィンの意思と関係なく痙攣する。目も口も、閉じることができないのに、何も見えないし、言葉にならない。
ただ獣のように呻き叫ぶケルヴィンに、オルヴェルト王子が、幼い頃に遊びに誘ってきた時のように、ほんの僅かに口角を上げて声をかけてきた。
「お前に長時間拘束された側近は、王宮侍従長に叱責される。お前が連れてくる使えない人間たちが、お前の政務を荒らすせいで、側近たちが激務に晒される。お前は常に、何も見ていなかった。
国王と近衛隊を相手どれば、成功した場合でも反逆罪で処罰される覚悟の側近たちに対し、お前は陣頭に立つものとして責任を負う覚悟はあったのか? お前が思いついた派手な近衛隊殲滅案の下準備が、危険な綱渡りを側近たちに強いた。万が一にも隣国による侵略に繋がらないように、交渉に交渉を重ねた者とその労の大きさを、お前は把握しているか? 成功しか見ずに、浮かれたお前の知らぬところで、俺に国王拘束の協力を首を掛けて請い願った者がいた。一度でも、想像したか?」
なんだそれは。なんだそれは。なんだそれは!
裏切りとしか、思えなかった。
自分の知らぬところで、計画を嘲り、上から見て手を貸して、おまけに兄にまで通じていた者など、裏切り者でなくて何だというのだ。
怒りに燃えた目で、全て伝わったのだろう。
オルヴェルト王子が、短いため息をついた。
「お前に王の資質はない。俺の後ばかり追いかけて、何も見えない。誰も、お前にはついて来ぬ」
「お、お前の後など、追いかけてなどいない! お前など、お前など、母上に、母上に捨てられたくせに! 殺されかけた、くせに!」
口の中は腫れ上がり、何を言っているか、誰にもわからなかったかもしれないが、そんなことはどうでもよかった。
ケルヴィンは、渦巻き逆巻く怒りに駆られて、隠しから守り石を取り出し、両手でぎりぎりと絞るように握りしめた。
それを見下ろしていたオルヴェルト王子の声に、不意に、色が乗った。
「そこに持っていたのか、ケルヴィン」
ケルヴィンは、初めて見るオルヴェルト王子の深い笑みに、ぞっと震えた。
わずかに乱れた金の髪に、明かり取りの窓からの光が背後から差し、自ずから輝くように煌めく。青い目が細められ、蜜蝋の灯火に照らされた、奇跡のように整った顔貌にとろりと蜜を垂らしたような甘さが滲む。
美しい。魂まで抜き取られそうな美しさだ。
だが、恐ろしい。
一体これは、兄なのか、それとも、人には不可侵な別のモノなのか。
「わ、ああああ!」
小童のように、守り石を握りしめたまま叫んでしまうほどに。
オルヴェルト王子が剣を置き、ケルヴィンへと手を差し出した。渡せ、と優しく促すように。
ケルヴィンとて、渡してしまいたかった。
だが、手は力みすぎて言うことを聞かず、指を開くことができない。
オルヴェルト王子が、軽々と腕を振り、ケルヴィンの頬を平手で打った。
視野のあちこちに星を見て、頭から床に落ちたケルヴィンの手から、守り石がこぼれ落ちた。
ああ、こうなると知っていた。だから渡してしまいたかったのに。
チカチカと視野のあちこちで星が瞬き、記憶の中の母王妃が、小さな自分を抱き締めていることに気がついた。
母と自分の隣には、小さくて綺麗な人がいる。
母と同じほどに自分に近しいとわかるその小さな人は、自分を抱く母をじっと見ている。母は、自分だけを見つめて、抱いている。
小さな胸に、微かによぎったのは、罪悪感か、優越感か。
幼い赤子には不似合いな感情で、小さな自分にはとてもおさまり切らず、お腹がはち切れそうで、不快で泣いた。
泣いて熱を持った柔らかな頭に触れた手は、母のやわい手。
それと、もうひとつ。
小さな手が、ぴとりと頬を撫でた。小さい人が青い目でまじまじと覗き込んでくる。
「ケルヴィンよ、オルヴェルト」
「……ケヴィ」
「ふふ、ケヴィ、も可愛いわねえ。オルヴェルトはルヴィだから。私の大切なヴィは二人になったわね」
「……ケヴィ」
小さな人は、何度も自分を呼んだ。
宝物を見るようにして。
なぜだろう。
自分と小さい人は、同じくらい輝かしく、同じくらい大事だと、母から感じていたのに。
小さい人が、兄上という人だと知ってからも。
「ごめんなさいね、許して」
あの時そう言った母上は、確かに、兄上に向かって、小剣を振り下ろしたんだ。
兄上は、真っ赤に染まってた。
可哀想な兄上。
母上に捨てられて。傷つけられて。
なんでだろう。自分と同じくらい大事なはずの兄上を。
まだまだ幼い体いっぱいに、不快な思いがギシギシと湧き起こった。
唐突に、涙が溢れた。
なぜ、こんなに兄に執着していたのか、腑に落ちた。そして、可笑しくなった。
弟のくせに。兄の才には到底及ばない、凡人の身の上で。
ケルヴィンは、母に捨てられた兄を見て、優越感と罪悪感を抱いたのだ。
初めは、ただ兄を労わりたかったのだと言えば、美化しすぎかもしれないが。
母の書き付けを見て、全ては悪狼のせいなのだと知った時、確かに思ったのだ。ではあれは、兄上のせいではない、と。安堵さえ覚えた。
すぐに疑いと焦りに飲まれて消えた、幻のような想いだったが。
思い出した。
この、取り返しようのない場面で。
「すぐに泣くな、お前は」
倒れたケルヴィンを、片眉を上げて見下ろしてくる兄の姿が、さっと隠された。
兄と遜色のない体躯。だが今は、兄の姿を全て遮ってくれるほどに、大きな背中だ。
「「ルーディウス」」
二人の王子が、狼騎士を呼んだ。
気がつけば、ルーディウスは二人の王の子の間に立っていた。ケルヴィンを庇って。
いや、違う。
ルーディウスは、二人の王子を牽制しているのだ。
ケルヴィンの目の前に立った、聖女アミナを守るために。
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