兄上、いえ、オルヴェルト
引き続きケルヴィン視点
心理長いです…
ケルヴィンに腕を掴まれたまま、王宮侍従長が口を開いた。
「……国王陛下の心が、国主として正しき責務を果たすことができないと、誓言いたしまする」
オルヴェルト王子の青い目から視線を外さないまま、王宮侍従長の口からするすると言葉が出た。言葉を吐き出しながら、みるみる青冷めていく。だがその目は、常の思慮深さを塗りつぶすような、煮えたぎる熱を持っていた。
「押し隠していた心を、まさかここで、引き摺り出されるとは。……陛下とその威光を笠にきた近衛の馬鹿どもの王宮の荒らしぶりは許しがたく……守りきれなかった者たちも、失われた歴史ある品々も多く、王宮を管掌する卑小この身にとって、耐え難く煮えくりかえる日々をもたらしたのは、まさに我が不明と臆病であったと……ぐ、うう」
深い怨嗟の声に、ケルヴィンは純粋に驚いた。
日頃の淡々とした仕事ぶりからは、まるで想像もつかない悲嘆の重たさに、思わず、一歩引いた。
ケルヴィンの知る、王宮侍従長ではない。幼い頃から慣れ親しんだ近臣が、見知らぬ人間に見えた。
王宮侍従長が署名を入れるべき誓約書は、すでに用意されていた。ハルキリー宰相が差し出した書面に、王宮侍従長は、震える腕をもう片手で押さえつけながら署名をした。
「ここに、国王が心の病であると認める書面が揃いました。すみやかに、王位の譲渡を実行するべしと存じます」
インクが乾くのを待ち、誓約書を重ねて掲げて宰相が宣言した時。
五日前の出陣から、いや、出陣に至るまでのすべてが、オルヴェルト王子の手の上であった、とケルヴィンはようやく悟ったのだった。
「ま、待ってください、兄上」
このままでは、もう、後がない。その思いに押しやられて声を上げたが、そこで詰まる。
全てが予想外。だがどこから。どこからだ。考えろ。考えろ、考えろ。
錆び付いた歯車のようだった思考を、力づくで回す。
オルヴェルト王子の狙いは何だ。国王を心の病だと判じて、それでどうなる? 王位を継ごうというのだろうか。自分が選ばれるのだと、確信があるのかも知れない。どうやったんだ、どんな手を使った。
いや、まだわからない。次代を明確にするのが今この場においてであれば、ここで、巻き返せるはずだ。
巻き返せなければ、選ばれるべきケルヴィンが選ばれなければ。
死は、ケルヴィンの上にやって来るのかもしれない。
「兄上、いえ、オルヴェルトと呼ぼう。私たちは、そもそも対等なのだから。
それで、どうやって後継者を定める? 確かに我らは、歴史に反してどちらも壮健だ。これまでうまくいっていた王家の仕組みが、なぜ我らの代だけ働かないのか、解明の努力もせず勝手に放棄してよいものか。……うまくいっていれば」
「うまくいっていれば、自分が生き残ったのに、か? ケルヴィン」
あまりに変わりのない兄の声に、ケルヴィンは思わず、拗ねた声を出した。
「そうだ。その自信はあった。なにしろ、母上が」
その瞬間、謁見の間の皆が、鋭い針で撃ち抜かれた様にびくりと体を揺らした。
オルヴェルト王子は変化はない。いつも、同じ温度の人だ。
だが、貴族たち、特に有力な世襲貴族の当主たちは、色を失くしているようだ。
事情を知らないケルヴィンにも、その差し迫った雰囲気が只事でないことはすぐにわかったが、言いさした言葉をそのままにすることを、兄の視線が許さない。
「……母上が選んだのは、僕だった。僕が生き残るってそう言ってた」
「そんなはずは……」
王宮侍従長が呆然と呟く。
有り得ない、と叫んだのは、あまり交流がないが、顔だけは知っている叔父にあたる侯爵だ。
「どういう意味だ。選ばれるべきはオルヴェルトだったと、お前たちはそう言うのか」
兄が自分より誉められると、腹が立つ。兄が自分より多くを得ると、不快で仕方がない。
急に頭が鈍く痛む。視野が狭まるようで、不快で苛立たしく。
ケルヴィンは殺気立って彼らを睨んだ。
「そうではございません。王妃陛下は……王妃陛下は聡明な方で、ご兄弟の平等な扱いには大層気を遣われておりましたので」
「だが、誰にもその本心はわかるまい!」
「ケルヴィン。母上が亡くなられたのはお前が五つにならないころだ。幼いお前に、母上は何も心を明かすまい」
兄にまで疑われて、かっとした。
もしかして兄は、年長であるが故に、母からより多くを語り聞かされていたと、そう言っているのかと思えば、煮え立つ様な苛立ちに目の前が赤くなった。
「母上は、僕を抱きしめながらよくおっしゃっていたよ。王家の呪いだ、狼の魂などいらないのに、と。愛しいヴィには生きてほしい、と。兄弟のどちらかが建国王の、どちらかが狼の魂を宿す。それゆえに兄弟は一人しか生き残れないのだ、と」
実際には、ケルヴィンは読んだのだ。亡き王妃の間にあった、母の残した書付を。兄が騎士として見事認められたことを報告しようと、不意に思い立って無人の部屋を訪れて、偶然見つけたものだった。
引き出しの奥に引っかかって残されていたたった一枚の紙を。
「呪いか、確かにな」
オルヴェルト王子は淡々と言った。
「であれば狼の魂など、捨てればよいのだ。ケルヴィン、狼の魂、不要だと思うか」
「もちろん、不……」
そこで、ケルヴィンを押しとどめたのは何だったのか。
いついかなる時も、兄の顔を見て、兄の背を追って、兄の視線の先を探ってきたケルヴィンだからこそ、さらりと何気なく問われた言葉に、わずかな兄の執着を感じた。
弟特有の勘で、ケルヴィンは慎重に言葉を飲み込み、言い直した。
「なぜ兄弟の一人が狼の魂を背負うのか、わからないうちに、おいそれと不要だなどと、言ってはいけないよね」
オルヴェルト王子の目が、わずかに眇められた。
ぞくぞくと背筋を走る冷たいものが、ケルヴィンに耐え難い快感を呼び起こす。やはり、狼の魂に、兄は何かこだわっているらしい。狼の魂を宿しているのは兄のはずなのに、なぜだろう。
ああ、だが何より、その嫌そうな顔を、もっと見たい。
そう、僕が国王になって、兄の全てを奪ったならば――。
「オルヴェルト、貴方は天才とまで称される剣士であり騎士であり、その強さは素晴らしい。だが、僕だって、身を守る術くらいは持っている。どちらが優れているか、試したらいいのではないか? 優れている方が、王位を譲り受けるというのでいいじゃないか。オルヴェルトに有利なほどの条件だし、兄弟の対決として、わかりやすいだろう?」
王位を、そして全てを、譲り受けるのだ。
想定していない展開ではあったが、まだ、取り返せる。
ケルヴィンは、腰の隠しに手を入れて、冷たい感触を握りしめた。
ケルヴィンが物心ついた頃にはもう母は亡く、オルヴェルト王子はすでに手の届かない存在だった。幼い頃の一年の差、と説明しきれない差があった。
走れば大人は追いつけず、遠くの鳥の羽の色を見分けて投石で仕留め、長大な英雄詩を暗じる。
小さなケルヴィンにとって、兄こそが英雄だった。
だから、同じ王位継承権を持つ弟として、兄に敵わずとも、兄の隣に立つ力を手に入れようと、あらゆることを頑張ったつもりだ。
なんでも真似をして、なんでも競った。
ルーディウスが側近となって、兄と張り合う存在がいたことに驚きと焦りを感じたこともあったが、それでも、弟王子であり汚い手も厭わない自分こそ、兄の一番の支えになれると信じていた。
すべて、兄を尊敬するがゆえ。
けれど同時に、身の内を焼く嫉妬に苛まれた。
なにより、決して兄には敵わないことがわかっているのに、あくまで平等に扱われるのは、兄を自分の立つ所まで引き摺り下ろすようで、歯痒かった。
なぜこんな平等なふりをするのだ、と、当時は父としてそれなりに慕っていた国王に吐き出したことがある。その時、国王は酒を召しながら、面倒そうに言ったのだ。
そう気負うことはない、わしとてオルヴェルトのようには輝かしくはなく、剣も扱えぬ。だが、わしは別の武力を知っておる。ひとりひとり、違うものだ、と。
まるで市井の父親のように息子を励ましたように見えて、あれは自分に言い聞かせる言葉だったに違いない。
心が晴れなかったケルヴィンは、亡き王妃の部屋で書付を見つけて、震撼した。それまでの価値観を、根底から、ひっくり返された。
王家に兄弟があるとき、建国の逸話をなぞることになる、と書いてあった。兄弟の一人は王で、一人は悪狼。兄弟で平等なのは、どちらが王でどちらが狼かわからないから。
悪狼であったなら、王家の安寧のために死ぬことになるに違いない。
兄はすごい人だ。兄が王になることに、ケルヴィンは何の疑いもなかった。
だが兄が王となるとき、ケルヴィンは兄の補佐をするどころか、悪狼としてただ死ぬ道しか残されない。
それは、嫌だった。
そんなことのために、生まれてきたわけではない。
もしかすると、兄はすでにこのことを知っていているのではないか。疑い出せば、あらゆることが気になった。長らく足を向ける気にならなかった王妃の間で書付を見つけたのは、何か運命に導かれたとしか思えなかった。
まだ、間に合う。
兄の重用する側近は、理由をつけて自分の側により長く仕えさせた。兄が興味を持ったものには自分も近づいた。
生き残るため。当たり前のことだ。おかしなことではない。
聖女だけは、気がつくのが遅れた。
いや、兄の聖女に対する異常な仕打ちは聞いていた。だがその手酷さは、ケルヴィンでも少し眉を顰める様なもので、だからこそ、気に留めなかった。
おそらく、ケルヴィンの目を聖女に向けないための、兄の策だったのだ。
気づいた時には、すでに聖女はルーディウスと婚約を結んでいた。なぜ兄が婚約を認めているのかわからないが、それさえも、目くらましなのだろうか。
だが、もう騙されない。聖女は、兄の特別だ。であれば、ケルヴィンが奪ってもいいはずだ。
ケルヴィンが、聖女を手に入れるためには。
ルーディウスと聖女を、別れさせる。ルーディウスは優秀だ。これからも側にいてもらいたい。二人が自ら別れるようにうまく仕向け、その後、ケルヴィンが聖女を囲えばいい。婚姻する必要はない。聖女という名目で囲えば、ルーディウスも文句は言えない。
その過程で、兄が聖女を惜しめば。想像するだけで、最高だった。
折よく、ルーディウスら側近から、隣国の兵を陽動にして近衛隊を叩く案を持ちかけられた。
いいじゃないか。王位も、聖女も、全てケルヴィンの元に収まる道筋が見える。
すべて、うまくいくはずだ。
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