お前たちは、待っていた
ケルヴィン視点
「これは兄上、お時間をいただいてありがとうございます」
謁見の間に兄王子を確認して、先頭で足を踏み入れたケルヴィンは、丁重に挨拶をした。
「遅いな、決断が」
一言、苛烈に叩きつけられ、閉口する。
それでも、オルヴェルト王子が顎でケルヴィンを促し対話の意志を示したために、背後の者たちがほっと息をついたのがわかった。
「恐れながら、明かりを入れてもよろしいでしょうか」
「勝手にすれば良いが、待たぬ。――ケルヴィン、用件を申せ」
王宮侍従長自ら、オルヴェルト王子の許可を求め、きびきびと下の者に指示をして、謁見の間を明るくしていく。
一方で、オルヴェルト王子が視線すら向けることのない倒れた男たちのことには、誰もが言及を躊躇っている。謁見の間に至るまでの各所でも多くの兵たちが昏倒していたが、その誰よりも、重症なことは見るからに明らかなのだが。
兄がいるところでは、誰もが兄を意識する。兄自身が何をしなくとも、常に兄が、支配者なのだ。
いつまで経っても、この兄には及ばないのだと、叩き込まれるような感覚だ。
その感覚は、幼い頃からケルヴィンと共にあり、周囲が兄弟の平等な扱いを心がければ心がけるほど、強くなったものだ。
ケルヴィンはこの感覚が、心地よい。 なぜなら。ケルヴィンは確かに兄に及ばない。けれど、最後には兄ではなくケルヴィンが選ばれる。
そう、決まっているからだ。
「怒っていますか? 兄上を出し抜くつもりはなかったのです。ただ、父王と近衛のやり方は、もう許すことができなかった。兄上も、父王を確保いただいたとか。ご助力いただき、お礼申し上げます」
王都の内と外で、軍を率いて睨み合う兄弟とは思えない、軽い発言であることは、ケルヴィンが意図してのことだ。少し注意力のある者であれば、ケルヴィンが謝罪はしておらず、礼を述べる態で自分の功績を際立たせていることに、簡単に気がつくだろう。
この謁見の間に集まってきている、貴族たちも。
温厚で社交的、兄とは対照的ながら決して一歩出ようとはしなかったケルヴィンが、オルヴェルト王子の上位に立とうとしている、と認識しただろう。
だがそんな発言にも、いつものように、オルヴェルト王子は冷めた一瞥を寄越すだけで、諌めることはなかった。ケルヴィンの、予想のままに。
兄王子にしてみれば、貴族たちの心理など興味の外、ケルヴィンの態度も興味の外であるだけだ。だが、その態度をみた貴族たちは、ケルヴィンの立場は強いと感じるだろう。
「聖女に守られていた近衛軍には打ち勝ちました。これで、この国も良い方向に向かうでしょう。兄上、そろそろ、王都を開放してはいかがです? 王都の民も窮屈でしょう」
急に、オルヴェルトらしからぬ行動をとるから、当惑したが、何も変わらない。
歴史上群を抜いて優秀な王子? 天才的な剣の使い手? 建国王の再来?
それが、何だ。
王家の兄弟は、いつの時代も生き残るのは一人。そしてその一人を決めるのは、優秀さではない。ケルヴィンは、それを知っている。兄の、知らぬはずのことを。
「宰相」
ケルヴィンが目の前にいるのに、オルヴェルト王子はつまらぬ気に鼻をならし、謁見の間に徐々に踏み込んできていた人の群れに呼ばわった。
「ひ、ひ、は、はい」
「ハルキリー宰相」
腰を抜かしそうになりながら進み出た筆頭宰相を一瞥もせず、一番下位の宰相位にある男の名を呼ぶ。
「……御前に」
すっと滑るように出てきたのは、地味な男だ。いつも宰相の執務室に篭って、国の面白くもない繰り返しの多い仕事をする男のはずだ。実力はあるが、つまらない男。オルヴェルト王子だって、特にこの男を目にかけたりはしていなかった。もしそうしていたなら、ケルヴィンだって、顔くらいは覚えていただろう。
突然予想外の行動を見せるオルヴェルト王子に、ケルヴィンは苛立ちを隠せなくなり、小さく舌打ちをした。
「父王は錯乱された。王位にありながら、その任を果たせない病状となった王について、どうなるか。答えよ」
「我が国の国王は、聖女の祈りによって生涯壮健が必定。そのため、そのような法は、存在しません。――ただ、過去に心を病む国王がおられましたので、慣習として、王宮医師、王宮侍従長、宰相一名、そしてラ・ラーナ公爵の誓約、により国王が心の病と認められたならば、すみやかに王位を次代に譲渡するべしとされております」
澱みなく、朗々とした語り口は、果たしてあの雑用ばかりしていると陰口を叩かれていた、冴えない男によるものなのか。ケルヴィンは疑わしくハルキリー宰相を眺めた。
「……ここに、昨日届けられた、王宮医師とラ・ラーナ公爵の誓約書の写しがございます。宰相の代表として、私の誓約書もここに」
「なっ」
思いがけず、事態が進んでいる。ケルヴィンは思わず声を上げた。
だが、残るは王宮侍従長だ。あの者が、いますぐの譲位に同意するはずはない。
明かり取りの窓の覆いが全て外され、また、主要な蝋燭に火が灯された謁見の間は、玉座周りとその真正面の階下だけが効果的に照らし出された。逆に壁に近い辺りは暗がりに沈み、そこに息を潜める様に立ち並ぶ兵士や貴族の面々は、まるで舞台を見上げる観客のようだった。
作業を見届けて、王宮侍従長がその観客の側に立ったのは、ちょうどその時。
その強張った顔に、ケルヴィンはやはりな、と安堵の息をついた。
父王が位を失うのは構わないが、その後の展開が読めない。事前に察知もできず、根回しもできていないのだ。一度仕切り直したい。
「恐れながら、王宮侍従長の責務として、その誓約は致しかねます」
「なぜか、端的に申せ」
「……っ。王家のご兄弟は、等しく王位継承権を持つのでございます。次代の王が決まらない限りは、譲位は軽々しくできるものでは……ないはずでございます」
「王宮侍従長」
オルヴェルト王子の声は、淡々として、冷たくも、慈悲深くも聞こえる。
「ここに必要な誓約は、国王の心の病を認めるかどうかである。次代の王の事柄をそこに乗せて判断を左右するのは、誤りである」
「それでも! ――それでも、そこに王宮侍従長として同意を求められるということはすなわち、王宮侍従長としての判断が必要ということと受け取りますれば! なにとぞ、なにとぞ……。王家にご兄弟がある時は、ご兄弟が成人なさるまでは、そのどちらが王となるべき方か、誰にも、誰にも見分けることができないのでございます!!」
そうです、その通り。幾人かの声が、暗がりからぽつりぽつりと被せられた。世襲の大貴族たちには、強烈に刻み込まれている制約なのだろう。
国王と近衛隊の横暴に、表立って抗うことのできない理由として、その慣習が彼らを縛った。彼らは、暴虐と理不尽に耐え、ひたすら、待っていたのだ。
「お前たちは、待っていた。言い伝えられたとおりに、我ら王家の兄弟のどちらかが、死すのを」
ケルヴィンは、ふと、その言葉に体が揺れた。誰かに不意をついて鋭く突かれたような、叩き起こされるような。
兄弟で選ばれるのは自分だと知っていたケルヴィンだったが、貴族たちはそうは思っていなかったのだと、今気がついたのだ。
死ぬのは、ケルヴィンである可能性もある。そう思いながら、皆が王子として扱ってきていたと思うと、体の内側がざらりと不快な感触で撫で上げられた心地だった。
「我ら兄弟の成人? 成人年齢を定める法はなかったな。いつまで待つつもりだったのか。自分たちの責任で判断を下すこともなく、ただ漫然と不確かな未来を待つ。お前たちのその姿勢が、この国を、ここまで沈ませた」
謁見の間に、絶望のような沈黙が降りた。
それぞれが深く思い当たる節があるはずだ。
「……前の兄弟は、曽祖父の代だ。その前はさらに三世代前。いつも、数世代開けて生まれて来る。彼らは十五年ほど生きて、そしてうちの一人は必ず死んだ。多くは原因不明の病で死ぬ。いつかは知らんが、殺し合った兄弟もいたらしいな。だがどうでもいいことなのだろう。もう一人が生き残っていれば、それが王だ。
そう、お前たちは受け入れてきた……」
王宮侍従長が、溺れる者のように苦しげに喉を押さえた。
「オルヴェルト王子殿下、そのようなお話は、どこで……」
「お前の配下から聞いたわけではない、といえば、安堵するか? 客観的な史実を隠すわけではないのならば、推測は容易い。すべては、未来を見通す力もない無力な人の行い、定めしこと。ゆえに、綻びがあり、過ちがあるのが当然」
オルヴェルト王子の声は、腹の底によく響き、脳髄を揺らす。
人々は波間の小舟のように、その響きとゆらめきに酔う。
「今代、我ら兄弟は、共に成人を過ぎて生き延びた。兄弟を縛る力が弱まった。それは、先祖がすべてを見通すことができなかったゆえのこと。恐れることは、何もない。――なのに、お前たちはまだそんな無明の先祖の言い伝えを偏重し、この時代に生きる人間として必要な決断をせず、無為に国が衰退するのを見過ごすのか?」
王宮侍従長の喉が、大きく動くのを見て、ケルヴィンははっとその腕を掴んだ。
だが、遅かった。
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増えるととっても頑張れる、魔法の燃料です……
完結まで書き上がりましたので、見直ししつつ、なるべくさくさくと更新していきます。




