態度の理由
ケルヴィン王子たちが用意を整え、王都の門前にて開門を呼びかける頃。
すでにルーディウスは、王都の城壁に指を引っ掛けて登っていた。王都は年間を通して温暖だが、夏の終わりの一時期だけ、強い風雨にさらされる。その雨の向きから、わずかながら東側は風化が進み、ほんの少し、城壁の石と石の隙間に窪みができているのを、知っていた。
通常であれば、石を掴む指はすぐに割れ、血で滑って、登るどころではなかっただろう。だからこそ、見過ごされてきた城壁の傷みだ。
ルーディウスも、登り切れるかは五分五分の賭けだった。途中の張り出しを足場に、鉤爪付きの縄を使うつもりで、登る道筋のあたりをつけた。鉤爪を使うと、見つかりやすい。不利な体勢でいる時に攻撃される危険性が高いが、やむをえない。
だが、いくら爪が割れても肉が裂けても、みるみるうちに塞がった。
聖女の祈りだ。
気がついて、ルーディウスは震える手を抑えるために数呼吸を要した。喜びと、怖れとに、心が乱れる。
アミナの祈りを感じると言うことは、アミナは今は、生きているということだ。
だが、あの地下牢に入れられて、無事でいるとは思えない。弱った身で祈っては、今度こそ、どうなるかわからない。
「やめろ、アミナ」
だが、ここでいくら嘆き叫んでも、アミナには届かない。であれば、可能な限り速やかに、彼女の元へ辿り着くのみだ。
城壁の縁に手がかかったところで、巡回の兵に見つかった。いや、巡回ではない。近衛兵が手持ち無沙汰でたむろしていたところ、たまたま、上がってきた男に気がついた、という様子だった。
不安定な姿勢の相手に気が大きくなったのか、半笑いのまま、見せつけるように腰の剣を抜――四、五人をまとめて殴って蹴り飛ばす。あっけなく昏倒し、彼らはそれで、起き上がってこなくなった。
聖女の祈りは、今、どうやらルーディウス一人に向けられているらしい。
「やめろ」
アミナの命そのものを注がれている気がして、ルーディウスは歯噛みする。
跳ね除けて、弾き返せば、アミナに祈りは戻るのだろうか。
だが、アミナの気配のするものを、ルーディウスが心底拒否できるはずはない。
鎧ごと殴り飛ばして裂けた拳が、癒えていく。そこに、ルーディウスの顎から透明な雫が一粒落ちた。
なぜ、離れることを選んでしまったのか。
なぜ、突き放しただけで、疎んじてもらえると思ったのか。
なぜ、アミナの思いを侮ってしまったのか。
憎んでくれていい、など。心にもない言葉を叩きつけた自分は、知っていたはずだ。驕りでも、勘違いでもなく、アミナがルーディウスを憎んだりはしない、と。知っていたからこそ言えた、心無い言葉だったのではないか。
アミナを守りたかったなどと、言い訳にもならない。アミナ一人を傷つけて、追い詰めるだけの、醜悪で愚かな言葉だった。
う、うう、と腹の底から唸りが出た。
自分の腸を食いちぎりたいほどの、怒りを吐き出す。
ルーディウスは、間違えた。自分の手からアミナを失ってしまうことになっても、自業自得だ。
だが、アミナを死なすことは、それだけは、なんとしても。
「アミナ、死なせない」
東の城壁は、一番高い。王宮は目と鼻の先、見下ろせば巡回する兵の姿も視認できた。手薄なのはどこか、眺め渡して確認する。昔、王子たちと側近たちで、見つからずに王宮を出入りする方法を何通りも試したものだ。地図も頭に入っている。
地下牢の位置も知っている。
だが、五日もそこにいられる場所ではない。それに城内にはアミナの兄テセウもいるのだ。地下牢からは、出ているだろう。
確実に彼女の行方を知るのは、オルヴェルト王子。いるとしたら、王子の宮か、祈りの間か。
思案したのは、わずかな間だった。
ルーディウスは、倒れた近衛兵たちから二本の剣を奪って両手に持ち、足音を立てずに走り出した。
王子宮の外壁をつたって、オルヴェルト王子の執務室を覗き、王子が不在なことを知った。それなら、とオルヴェルト王子の私的な棟に来たが、うろうろと所在なく歩き回る年嵩の侍女以外は、静かな警備だ。
ここでもない。
だが、ここにいた気がした。
城壁を駆け抜ける間に、近衛兵を幾人も叩きのめしたので、奪った剣は折れた。それほど戦闘を繰り返したのに、いまだに王宮内にはルーディウスの侵入を知らせる警笛もなく、近衛兵の無能ぶりがよくわかった。
比べて、オルヴェルト王子の宮は、静かながら隙が少ない。
特にこの私的な棟の周りは、要所に複数の兵が立っており、油断なく警戒している。普段は警備を煩わしがるオルヴェルト王子のことを考えれば、警備が必要な誰かがこの宮にいるということになる。
だが、今はいない。警備の兵たちが、意識を警護対象に向ける気配がない。
侍女が何度も視線を投げる先に、執政宮がある。そちらが、気になった。
だが執政宮は、聖女には関わりのない場所のはずだ。テセウがいる場所でもない。オルヴェルト王子も滅多に足を向けなかった。
執政宮には公式な謁見の間があるが、国王もこの一年ほど使用していないだろう。だが、腐りかけていても国の中枢だ。官吏などの人の目は多く、今危険を冒して踏み込むべきかといえば、躊躇うところだ。
それでも、アミナから聞いたオルヴェルト王子の宮にいる侍女の話を思い返せば、その心配そうな様子を見過ごすべきではないのかもしれない。
ルーディウスは、王子の宮から執政宮の方へと回り込み、警備の目を盗んで渡り廊下に入った。顔を覆う布を外して身なりを整え、黒髪だけを布を巻いて隠した。少し変わった格好になるが、衣装は王国軍の一般的な軍服だ。遠目で一見して侵入者だと断定されなければ、それでいい。
近衛兵が闇雲に投げた剣が掠った頬が、じんじんと痛んでいた。
聖女の祈りは、いつしか途絶えていた。そのことが、どうしてもルーディウスの意識を引き摺る。
ハッとしたときには、執政宮の方向から角を曲がってきた男と、目が合った。
「ルード」
ルーディウスより遅れて側近に加わった、カークスだ。王子たちの従兄弟にあたるこの男は、近衛軍にという侯爵家の思惑を跳ね除け、王子たちの側近に収まった。比較的オルヴェルト王子と共に行動することが多いのは、この男がケルヴィン王子に口うるさいからだろう。
だが、頑固で融通が効かない分真っ直ぐな気質を知るルーディウスは、咄嗟に構えた体を、ゆっくりと緩めた。
「カークス、すまないが、聖女アミナ様の居所を――」
「すぐに執政宮へ行け。おそらく謁見の間のあたりだ」
尋ねたことに、回答が返った。それだけなのだが、ルーディウスは戸惑った。
カークスはずいと真顔で近寄ってくると、立ち話をしているかの様に傍の壁にもたれかかった。
「もしお前と会って、初めにアミナ様のことを尋ねてきたら、答えようと思っていただけだ。先ほど、アミナ様が王子宮内の部屋に篭って祈っていると耳にされ、オルヴェルト殿下が自ら止めに向かわれたのだが」
間もなく王都の門前でケルヴィン王子が兄王子への会見を申し立てて騒ぎ始めたと知らせを受け、オルヴェルト王子を追ったという。
「ちょうどアミナ様を担いで宮から出て来られて。会見の申し出について、いつもとは違って、はっきりとお怒りだったよ。遅い、と。それで、おっしゃったのだ。『適当に謁見の間に通せ。そこにいる』と」
恩に着る、と去ろうとしたルーディウスの腕を、剣だこのない手が掴んだ。
「もうひとつ。側近になる時、私たちは王子方と等しく接するべしと、厳しく言い付けられた。その理由は、ケルヴィン殿下を拝見していると薄々察せられる。ケルヴィン殿下は、兄殿下の持つもの全てを欲されるかのようだ。それが、聖女アミナ様へのオルヴェルト殿下の態度の理由かも知れぬ。殿下は、ケルヴィン殿下ほどに執着が強くはあられないが。――王族の血が流れる私が聖女アミナ様に触れるのは、気に食わないご様子だった。
それで、思い出したのだ。私が王子殿下方にお仕えするることを渋々認めた父が、これだけは守れと、聖女には異性として決して近づいてはならない、と申された。それは、王家にご兄弟がおられる時のみの、命どころか国に関わる暗黙の掟だと、亡くなられた王妃陛下から伺ったと」
カークスの手は、そう言い終えるとあっさりとルーディウスを解放した。
だが、今なんと返せばいいのか、思い浮かばない。
「すまない、この様な時に。だが、私はこれまでお二人の殿下に等しくお仕えしてきたつもりだが、できればオルヴェルト殿下にこそ、今後の一生を捧げたいと思っている。……ルード、お前にはアミナ様を幸せにして差し上げてほしい、それは本当だ。狼騎士の名にかけて、守れ。
だが、オルヴェルト殿下もまた、アミナ様を守ろうとしておられたなら――」
そこで口を噤んだカークスが、行け、と手を振ったので、ルーディウスは目礼でこの友に感謝を示して、再び、走り出した。
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増えるととっても頑張れる、魔法の燃料です……
全体を見直して、あまりに説明が乏しかった前半に、説明を追加しました。
エピソードも話の流れも変更はありません




