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【完結】孤独な狼は愛を返す:たとえ惨めに打ち捨てられても、貴方のために祈ります  作者: 日室千種
 

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私の黒い狼

 二人で参加する初めての夜会で、ルーディウスのエスコートは、完璧だった。


 高位貴族の一つである侯爵家の夜会だ。

 オルヴェルト王子とも遭遇したが、王宮ですれ違った時とはまた異なり、むしろ側近の婚約者として丁重な挨拶を返された。

 オルヴェルト王子に、普通に挨拶をされたのは、初めてかもしれない。アミナは驚き、奇妙な居心地の悪さを感じたが。


 王子に近寄る隙を見逃すまいと神経を配る令嬢たちは、そんな様子を見て、大いに安堵しているようだった。

 オルヴェルト王子の聖女への仕打ちは、酷に過ぎて令嬢たちすら同情するほどだったのだ。それでいて、オルヴェルト王子が特別に扱うのも聖女アミナだけだったため、令嬢たちは気が気ではなかった。

 その聖女アミナが、他の男と婚約をして、しかも王子はなんの執着も示さない。

 令嬢たちは、聖女の婚約を心から祝った。


 彼女たちを中心に、聖女の婚約が肯定的に広まっていく。

 次々と祝いの言葉を受けて、アミナは今夜の目的が果たされたことを知った。


 会場には、婚約を歓迎しない者もいたかもしれない。いや、いただろう。遠目にこちらに顔を向け、笑みのかけらもない暗い顔で見つめてくる宮廷貴族派の者たちや、妙齢の男性、そして女性たち。

 だがルーディウスが常に付き添い守るアミナには、社交の刃はひとつも届かなかった。





 面倒を避け、目立たないことを第一にしていたルーディウスが、在り方を変えて。黒髪、黒犬、聖女の犬、そんな蔑む声は表立っては囁かれなくなっている。

 夜会には一部の王国軍の地方出身の兵たちも招待されていて、親族との再会の喜びをようやく解放できているようだ。彼らは、かつて王国軍が出征していた頃に、戦場で聖女の祈りを体感してきた者たちだ。近衛軍を憎み、近衛軍に恩恵を授ける存在として聖女を疎んじ、憎む者は、地方に多い。こうした夜会を通じて、聖女の祈りの真実が伝われば、そうした考えに変化があるかもしれない。

 そうした地方の領主たちを含め、王子たちの胸の内を知りたい者たち、聖女の祈りが憎くも欲しくもある者たち、王国軍の内情を知りたい者たち……、それぞれのぎらついた視線は、はっきりとルーディウスへと狙いを定め始める。聖女と婚約を結んだ王子たちの側近騎士、という立場は、情報を得たいものにとってこの上ない相手だろう。


 ルーディウスにとってもまた、彼らは格好の相手だ。彼らの視線はしっかりと受け止めながら、顔を頭に叩き込んでいく。


 夜会の空気をしっかり読み取りながらも、ルーディウスは、今夜ばかりはアミナの願いを叶えることにだけに専心した。

 決して側を離れず、ずっと見つめている。

 オルヴェルト王子との挨拶を終えてから、花が綻ぶように柔らかな笑みを浮かべるようになった、ルーディウスの世界で一番美しい女性。

 拒まれたとしても、彼女一人にすることなど、できない。





 アミナはただ、ルーディウスの腕に寄り添い、微笑み合い、時に踊って。

 そんな夢のような夜も深まりつつある頃、アミナは、ケルヴィン王子と顔を合わせる機会を得た。遅れて参加したケルヴィン王子に、ルーディウスと共に挨拶に出向いたのだ。


 正しく向かい合うのは、それが初めてだった。


「ケルヴィン王子殿下、初めてお目にかかります。アミナ・ラ・ラーナでございます」

「ああ、噂の聖女アミナだね。初めまして、な感じはないけどねえ」


 さらりと終わった挨拶。

 ケルヴィン王子は少しルーディウスを揶揄うと、今日の付き添い担当の側近たちを引き離す勢いで、足取り軽く立ち去った。

 ひとつ違いのオルヴェルト王子とは、真逆のような、気さくで明るい空気が残される。何よりの違いは、アミナへの関心の薄さ、だろうか。

 いや、今やそれは、兄王子も同じなようだ。オルヴェルト王子はすでに会場を去っていた。


「そろそろ、屋敷へ戻るか」


 ルーディウスの問いかけに頷いてから、アミナは静かに、大きく息を吸い。

 そして吐いた。静かに、長く。

 何かが、終わって。自分は、解放された。そんな気がした。

 そしてその解放の鍵は、ルーディウスとの婚約だったのだと思う。

 彼が隣にいるからこそ、アミナは今、存分に心浮き立たせていられる。


 帰りの馬車の中で、窓から差し込む月明かりに浮かぶルーディウスの横顔を見た。

 あえて対面に座ってもらったので、好きなだけ眺められるのだ。

 人物評ではあまり取り沙汰されないが、ルーディウスの面立ちは整って、月影に照らされ美しくさえ感じる。

 アミナの好きな目元は、けれど鋭すぎて怖がられがちだと、友人たちは教えてくれた。だからか、これまで華やかなお話も聞いたことはない、と。

 ……黒髪を疎んじる貴族もまだいるようだが、ものともせずに実力で立場を確立している、とも。婚約後は一層目立つ活躍されていて、アミナ様に見合うようにという意気込みを感じますわね、とも。


 友人たちに褒められるまでもなく、こんなに素敵な男性はいないと思っている。

 けれどアミナには、令嬢としては誇るものが何もない。

 聖女の祈りは、戦場にこそあるもので、婚約者に捧げたいものではない。

 だから、いつもひたむきに、言葉を惜しむことなく。


「あの、ルード様。エスコート、ありがとうございました。ずっと隣にいてくれて、嬉しかったです。こんなに穏やかに楽しめた夜会は、初めて」


 馬車が止まり、手を取って貰って降りた後、手を離さないまま、じっと青い目を見てそう言った。

 黒髪が一筋落ちた頬が僅かに緩んで、俺も楽しめた、と返事。

 そのまま庭へと誘ってくれたので、アミナは嬉しくて弾むように歩いた。

 近頃は、公爵邸にルーディウス専用の部屋が設えられ、予定が合う時には泊まっていってくれることがあるのだ。

 そういう日の翌朝は、一緒に朝食をとり、早朝のひと時を共に過ごすことができる。その時間を思うだけで、アミナの足は少し弾む。


「疲れていないか?」


 気遣いながら、玄関先で如才ない執事から受け取っていた厚めの毛皮でアミナを包み、噴水周りは避けて、風のない東屋のベンチまで手を引かれた。

 よく見知ったラ・ラーナ公爵家の庭なのに、初めて足を踏み入れる場所のように、アミナは心がそわそわとして、たまらない。


 空の高い、秋の夜。月は大きく、冴え冴えと黒い宙に浮かんでいた。


「ルード様、初めて会った時、あなたのことを狼だ、と思ったのを思い出しました。

 『建国王ルーストミストは、狼に支配されていた凍れる土地を解放し、悪狼オイケアの魂から力を譲り受け、これをもって広大な土地に恵みを行き渡らせ、バルカイデン国の祖となった』

 絵本では、金の狼が描かれているけれど、この土地の狼は元々黒い個体ばかりでしょう? それに、悪と言われるけれど、オイケアは厳しい土地で狼の一族を守っていただけ。だから私はずっと、オイケアの本当の姿は黒い狼だと、そう思っていたのです。一族で一番強くて、優しい狼」


 青い目はいつも涼しげなのに、その時は丸くなってアミナを見下ろした。


「でも絵本の絵の印象もあってか、ほとんどの人は、狼と称える時に金の狼を連想するでしょう?それなのにあなたは黒髪だった。そのあなたを、私は狼だと感じたけれど、皆も狼騎士と称賛するには、何か秘密があるのだろうと考えていました。まだ、その秘密はわからないのです。

 目、でしょうか。時々綺麗に煌めく、あなたの青い目は、狼に似ています」





 その呼び名を人々が使うのは、まさに金の狼を連想させるオルヴェルト王子と対比する意味だったり、狼如きが腕が立つからと驕るなよという呪詛だったり、戦場では勝ちに卑しいと見下されての悪口代りの呼び名であったはずだが。

 そういえば、一番初めにルーディウスを狼と呼んだ王子方だったと思い出した。何故そう呼び始めたのだったかは、思い出せずに、ルーディウスは今一番大切なことに意識を戻した。


 見上げて来る琥珀の目は、自分だけの、月のようだ。


「ルード様、私の狼騎士になってくれますか? 正式な騎士でなくていいのですよ、ただ御伽話でも、聖女はよく狼と一緒にいたみたいなのです。絵本でも、いつも一緒に描かれますし。ね?」


 そう請われてしまえば、狼騎士という名は、聖女のためだけの騎士の呼び名であるとしか、思えなくなった。

 ルーディウスはもう、月に酔って溺れている。


「俺はもうすでに、アミナの騎士だ」


 アミナはそっと立ち上がり、座ったままのルーディウスの膝の間に立つと、毛皮の中から細い腕を伸ばして、ルーディウスの肩と首に手を回して、耳元に囁いた。


「ありがとう、私の黒い狼さん」




******





 アミナは、飛び起きた。

 泣きながら、飛び起きた。

 今抱き締めたはずの、逞しくて大きな体は、どこにもない。

 もう、自分が抱きしめていい相手でもなくなってしまった。


 狼騎士は、聖女を捨てた。惨めに、切り捨て、打ち捨てた。


 それでも、それでも彼のために祈り続けたかったのに。それすらも中途半端に終わってしまった。

 祈りを捨てよ、とオルヴェルト王子が言っていた。アミナの祈りは、いたずらに戦を延ばしたと。本当なのだろうか。傷ついた人は多かっただろうか。今はどうなっているのだろう。隣国の軍はどうしたのか。

 家族は、ルーディウスは。無事なのか。

 

 だが、起き上がったのに数拍遅れて、重い痛みが襲ってきた。

 腕が熱く重たい。

 そろそろと視線を向けると、自分の腕とは思えないほどに腫れて、青黒くなっていた。

 国王に蹴られたところだ。

 ここは、オルヴェルト王子の宮。アミナがお仕置き部屋と呼んでいた小部屋だ。

 記憶は、はっきりしていた。


 ガラクタばかりの部屋に、寝台などはなかったはずだが、アミナを閉じ込めるために急ぎ運び入れたのだろうか。

 いずれにせよ、今のアミナには寝台から降りることも難しい。少し身動きするだけで、腕が痛む。

 なるべき体を動かさずに見回せば、寝台の横に水差しや薬包が置いてある。誰か、おそらくあの侍女が世話をしてくれていたのだろう。

 まずは、痛み止めをもらえるだろうか。状況も教えてもらいたい。

 それから。


 私は、まだ祈れる。

 アミナの決意は、いささかも揺らいではいなかった。



やっと時間が戻ります!


全体を見直して、あまりに説明が乏しかった前半に、説明を追加しました。

エピソードも話の流れも変更はありません

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