時間の問題
その夏と秋とは、忙しかった。
ルーディウスはアミナをよく散歩へと連れ出した。
暑い中動くことに慣れていなかった初めは、少しの外出でくたくたになっていたが、数日おきに誘われて、徐々に体力がついてきた。
体が軽くなるのがわかると、俄然、外出が楽しくなった。
散歩に慣れてきたら、遠乗りへ、湖の舟遊びへ、家族も交えたピクニックへと、興味が広がる。
幼い頃から王宮に日参し、祖母と穏やかに過ごしていたアミナには、活動的な遊びは新鮮だった。まして、いつも完璧なエスコートとをしてくれる婚約者が一緒だと、底抜けに楽しい。
軽々とアミナを馬上に座らせてくれたり、手綱を少し持たせてくれたり、ひとりで乗りたがったはいいもののずり落ちそうになったアミナを軽々と支えてくれた。腕の中に抱えて走らせてくれた馬の背は、ひどく揺れたけれど、風を受ける心地良さは最高だった。
舟遊びでオールから水飛沫がかかったのが気持ちよくて、つい掬った水をかけたのに笑ってくれたり。オールを触ってみたいと言ったアミナが案の定一本流してしまっても、残りの一本で難なく岸に辿り着いてみせた。
ピクニックでは、木の実を掴んで籠に入れて揺すり、予想が正解に近い者からパートナーを指名して、宝探しをした。二度ルーディウスがピタリと数を当ててアミナを指名した。三度目には、たまには娘と二人で語らいたいのにと父が意地になって、何度もやり直しを要求した。「耳がよいのでわかってしまいます」と正直に申告した上で、その後も正解を出し続けたルーディウスに、とうとう父が拗ねてしまった。ふたりとも大人げない、と長兄が笑って仲裁し、夜には男性陣はそれはそれは盛り上がっていたので、アミナは幸せばかりを感じながら眠りについた。疲れ切って快い眠りだった。
少し遠出をした先の村で参加した葡萄の収穫を祝うお祭りでは、ルーディウスに見守られながら、衣服から髪から全て葡萄まみれになって、葡萄を踏んだ。村人たちから離れ、木陰で桶に足を浸して膝下を洗ってもらっていた間、どうして一度も視線が合わなかったのだろう。落ちない紫に染まった足に、大きな手で靴を履かせてもらって、それからその木陰で、ふたりは初めて唇を合わせた。
けれど、いつでも気がついていた。
貴族向けに開放された王家所有の森ではなく、少し遠いラ・ラーナ公爵領の森に遠乗りに出向いた時。銀の鎖のように流れる川の向こうの丘陵を、とぼとぼと繋がって歩く人々の姿が見えた。馬も牛も荷台もなく、小さな人影も荷を背負っていて、数家族の貧しい民のようだ。
近頃は、兵馬はもとより、民そして商人までも、領を越えて行き来をすることが制限されるようになった。王家といえど、領主同士の交流に口を出すことなど今までは許されなかったが、街道に新たに関を設け、近衛の制服を着た兵が立つようになったという。
あの家族たちが、細く見えて渡りにくい川を渡り、ラ・ラーナ公爵領へ入ることができれば、保護することもできるだろう。だが。
湖のほとりには小さめの瀟洒な館が数十軒建っていて、舟からみやれば、庭で日傘をさしていた婦人が大きく手を振ってくれていた。どの館にも、そこに幼い子供たちと共に逃げ延びてきた、領主夫人たちが住んでいる。近衛兵たちに領主が断罪され、運良く逃げ延びた者たちが、伝手をたどってラ・ラーナ公爵家の保護下に入っているのだ。
辺境の領地から苦労をして来た者も多く、着いた時には健康を損なっていたり、心が壊れていたりと、誰もが傷ついていたそうだ。彼らはこれ以上の脅威を招きたくない一心で、爵位も領地も財産も放棄し、ただ安らかな日々を求めている。
葡萄酒の名産地からはるばる旅をしてきて住み着いたという一家の娘が、もう自分たちの土地では葡萄を収穫できないの、と、涙を流して葡萄を踏んでいた。近衛兵らは、畑を馬で踏み荒らした挙句、塩を撒いたという。
状況は、あまりに異常だった。
根底にあるのは、領土を持つ世襲の貴族たちと、領土を持たない宮廷貴族たちが擦り寄る王家との、珍しくもない対立だが。
地方の小規模な領主が、次々と近衛軍に断罪され取り潰しになっていく。その領地を宮廷貴族たちが自領としてせしめていったが、うまくいった例はほとんどない。巣の蟻ほどに数いる宮廷貴族で取り合って領土が分割される上、土着の民は多くが閉鎖的で、自らの領主たち以外を受け入れ難い。さらには、どこかで隣り合うことになる、大きな領土を持つ世襲貴族たちの協力は得られないからだ。
土地の名義を得ることだけが、領主となるということではない。
土地には人が暮らすということを、王家も宮廷貴族も、忘れ去っている。
結果、健全に営むことができる領土は減っていき、生産も流通も滞り、残っている力ある世襲貴族たちの領地も巻き込んで、国全体が澱んでいっている。
だれもが暗い未来を目の当たりにしているのに、だれにも、その流れを変える力がない。
国が腐り落ちるのも、時間の問題だった。
こうした情勢については、家族もルーディウスも、アミナに教えてはくれない。
だがアミナが親しくする友人たちは、祖母の宮で親しんだ侍女たちが、それぞれの貴族としての立場に戻った者たちだ。彼女たちはアミナのためにと、耳に痛い話も、包み隠さず教えてくれる。
『聖女アミナは王家の手先。聖女の祈りがなければ、近衛軍もここまで増長せず、国ももう少しまともだった』
そんな悪意のある噂があることも。
聖女であろうと、アミナはひとりの人間で、悪意をぶつけられれば悲しいし、腹立たしい。
アミナが近衛を含む自国の軍のために祈っていることは事実だ。
同時に、戦場に立つあらゆる者たちや、戦火に追われるかもしれない人のためにも祈っている。
けれどそれは、聖女といえどあまりに無力で小さな一人の人間のすることで。全ての人を守るためには、まるで力が足りないことは、アミナが一番よく知っている。
それなのに、近衛軍の増長の原因だと言われる。近衛兵たちからは、祈りの恩寵など感じたことがない、と嘲られることも多いのに。
近衛軍は嫌いだ。粗暴で、正義も規範もなく、利己的で、国王や国への忠誠など、塵ほども持ち合わせていない。
アミナは、彼らに蹂躙される人々の助けになりたかった。
けれど彼らに、アミナは憎まれている。
そして、無力だ。
だからアミナは、ルーディウスと、家族と、顔を見合わせ幸せに微笑みながら、心では小さく丸まってごめんなさいと目を伏せるのだ。
初めての口づけにうっとりと身を任せた、その時でさえ。
ブックマーク、評価、とても励みになりますので、是非お願いします。
全体を見直して、あまりに説明が乏しかった前半に、説明を追加しました。
エピソードも話の流れも変更はありません




