弱すぎて、守れない
本日四話目、今日はここまで。
「……城に」
約束の日の朝、アミナの元から急ぎの使者が手紙を持ってきて、嫌な予感がした。
側近の仕事はこのごろ役割分担が進み、他の者では簡単に代われない内容も増えてきた。今日会えないのなら、次の休みを確保するために、自分も城に上がってやるべきことをやればいい。
だがそれだと、次に会えるのは二週間後だ。
名を呼ぶと、すぐに振り返る、あの顔を、今日は見られないのか、と思うと気が重くなった。
このごろはそんなふうに、いっときに湧き上がる強い気持ちが自分を支配しようとすることが、多々ある。
「祈りの間、か……」
同時に、僅かに残っていた冷静な自分が、ピリリと緊張するのも感じていた。
聖女の祈りは、遍く等しく穏やかに守ってくれるもの。それはルーディウスが戦場で実感したところであり、アミナからも聞いたことだ。
だが実は稀に、ごく一部の近衛軍に祈りの効果が強く出ることがある。これは前聖女の代から軍の中では認識されていたことだが、アミナは何も知らないようだった。
その稀な事例において、祈りの効果は凄まじい。近衛隊の将軍に肉薄した敵兵の攻撃が、すべて完全に弾き飛ばされたことがあるとも聞く。
国内で悪行を重ねる近衛軍に脅威を感じる者たちが、喉から手が出るほど知りたいのが、その秘密だ。そして、口の軽い近衛兵の誰かが、あの奇跡は聖女の力だと口にして以来、軍の下士官たちは、聖女に対して心中複雑なようだ。感謝の思いと同じほど、なぜ、となじりたい気持ちになるのだと、ぼやく兵もいた。正面から、罵倒する者もいた。
ただの噂だと、オルヴェルト王子は切って捨てていた。ルーディウスも、側近たちも、上層部に噂のままに受け取るものはいなかったが、その秘密は、知りたい。
アミナとの婚約は、降って湧いたような話で、こんな機会は想定もしていなかったが。
聖女の祈りの詳細は、国王とその周囲の者たちしか知らない。王子たちすら、首を傾げていた。王子付きの側近であるルーディウスに至っては、祈りの間という存在すら知らなかった。
秘密は必ず、聖女の周囲にあるはずだ。聖女とともにあれば、秘密に近づけるだろう。それを掴めれば、いつかの日のためになるかもしれない。
「聖女アミナには非がないことを、示す手立てもきっとある」
ルーディウスは立ち上がると、使者を急かして、自らも馬に飛び乗った。
それが朝のこと。
長すぎる祈りが終わると、すでに夕方だった。アミナを祈りの間から連れ出したルーディウスは、アミナを連れて軍中央部の医務室へ向かった。多少の遠回りだが、これ以上アミナを、国王と近衛の連中の近くに置いておきたくなかったのだ。
空いていた休養室で、手洗いと身繕いの時間をとり、軽い飲食をさせてから、その体調に異常がないことをしつこいほどに確認した。日頃体を鍛えている者でも、六時間も同じ姿勢で立ち尽くしたままでいては、心臓に異常をきたすこともあるのだ。心配にならないはずはない。
だがアミナは、あっけらかんとして、果実水を美味しいとおかわりを所望した。
ルーディウスの方が、動揺が激しかった。
付き添っていたあの時間、目を閉じたと思えば、すぐ目の前にいるはずのアミナの気配が薄れていったのに、ゾッとした。じりじりと見守る中、徐々に色味を失う唇の色を見て、何度揺すって邪魔をしようかと思ったことか。呼吸を確かめるために鼻の下に手を当てても、まるで気付く様子のない、深い瞑想だった。
けろりとして今は健やかそうに見えるが。救命や戦闘、拷問のための人体の知識を学んだ身からすれば、人の体など、簡単に壊れてしまうものだ。
あれが、祈りであるならば。
聖女は、遠く離れた王都から恵みを垂れてくれているのではなく。
いつ誰が倒れてもおかしくはない、死と隣り合わせの戦場で、兵たちと共に戦っていると言っていいのではないか。
誰にもそうと知られることのないままに。
祈りの途中でもし彼女に異変が起こったとしても、きっと誰にも気づかれることなく、一人で静かに冷たくなるのではないか。
ラ・ラーナ公爵家へと送り届ける馬車で、ルーディウスはアミナの困惑を感じながらも、腕から出すことができなかった。
祈りの秘密のことなど、頭の中からすっかり抜け落ちていた。
気持ちが千々に乱れる。
朝は残っていた冷静な自分も、今は幻のようだ。
国王の宮の入り口で、アミナの目の前で、聖女を軽んじる発言をした近衛兵。アミナだけを連れ込もうと、その肩に手を回そうとしたことを思い出すと、腹の底がぐらと煮えた。
同時に、揉め事に怯えて歩けなくなったアミナのことも思い出して、自分の不甲斐なさに舌打ちをしそうになった。
もし、自分が黒犬と見下げられていなければ。
アミナに触れようとする男を容易く牽制でき、その目の前で揉める必要も、なかっただろうか。
そう思えば、これまで面倒ごとを避けてのらりくらりとやり過ごしていたことが、独りよがりで愚かな振る舞いだったと思えてくる。
自分が、耐えて、受け流せば、それで万事がうまくいくと、そう思っていたのに。
自分が、弱くなってしまったようだった。
弱いところが、できてしまった。
アミナという存在が、ルーディウスの明確な弱点として、根を張ってしまった。もう、今までのように、受け流して関わりを薄くすることも、できない。
もう手放せない。
誰にも傷付けられたくなくて、誰にも取られたくなくて、覆い隠してしまいたい。
だから、自分は弱くなってしまった。
弱すぎて、これではアミナを守ることができない。
その時、ルーディウスを打ちのめしたのは、生まれて初めての、強い恐怖だった。
「ルード様、震えているの? ごめんなさい、具合を悪くされていたのかしら。気がつかなくて。寒いの?」
誰からも見られないようにと懐深く抱え込んだ宝が、心配そうに囁いて、自分の腹に当てられていたルーディウスの手を摩った。
顔を見上げようとでもいうように身じろぎをするが、今、顔を見せるわけにはいかない。なので、顎で金色の頭頂を押して、下がった頭に、たっぷりと頬を擦り付けた。
側から見れば、隠そうとしているというより、甘えて縋り付いているように見えただろう。
「ルード様?」
アミナはしばらく身動きを試みていたが、そのうち、ふう、と息をついて、諦めてくれたようだ。そう間を置かず、すうすうと寝息が聞こえてきた。やはり、無理をして疲弊していたのだろう。
全身をルーディウスに預けて、力の抜け切った体を抱え直すと、額に汗をかいているのに気がついた。
それもそうだ。時期は夏の盛りだ。こうも抱え込まれては、暑かっただろう。慌てて腕を開いて、額や首筋も拭ってやれば、ホッと息をついたようだった。
僅かに開いた口元が、柔らかく笑んでいるようで、自分を信頼して、眠る体を委ねてくれたのだと感じる。
そのしっとりとした重みが腕の中にあることが、どれほど力強く、ルーディウスを落ち着かせてくれたか。
馬車が止まるまで、ルーディウスはアミナを抱きかかえながら、逆にアミナに優しく抱かれていたのだった。
以降ルーディウスは、自ら一歩引くことを、やめた。
常に顔を上げ、胸を張り、人の目を引くことを厭わなくなった。
ただそれだけの変化で、狼騎士は王国最強の騎士として、神の再来と称えられるオルヴェルト王子と並び称される、王都の誰もが認める気高い存在へと、速やかに駆け上がっていく。
婚約破棄までのあとわずか……。
頑張ります。
全体を見直して、あまりに説明が乏しかった前半に、説明を追加しました。
エピソードも話の流れも変更はありません




