愛さなければ
あれからも、ルーディウスの想定外は続いている。
アミナのことを考えると、思考が止まる。
人と会った後は、手紙で礼を送る。身分の低い者から高い者へ。男女であれば、男から女へ。王子たちの側に仕えていれば、そういう慣習は自然と身についている。
だから、手紙を送った。
紙は、白だ。他に選びようがない。まだ、ルーディウスはアミナの何も知らず、これから知っていくほかはない。
手紙には、花か贈り物を添えるべきだろう。婚約した関係であれば、特に誤解を恐れて控えるべき贈り物もないはずだ。
——だが、花。
詳しくないものについて決めなければならない時は、現場に赴くに限る。まだ登城を控えていたルーディウスは、時間を持て余し気味だったこともある。
ルーディウスは早速、屋敷で数度しか足を踏み入れたことがない場所である、花用の温室へと出向いた。カスティラ侯爵家の王都の温室は、そう大きくはないが、専用の庭師が薔薇を大切に咲かせているのは知っていた。
義母の好きだった花だ。
そこで、さて、とルーディウスは腕組みをして、思案に暮れた。
「あ、いたいた、ルーディウス」
「兄上」
「顔合わせは順調だったみたいだから、そろそろ領地に向かおうかと思ってね。……まさかまだここにいるとは思わなかった。父上に温室へ行ったはずだと聞いたけど、向かったのはだいぶ前だったようだから、他を探していたよ」
「探させてしまいましたか。思ったより、時間がかかって」
花を手に取るでもなく棒立ちのままだったルーディウスと、傍に控える老庭師を交互に見て、兄は首を傾げた。
「花を取りに来たんだよね?」
「はい、手紙に添えようかと」
「おお、薔薇をかあ。さすがだなあ」
「? あまり他の花を知らなくて。ただ、色を迷ってしまっています」
候補は、この温室で最も美しく咲いている真紅の薔薇か、アミナの目の色に寄せた黄みの白薔薇か、それとも、黒と見紛う深紅の薔薇か。
王宮に上がってからは、黒髪はもちろん、王子たちと同じ色の目の色さえ、揶揄されることが普通で、身に帯びた色についての他人からの言葉は、聞き流す癖がついていた。いつもはそれを思い出すことさえない。
あの時、アミナは、金の狼と思っていた、と言っていた。
それは、髪色のことだっただろうか、と今になってジクジクと思い返されるのは、何故だろうか。
金の髪ではなくて残念だ、と言いたかったのだろうか。だがその後も、黒い髪を特に冷めた目で見られることも、不自然に目を逸らされることもなかった。
ならば、この黒い薔薇を贈っても、もしかすると、不快には思わないかもしれない。
そういえばアミナは、ルーディウスの青い目を、狼の目の色だ、と気に入っているようだった。王子たちと同じだとは言われなかった。だがそれでも、なぜか青い薔薇には、目が行かない。
「これを」
考えていると、余計なことまで気になってきて、決断ができない。遅くなると、朝咲きの薔薇が時間を経て開ききってしまう。
やむなく、ルーディウスは王子たちが女性に返信する時の添え花の定番、真紅の薔薇を選ぶと、手紙と共に使者に託した。
一仕事を終えて、息をついていたルーディウスは、知らなかった。
兄がその様子をじっくりと見ていて、首を傾げ傾げしながらも、領地に帰るのを先延ばしにしたことを。その理由が、思ったよりも弟が女性と交際慣れしていないようで、急に心配になったからだ、ということも。
公爵家でアミナと会うと、その純粋ぶりが初日だけの見せかけのものでないことがよくわかった。思いもよらない動きをして、目が離せない。
しかもその体当たりのような、率直な好意は、ルーディウスの緊張や身構えなど飛び越えて、真正面からぶつかって、揺さぶってくる。
両手で握られた指から、柔らかい感触が消えない。
間近で見つめてくる琥珀を思い出しては、心の中が一瞬でその色に染まる。
黒いタイを首に当ててみた時、はにかみながら布を整えてくれた、伸ばした腕の内側の白さがふと蘇れば、身の内が猛烈にむず痒くなり、唸りが漏れそうになる。
顔を合わせてからわずか数日後の有様とは、自分でも信じられなかった。
「アミナは、結婚後は自分で料理を作りたいと言っていましたよ」
婚姻後のことを確認する両家の場で、アミナの夢をはからずもテセウから聞いて、言いそうなことだと、ふと笑みがもれた。
テセウの非番の日に合わせてラ・ラーナ公爵家を訪れているが、アミナは友人宅へ出かけているとかで、不在だった。騎士の妻の生活を、友人のご令嬢方から聞きつけているらしい。騎士団の騎士とは異なるので困惑もするが、自分との結婚に前向きな様子が、微笑ましい。
だが、いずれアミナにも告げられるだろうが、アミナと結婚後、ルーディウスは、ラ・ラーナ公爵家の寄家のひとつである子爵家を継ぎ、アミナが存命の間はこれを陞爵して伯爵とされる予定だ。
二人に子が生まれた場合のみ、公爵家から子に対して領土を譲ることは認められるが、ルーディウス自身が領土を持つことはない。これは、宮廷貴族たちが頑なにこだわった点だったが、ルーディウスにも否やはなかった。
領土があれば、その管理が必要となる。領土がないからこそ、聖女アミナの守護者となり、またその傍ら、王子たちの側近として務め続けることも可能なのだ。
アミナも当然、引き続き国王の求めに従って、聖女の務めを果たすこととなっている。
聖女が嫁いだ先には、王家より褒賞が毎年与えられる。ルーディウスの側近としての手当も相当なもの。そこに、宮廷貴族の取り決めに従って、伯爵家という家格に相応しい仕官手当も加われば、二人で家を構えるには、十分だった。むしろ伯爵家として質素すぎない屋敷を構えねばならないだろうから、相応に使用人も雇うことになる。
伯爵家の女主人として多くの使用人を動かす立場で、自由に料理をする。そんな慣習はないので、容易くはないかもしれない。けれど、不可能なわけではない。
「覚えておきます」
と言えば、仕方ない子供を見るような笑みが返ってきた。目の前のルーディウスではなく、妹に向けたものだろう。
アミナが、家族に愛されていることを感じる。
結婚すれば、ルーディウスがアミナの一番近い家族になるのだ。彼らに代わって、愛さなければ、と思った。愛されて育ったあの女性を、これからは自分が守らなければ、と。
それが、このごろアミナを思い出すとしきりに胸に沸き起こる、熱くて持て余しがちな奇妙な感情を向けるべき方向だ、と。そう信じた。




