その逆を行け
喪中を理由に登城を先延ばしにするのにも限界がきて、カスティラ侯爵が息子三人のうち誰を城に差し出すか、決断を迫られている時だった。
使用人も下げ、相手のいない酒を手にしている、そんな時間に、ルーディウスが部屋を訪れた。その青い目は穏やかなのに、強い意志が見える。
「父上、私に登城させてください」
十にも届かない年で、しかも普段は物静かな少年が、そうきっぱりと言ったのに、昔、妻が言っていたことを思い出さずにはいられなかった。
『ルーディウスはきっと、将来どんな立場になっても、うちの兄弟を大事にしてくれるでしょう。自分を後回しにしてでも——。』
王都の屋敷の庭で、妻は落馬して命を落とした。
ウサギ穴に嵌ったところを長男とルーディウスが目撃している。駆けつけた侯爵も嵌まりそうになった、大きな穴だった。
母の死は、重い。三男はこれを受け入れ難いようで、やたらに他の兄弟に突っかかるようになった。長男もまた、食が細くなり子供らしい頬がこけるほど、気を落としている。
ルーディウスは、そんな兄弟を慮ったのだろう。
ことあるごとに他の貴族に目の色を見られる危険性を説いていたせいで、城が危険なところだと、兄弟の中で一番わかっているはずだ。あえて登城に名乗り出る理由は、他に考えられない。
今、妻が隣にいたら、なんと言うだろう。
想像するだけで込み上げるものがあり、カスティラ侯爵はぐっと顔に力を入れた。
「城では、誰もがお前の良い所ではなく、悪いところを探すだろう。味方もいるかどうかわからない。王子たちがどんな方々かも、まだわからない。それでも行くのであれば、カスティラ家の名を背負って行きなさい。家族は、いつでもお前の味方になると誓おう。お前の母だった人に対して、恥ずかしくないように」
「はい、父上」
静かに返事をする青い目は、穏やかな光を帯びている。体を動かすことはあまり好まないのか、弟と鍛錬するより、兄と同じ座学を受け、図書室で古い文献を眺めていることが多い子だ。剣を受け止めたというかつての逸話は、引退したあの守り役が大袈裟に話していたのだろう。
その予想は、数年で見事に覆されるのだが、焚き付けたのは、カスティラ侯爵本人だった。
「ルーディウス、お前に争いごとを勧めるのは気が進まないが、これまでのように、お前の青い目を隠そうとしても、油断のならないものほど嗅ぎつけて利用しようとするだろう。
だから、その逆を行け。前に出ろ。先手必勝、誰かに捕まる前に、一番有利に立てる足場を見つけて、そこに立つ。それを目標とせよ」
幼い子に、大人でも無理な注文をつけた。それはわかっていた。だが、生き延びるためには必要なことだ。
カスティラ侯爵は、問答無用でルーディウスを抱き寄せると、柔らかな黒髪を撫で付けるように、何度も頭の丸みをなぞった。痛いほどの抱擁だったが、ルーディウスは大人しく受け入れて、養父の分厚い手にくすぐったそうに目を細めた。
ルーディウスは、自分の青い目について、養父母が過剰と思えるほど心配していることは、よく知っていた。
登城の最初の日は、自分なりに考えて、前髪を長めに目にかかるようにした。じっくり顔を合わせなければ、色まではわからない状態だ。
だから、カスティラ侯爵家の馬車から降りた時からやけに視線が向けられるのは、目の色のせいではないはずだ。では何故か、その理由がわからない。好意的な視線ではないので、状況を知る必要があると思ったまま、先導されて歩いていたのだが。
ちょうどそれを教えてくれそうな子供達が、ルーディウスの行く道を塞いで囲んだのは、都合がよかった。
「お前、だれだよ。黒髪の高位貴族なんていないだろ」
「……カスティラ侯爵家のルーディウス」
何人かが、侯爵家だってよ、と怯んだが、その少年だけはにんまりと目を細めた。
「知ってるぞ。お前養子だろ。カスティラ侯爵家は息子を出すのがいやで、黒髪の平民の子を身代わりに一人引き取ったんだってな。当主は元軍人のくせに、ずいぶん臆病なことだ」
黒髪と平民とが類似項らしい、と察する。だがカスティラ家では黒髪について何も言われておらず、これまで気にしたことはなかった。
しばらく黙って返事をしないでいると、先導の係の者が、ルーディウスが付いてきていないことに気がついて引き返してきた。
「俺たちは近衛の従士だ。今、この黒髪の平民がここにふさわしくないことを教えているところだ。案内はいらないんじゃないか」
「はあ、しかし……」
困り顔の係は、自分の孫ほどの子供に偉そうに言われても怒りもせず、黒髪の平民という言及にも特に不思議な顔をしない。
つまり、この係の男よりこの少年の方が権力の近くにいて、黒髪は平民という意識は、城の皆に強いようだ。
すべて覚えておこう、と思いながら、ルーディウスは、なるべく低い声を意識して係にこう言った。
「陛下には、カスティラ侯爵家の代表として私の名も届け出て承認いただいております。このまま遅参した場合、どなたが咎を受けるのでしょう」
これにようやく係の男は自分のお役目を思い出したようだ。
城では、万事がその調子だった。
黒い髪に目を止めた者は、多くがぞんざいな態度となった。
ただ、王子たちとの面談についてだけは、何の妨害も受けなかった。そもそも、世襲貴族の中にも、王子たちの側近よりも近衛隊への入隊を望むものも多かったのだ。
庭での謁見の時、国王の横に立つ王子二人が、身分にふさわしい格好をしているのを見て、ルーディウスは少なからず安堵した。
王子たちの側近になるより、近衛隊に入りたいと望む貴族家があからさまに存在するということは、王子たちは不遇なのかと疑っていたのだ。
的外れな心配だったと、珍しく羞恥を覚えた。
それほど、王子たちは輝かしく堂々とそこに立っていた。
光を弾く金の髪、すでに少年たちから抜きん出た長身の、第一王子オルヴェルト。そして柔らかな茶色の髪で、好奇心に溢れた目をあちこちに向ける、第二王子ケルヴィン。二人は、体格の違いによる差に目を瞑れば、双子かというほど同じ服装をしていた。
と、観察していたのに気づかれたのか、オルヴェルト王子と目が合った。
青い目。確かに似ている。ルーディウスは初めて、自分と同じ色の目を見た。
だが、何かが違う。
オルヴェルト王子の目の奥には、自分とは決定的に異なるものがある。
「黒い髪! かっこいいなあ、君」
砕けた言葉とともに、どん、と肩を抱かれて、オルヴェルト王子と目線が逸れた。
ケルヴィン王子が、ルーディウスの肩を掴んで引っ張り、しげしげと髪を眺めている。
「へえ、生え際から黒いんだ。そりゃそうか。名前は?」
「まあ待て、ケルヴィン、順に紹介する。そう急くな」
息子を制した国王の声音から、なんとなくわかった。国王もまた、ルーディウスが王子たちの側につくのは、気が進まないようだ。黒髪だからか、近衛隊に入れて人質としたいのか、それはわからないが。
だが王子たちもまた、大人の思惑通りに進むのは気に食わなかったのか、ダイスの目を当てて順番を決めようと言い出した。
「こうして、君たちの目の前でふたつダイスを投げて、掌で止める。出目の合計を当てて、近い数字を言ったやつが最初。どう?」
国王が早々に諦め顔なのを見るに、ケルヴィン王子は言い出すと聞かないようだ。
ルーディウスは、静かに挙手をして、発言を求めた。
「おい、順番が変わるかもしれないからって文句言うなよな」
ほかの少年たちがルーディウスを制したのは、ルーディウスが初めに注目されたことを不満に思っていたからだろう。その優位をひっくり返すチャンスだと思っているのだ。
「しかし、私は多分、見ていれば出目がわかってしまいます」
「な、お前、嘘言うな」
嘘だろうと言われて、ルーディウスは口を閉じた。押し問答になるのがわかると、面倒になってしまう。
「すごい自信だ! じゃあ、試してみようよ。――いくよ?」
ケルヴィンがダイスを投げて、掌の上で目を止める。
「2と5の7です」
「当たり」
それを五回繰り返すと、今度は、睨みつけてきていた少年と、冷えた目をしていた大人たちが、口をつぐんだ。
「すごいや、君。じゃあ、君、名前は何?」
「カスティラ侯爵家のルーディウスです」
「目がいいなあ、ルーディウス。兄上も、百発百中なんだ。僕には無理! ねえ、兄上、追いかけっこしない? 犬も放してさ。ほら、人数いるから、楽しそう!」
それから、日が暮れるまで庭を追い回され、犬に噛まれて脱落したものが三人、走れなくなって辞退が五人出た。それ以外の、ルーディウスを含めた四人が、二人の王子付きとなることが、あっさりと決まった。
知らせを聞いたカスティラ侯爵は、妻を失って初めて声を上げて喜んだ。
実は侯爵は、ルーディウスの登城までの時間を無駄にせず、それなりの対価と引き換えに、ルーディウスを城での住み込みではなく、王都の屋敷からの通いにすること、また王子の前で紹介される一番初めの組に入れることを確約した一筆を、城からもぎ取っていたのだが。
そんな配慮は不要だったのかもしれない。この子なら、うまくやっていくかもしれない。だが、こうして見れば、まだほんの子どもだ。せめてもう少し、家で過ごしてほしい。
それに、と冷静な部分で思う。
ルーディウスが城で得てくる情報は、侮れない。
子供相手に油断をした大人たちは、取り繕うことを忘れてしまうようだ。
例えば、城の使用人たちが近衛隊への入隊を希望する少年を優遇しているのは、城で強い権力を持つ宮廷貴族たちが近衛隊の後ろ盾だからだ。だが警戒心の強い彼らは、宮廷貴族とは対立するカスティラ侯爵のような世襲貴族の前では、そのような態度をおくびにも出さなかっただろう。
また意外だったのは、国王が王子たちに思ったよりも親しんでいるようだということ。そうした王と王子たちの人となり、そして関係性は、国の行く末を考える時に欠かせない。
その真実に近い姿を、子供の目線で見て知ることができる。実に得難い情報だ。
だがそれでも、ルーディウスの身の安全と引き換えにする気はなかった。
「ルーディウス、今日は辛いことはなかったか。誰もお前の目については言ってなかったのかい?」
「特にありませんでした。目は、今日はこのように」
と、黒い前髪で目を覆い隠した。
「して過ごしましたので、誰にも見られていないかと思います。……オルヴェルト王子殿下とは、目が合ったように思いましたが、特にお言葉はありませんでした」
養子の思ったよりも周到な様子に、愉快な気持ちが湧き上がってくる。
そもそもカスティラ侯爵は、不安定な状態の幼い三男には見切りをつけ、登城させるなら長男か次男かと、迷っていたのだ。
どちらも才覚を見せている。どちらも誇りに思っている。どちらが残っても、侯爵家を任せられる。そして、どちらも失いたくない。
だが、強いて選ぶのであれば、頑健で剣の腕も付けつつある長男だろうか、と心を決めかけていた。その時に、ルーディウスが申し出てきたのだ。
結果、これはよい選択だったと思い始めている。
侯爵は、腹を据えることにした。
「ルーディウス、お前なら、城で上手くやれるだろう。父のために、城で得た情報を知らせてほしい。お前の不利にならない範囲でよい。だが、父はお前を駒として扱いたくはない。どこにでも卑怯な輩や暴力に訴える輩がいる。困った時、手に余るときは、必ず父を頼るのだ。いいな」
ルーディウスはこれに、はいと答えたが、その後長い間、ルーディウスの方から助けを求めることはなかった。
助けを必要とするほどの事態にならずに済んだということもある。だが、カスティラ侯爵はこの後数年間、三男の所業に頭を悩ませることになる。夫人の死から立ち直りきれないまま、周囲のすべてに牙を向ける息子に、精神的にかかりきりとなった。
ルーディウスがカスティラ侯爵家に助力を請うのは、これから九年の後、アミナとの婚約を結ぶよう、国王からの下命を受けた時になる。
そこはかとなく、独り
全体を見直して、あまりに説明が乏しかった前半に、説明を追加しました。
エピソードも話の流れも変更はありません




